2008/12/25

大道あや作品《にが瓜の歌》  作品・資料

午後は評議員のK村さんに案内されて、練馬区のK田さん宅へ。
K田さんは、亡き夫君が古くから丸木美術館に関わられていた方で、ご自宅には丸木位里の妹の大道あやさんの作品が所蔵されているとのこと。
今夏に開催された渋谷区立松濤美術館の「大道あや展」に出品されなかったという隠れた作品の存在をK村さんよりご教示いただき、今回は調査のためにお伺いしました。

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30号ほどの大きさの作品《にが瓜の歌》は、福音館文庫から発行されている大道あやの一代記『へくそ花も花盛り』にも収録されている作品でした。
ほかにも、あやさんや丸木夫妻の色紙がお宅のあちこちに飾られて、さながら小さな画廊のよう。K田さんもとても気さくな方で、楽しいお話をたくさん聞かせて下さいました。
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2008/12/25

『早稲田大学新聞』調査  作品・資料

午前中は早稲田大學新聞会に行き、戦後期の『早稲田大學新聞』を閲覧しました。
同紙に赤松俊子(丸木俊)が絵や文章を寄せていたことは丸木美術館に現存している新聞の切り抜きで知っていたのですが、今回は記事掲載日の確認や未見資料の発掘などの調査を行いました。
今回確認できたのは以下の記事です。

1947年10月11日「白骨の超現実派」赤松俊子
1950年1月11日「ハッパイ」絵と文・赤松俊子
1953年10月7日「二つの国際平和祭典に参加して 結集した世界の友情 青年よ戦場へ行くな」赤松俊子
1955年1月19日「若ものたち」絵・赤松俊子
1955年9月6日「原水爆と芸術―それは人間をとり戻す運動―」(上)針生一郎

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なかでも面白かったのは、1950年1月11日に掲載された「ハッパイ」という記事でした。

 「ミス・ハッパイ」
 これは若いころのわたしの別名。
 クラス唯一の苦学生で、栄養不良、とうとう脚気になつたがそれでも先輩の絵かきの奥さんには
 「さあさあミス・ハッパイ」
 といつて御馳走してくれる余裕又あつた。
 一週間も郷里へ帰つてくれば何はなくとも大食して体はかいふくした。……


俊の姪のH子さんから、晩年たびたび「若い頃は飯を八杯食べるからミス・ハッパイというあだ名だった」と俊自身が懐かしげに語っていたという話は聞いていましたが、この記事はその微笑ましいエピソードを記した珍しいものです。

   *   *   *

数日前、安部公房や『人民文学』などの研究で知られる徳島大学のTさんに、美術批評家のヨシダ・ヨシエさんが初めて著した《原爆の図》の評論について問い合わせていたのですが、帰宅してメールを確認すると、『原爆の図について 図展鑑賞のために』という1953年3月14日に民主々義科学者協会鹿児島支部から刊行されたヨシダさんの著作が、神奈川近代文学館に所蔵されているとの返事が届いていました。
今度は年明けに、神奈川近代文学館にも調査に行こうと思っています。
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2008/12/24

『ねこは猫の夢を見る』  書籍

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お勧め書籍第2弾は、今月発行されたばかりの新刊です。
“日本で唯一の猫文学紙”『ねこ新聞』の監修による絵画詩集『ねこは猫の夢を見る』(竹書房)。
猫をテーマにした絵画と詩を32組、カラー図版で掲載している美しい一冊。値段も1600円とお手頃です。
その主な組み合わせを紹介すると……

丸木俊「ねんねの時間」×サトウハチロー「ひろってきた子猫に」
宇田川民生「気ままな訪問者」×野口雨情「雨」
後藤六郎「猫と鳩」×長塚節・石川啄木(短歌)
佐原和行「紅葉の下」×ヴェルレーヌ(堀口大學訳)「女と牝猫」
猪熊弦一郎「猫によせる歌」×諏訪優「クロよ おまえは」
竹久夢二「黒猫」(画)×「月の散歩」(詩)
和田誠「ねこのシジミ」×寺山修司「子猫」
茂田井武「〈インドの虎狩〉を弾くゴーシュと猫」×宮澤賢治「セロひきのゴーシュ」
小沢良吉「カテリーナ」×ボードレール(佐藤朔訳)「猫」
丸木スマ「母猫」×葛原しげる「仔猫の三毛さん」
いわさきちひろ「暖炉の前で猫をだく少女」×松本猛「暖炉の前で猫をだく少女」
熊谷守一「白猫」×「与謝野晶子「子猫」
井上長三郎「猫」×安西冬衛「普蘭店といふ驛で」
伊能洋「向日葵とノアロー」×室生犀星「愛猫」
藤城清治「猫の相撲」×北村太郎「猫たち」

豪華な顔ぶれがおわかりいただけることと思います。
この絵画詩集は、1994年7月に創刊され、2008年6月に通算100号を迎えた月刊文学紙『ねこ新聞』の表紙に掲載された絵画と詩をセレクトして誕生したもの。
途中、編集長の病気による5年7か月の休刊を経て復刊し、猫をテーマにユーモアあふれる新聞を作り続けている編集部ご夫妻に、あらためて敬意を表したくなる一冊です。
寒い冬も、この絵画詩集で心を温められること間違いなし!
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2008/12/23

『原爆文学という問題領域』  書籍

ニュースの入稿も無事に終わり、今年も残すところあとわずかとなりました。
今日は年内に紹介しておきたいと思っていた、お薦め書籍の紹介です。

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『原爆文学という問題領域(プロブレマティーク)』(2008年4月15日、創言社発行)。
著者の川口隆行さんは1971年生まれ、広島大学大学院教育学研究科の准教授です。
今年の夏にお送り頂いた書籍ですが、すっかりご紹介するのが遅くなってしまいました。
原民喜の『夏の花』、井伏鱒二の『黒い雨』からはじまり、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』まで、戦後の原爆文学の流れを追いながら、朝鮮人被爆者をめぐる言説や被害と加害の問題、反戦運動との関わりなど、原爆を歴史上の重大事件としてではなく、今日的な意味を発信する問題としてどうとらえていくかを考えさせる内容です。

丸木美術館との関連が大きいのは、「補論T 小沢節子『「原爆の図」――描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』」として小沢さんの著作がとりあげられていること、そして第1章「原爆文学という問題領域」で、元丸木美術館理事の故長岡弘芳さんの『原爆文学史』について言及されていることです。
「原爆に関する文化表象の網羅的論評である」長岡さんの『原爆文学史』は、「時に嘲笑を込めて「原爆もの」と呼ばれたテクスト群を、ひとつの文学ジャンルとして認知させるべく出版界、文学界に要求したものと位置づけられよう」と筆者は述べています。

現在、丸木美術館では、丸木夫妻の元アトリエ「小高文庫」を図書室兼休憩室として一般に公開しています。そこには原爆関連書籍をそろえ、元図書司書のボランティアMさんの協力を得てデータベース化の作業を進めながら、小さな「原爆図書館」を作りだそうと試みているところです。
この「原爆図書館」構想には、(ぼくは直接の面識はありませんでしたが)原爆文学研究の草分け的存在であった長岡さんの遺志を、ささやかながらも具現化できれば……との思いを込めていたので、思いがけず長岡さんの仕事を再評価する文章に出会い、嬉しく思いました。

原爆文学研究に関心のある方のみならず、ぜひ多くの方にお読み頂きたい一冊です。
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2008/12/21

開運! なんでも鑑定団  TV・ラジオ放送

12月23日夜8時54分からテレビ東京で放送される『開運! なんでも鑑定団』に、山形県酒田市の料亭に所蔵されている丸木位里の水墨画の大作が登場するそうです。
お見逃しなく!
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2008/12/20

美術館クラブ「宝石箱をひっこり返してクリスマスグッズを!」  ワークショップ

毎月恒例の丸木美術館クラブ工作教室。
今月は「宝石箱をひっくり返してクリスマスグッズを!」という企画です。
なにやらMさん得意の面白グッズがたくさん登場しそうな企画ですが……

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まずは机の上にひっくり返されたアクセサリーの山をご覧ください。
ネックレスやイヤリング、ピンバッジなどがキラキラと輝いています。
「もしかして、このブランドは●ャネルでは?」
参加された女性陣もやや興奮気味。
でも今日は、このアクセサリーを接着剤で貼りつけて、クリスマス用の置物を作るのです。

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できあがりはこちら。
上品に渋めのアクセサリーでまとめる方もいれば、色鮮やかなゴージャス版を作る方もあり。それぞれ面白い作品ができました。

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そしてこの日は、ふだんワークショップの下準備に活躍されているカルディア会の画家、Tさんがサンタクロースに変装してみんなにプレゼントをくれました。
「かわいい!」と大好評のサンタクロース。さすがのTさんも苦笑いです。

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工作のあとは、みんなでクリスマスの歌を歌い、妻Tと息子Rが作って差し入れをしてくれたクリスマスケーキを食べました。
今年の工作教室はこれでおしまいです。
来年は1月24日から画家・草薙静子さんの案内ではじまります。
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2008/12/20

丸木美術館ニュース第96号  美術館ニュース

昨日夕方、丸木美術館ニュース第96号とボランティア新聞第8号、次々回企画展「丸木位里・丸木俊 足尾鉱毒の図展」チラシの原稿を、S印刷さんに届けました。
納品予定日は年明け1月9日(金)です。これで年内の大仕事がひとつ片付きました。
ニュース発送作業は1月10日(土)、ボランティア募集中です。

今回の美術館ニュースとボランティア新聞の内容は以下の通りです。

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丸木美術館ニュース第96号(発行部数3,200部)

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表紙の絵 丸木位里《臥牛》
表紙の文 丸木位里『絵は誰でも描ける』より

戦争と絵画、平和創造と絵画─第六回国際平和博物館会議を終えて(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長・安斎育郎)
新たな出会いと連携への希望 第六回国際平和博物館会議に参加して(丸木美術館学芸員・岡村幸宣)
文化的平和のアプローチ 丸木美術館との博学連携(大東文化大学 平和学・杉田明宏)

「今日の反核反戦展2008」報告(丸木美術館事務局・鈴木陽子)
「シシュポス・ナウ〜罪と罰のでんぐり返し〜」展(東京藝術大学油画科教授・坂口寛敏)
特別エッセイ 丸木スマの思い出(丸木スマの孫・小田芳生)

丸木美術館日誌(丸木美術館事務局長・奈良間隆哉)
特別展示 炎える王道楽土 ―平野亮彩・絵の素顔―
丸木美術館情報ページ
丸木美術館クラブのお知らせ

土本さんへの弔辞・追補(丸木美術館元理事長・袖井林二郎)
リレー・エッセイ「来場者2万人 神宮寺「原爆の図展」終わる」(神宮寺住職・高橋卓志)
フォト・ギャラリー 2008年11月8日シシュポス・ナウ展作家トークより(撮影・岡村幸宣)
編集後記


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ボランティア新聞第8号(発行部数2,700部)

編集・発行=神田成美、満園節子

〔特集〕文化ボランティアの今そして未来―第4回文化ボランティア全国フォーラムin東京―に参加して(満園節子)
〔連載〕丸木の人々(特別編)万年山えつ子さんより

活動報告
連絡掲示板

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友の会会員の皆さまのお手許には1月中旬に届くことと思います。
どうぞご期待下さい。
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2008/12/19

日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」  TV・ラジオ放送

ここ数日、美術館ニュース編集作業の最後の追い込みで慌ただしい日々を過ごしていました。
ようやく今日原稿が完成し、ボランティア新聞、そして次々回企画「足尾鉱毒の図展」チラシとあわせて、これからS印刷さんに入稿してきます。

   *   *   *

今日は午後に日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」のTディレクターが来館されました。
年明け1月13日(火)11時55分より放送の番組内の「きょうは何の日」というコーナーで、丸木俊の命日(2000年1月13日)を取り上げて下さるそうです。
「子どものころに『ひろしまのピカ』を読んだことをよく覚えています。今日初めて《原爆の図》を見たのですが、すごい迫力に圧倒されました。日本じゅう、いや世界じゅうの人に見てもらいたい絵ですよね!」とTディレクター。
放送時間は10数分とのことですが、丸木俊の生涯、そして夫位里との共同制作《原爆の図》や、色鮮やかな油彩画、絵本原画などが紹介されることになりそうです。
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2008/12/16

ちひろ美術館/「人類館」公演  館外展・関連企画

今日は午後から、ちひろ美術館・東京で開催中の「ちひろと水墨」展に足を運びました。絵本作家いわさきちひろに芸術面で多大な影響を与えた丸木位里の水墨画と、赤松俊子(丸木俊)のデッサンも出品されています。2階の企画室に展示された位里の水墨画、とりわけ《臥牛》《鷺》《妙義山》などの力作は、空間をねじふせ圧倒するような迫力を感じます。
特に事前の連絡もせずに急に思い立って訪れたのですが、安曇野ちひろ美術館のT副館長が出て来て下さって挨拶をして下さいました。そして総務主任のNさんといっしょにカフェでお茶を飲みながら雑談。丸木夫妻とちひろさんは、ある時期から政治的立場の問題で交流を絶ち、そのまま生涯再会することはなかったのですが、今日Nさんから、「晩年に丸木俊さんが、ふらりとちひろ美術館に立ち寄って下さって、とても嬉しかった」というお話を聞いて、少しほっとしました。
今回の企画は、ちひろ美術館で初めて丸木夫妻の作品が展示されるという歴史的な展覧会でもあります。

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夜には早稲田大学大隈講堂で行われた戦後沖縄を代表する戯曲「人類館」(1978年岸田戯曲賞受賞、知念正真作)を鑑賞しました。この戯曲は、1903年に大阪で行われた内国勧業博覧会の場外パビリオン「学術人類館」で琉球やアイヌの人たちが民族衣装で陳列された「人類館事件」を題材にしたもので、現在東京国立近代美術館で開催中の「沖縄・プリズム 1872-2008」のイベントの一環として、30年ぶりに一夜一幕かぎりで東京公演が実現したのです。
実は「沖縄・プリズム」展については、「琉球処分以来の近代国家日本と沖縄との関係性を批判的に検証すると言いながら、沖縄戦や基地問題が抜け落ちている」との指摘がH館長はじめ丸木美術館関係者から聞こえていました。しかし、この夜行われた熱演は、「沖縄・プリズム展」の最後のピースを見事に埋めるものだと感じました。
“人類の差別を解消するため、彼らの姿を正しく知らなければならない”との目的で作られた「人類館」という抑圧的な装置を舞台に、戦前の皇民化教育、沖縄戦におけるひめゆり部隊や鉄血勤皇隊、集団自決、ベトナム戦争下の売春婦など、場面はめまぐるしく変化しながら、沖縄の歴史の重みが表現されます。30年前の上演時、沖縄の人が泣きながら笑い転げたというこの喜劇。そのセリフは、次々と聞く者の胸に突き刺さります。

「沖縄の言葉を話してはいけないと言っただろう! われわれの理解できない言葉があるとは我慢がならない。私たち日本人は、日本語で泣き、笑い、語り合うべきだ。それでこそ国家はひとつにまとまるのだ!」
「この赤ん坊は大きな声で泣きわめいて、われわれの所在を敵に通報しようとした。よって、スパイの容疑で処刑する!」
「われわれは命がけで貴様らの命を守ってやっているんだ。少しくらい良い思いをさせてくれてもよいではないか。なに、子種ならいくらでもくれてやる」
「戦争の後遺症のため魂の深遠で苦悩した沖縄県は、精神病発生率が全国1位である。この苦悩を解消するには、精神の回復、すなわち大和魂の復活しかない!」
「ベトナム黒人兵が性欲をもてあましている。これは日本女性の危機である。極東アジアの安全保障のため、日本の防波堤として、黒人に抱かれてくれ」

幕が下りると、講堂を埋め尽くした約1000人の観客からは万雷の拍手が響きました。
そして、「すごい戯曲だった」「来て良かった」という声が、客席のあちこちから聞こえてきました。
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2008/12/15

両岡健太展  他館企画など

12月14日から20日まで、銀座1丁目のギャラリー・フォレストで、いつも美術館のボランティアをしてくれている両岡健太君が展覧会を開催しています。
両岡くんは、大学で日本画を学んだ後、アルバイトで生計を立てながら、岩絵具をもちいて中世ヨーロッパ風のタブローを制作しています。有元利夫の影響を多分に受けつつ、近ごろは、静謐で明るい画面の有元作品に比べて、どちらかというとやや暗い翳を背負った半獣半人や魔術的な主題の作品に近づいています。

今日は美術館の休館日だったので、午後に展覧会場を訪れました。
最近はジェームズ・ブレイザーの『金枝篇』に関心を寄せているとのことで、新作のなかにはその『金枝篇』を題材にした《森の王》と題する作品もありました。黒く深い森のイメージは、具象と抽象とのあいだを漂いながら、画面にあらたな奥行きが生まれたことを感じさせます。
お近くにお出かけの際は、ぜひギャラリーを覗いてみてください。
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2008/12/14

ヨシダ・ヨシエ氏取材  来客・取材

今日は朝一番に美術批評家のヨシダ・ヨシエさんが来館しました。
午後から朝日新聞社のT記者の取材で、《原爆の図》にまつわる話をされる予定とのこと。
貴重な機会なので、午前中は事務室でストーブに当たりながら《原爆の図》を背負って全国を巡回したヨシダさんの体験の聞き取り調査を行いました。ヨシダさんは50年前のことも非常に詳しく記憶されているのですが、こちらから質問したことをそのままお話くださるとは限りません。どちらかと言うと、ご自分でお話になりたいことを自由に話される場合が多いので、資料を目の前でお見せしたり、機会をうかがいながら話の方向の修正を試みたりしながら、さまざまなお話を伺いました。

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午後、T記者が到着されてからは、インタビューの場にごいっしょしながら、ヨシダさんご自身の前半生をじっくりと聴くことができました。一度はゆっくり伺いたいと思っていたのですが、想像以上に波乱万丈で興味深かったです。
結局、インタビューが終了したのは閉館時間をかなり過ぎた後でした。日が暮れて真っ暗になった美術館からタクシーで駅に向かい、お二方とともに電車に乗って帰宅しました。
このインタビューの内容は、来春の『朝日新聞』夕刊「ニッポン人脈記」のなかで紹介されるとのことです。
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2008/12/13

理事会/理事評議員合同会議  その他

午後から理事会があり、来年度人事や企画展案などが討議されました。来年度企画展スケジュールは原案どおりに承認されて、早々と決定しました。これで来春の企画展も余裕を持って準備することができるでしょう。

その後は理事・評議員合同会議が行われ、夕方からは忘年会。
事務局のY子さんが昨日から仕込んでくれた美味しい汁を皆でつつきながら、和やかにこの一年を振り返りました。
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2008/12/13

「こどものとも」と埼玉の絵本作家  館外展・関連企画

昨日、さいたま文学館のD学芸員が来館され、来年4月25日(土)から6月7日(日)までさいたま文学館で開催予定の企画展「『こどものとも』と埼玉の絵本作家」に、丸木俊(赤松俊子)の『そりにのって』(1961年)、『どんぶらこっこ すっこっこ』(1999年)の絵本原画を出品することになりました。
この展覧会は、1956年4月に創刊された福音館書店の月刊絵本『こどものとも』に関わった埼玉県内出身・在住などの作家(丸木夫妻はじめ、瀬田貞二、石井桃子、大道あやら)の作品を紹介する企画です。

5月中旬には、丸木俊の姪のひさ子さんと岡村が同館文学ホールにて講演を行うことになりそうです。詳しくは後日ご紹介いたします。
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2008/12/11

板橋区美「新人画会展」/練馬区美「石田徹也展」  他館企画など

このところずっと体調不良気味でしたが、東松山市環境保全課のKさんと約束をしていたので、午後から板橋区立美術館「新人画会展」と練馬区立美術館「石田徹也展」を観て回りました。

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板橋区立美術館で開催されている「新人画会展」(来年1月12日まで)は、丸木夫妻とも親交のあった靉光や井上長三郎、寺田政明をはじめ、松本竣介、麻生三郎、鶴岡政男、糸園和三郎、大野五郎の8人の油彩画家が1943年に結成した新人画会の活動を検証する展覧会。
15年戦争末期の1943年頃から敗戦までは、急速に自由な作品発表ができなくなる時期で、展覧会の数も少なく、美術雑誌も大幅に統廃合され、当時の資料もほとんど残っていません。新人画会も翌年までに3回展覧会を開催していますが、その全貌を知ることは今となっては不可能でしょう。
今回の展覧会は、第3回展の会場になった銀座の資生堂画廊の内部の様子を復元し、3回の展覧会の出品作をできるだけ再調査して展示するという地道な企画でした。
会場には担当のH学芸員の姿も見え、挨拶をすると逆に「丸木美術館には新人画会の資料など残っていませんか?」と質問をされました。残念ながら、丸木夫妻自身の関わっていない展覧会の資料はほとんど残っていないのですが。
この頃の丸木夫妻の活動について調査するのも至難であり、たとえば1943年8月10日−22日に広島の世良画廊で開催された靉光と丸木位里の二人展にどんな作品が展示されたのかを、個人的にはぜひ知りたい(油彩画と水墨画を主とする両者の影響関係に新たな視点が見出せるかもしれない)と思っているのですが、現時点でそれを知る手がかりはまったく残されていません。
この企画で感じたのは、むしろ二度と再現することのできない失われたものの存在感の大きさでしたが、展覧会自体は松本竣介や靉光らの代表作が展示され、なかなか見ごたえのあるものでした。

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練馬区立美術館「石田徹也展」(12月28日まで)は、1973年生まれ、2005年に31歳の若さで夭折した画家・石田徹也の回顧展。静岡県の焼津に生まれたことから、「第五福竜丸をとおして、ベン・シャーンのような絵描きになりたいと思っていた」とのことで、自身の分身と思えるような人物像を通じて、現代社会の不安感を、イラストレーションのような手法で精緻に描きこんだ作品には圧倒的な存在感があります。強いて言えば初期はサラリーマン社会や学校生活を題材にした世相風刺的な作品が目立ち、後期になるほど内省的な作品になっていくのですが、一貫しているのは「生きることの悲しみ」と言うべきか、どうしようもないほどの寂寥感。画面の隅々まで破綻なく描きこまれた絵画は、そのためにかえって、何か大きな破綻というか、落ち着かない気持ちを見る側に感じさせます。
彼が疾走するように描いた10年の歳月は、そのまま「ニート」や「フリーター」を生み出した“ロスジェネ”の時代に重なります。同世代に生きる者として、時代の空気を見事につかみとった鮮やかな表現力に感嘆する一方で、現代にまだこれほどストイックに「絵画」に打ち込む人がいたのかと驚かされる思いもしました。その精神性は、どこか「池袋モンパルナス」の画家たちに通じるものがあったのかも知れません。

久しぶりにゆっくりと他館の展示を堪能し、夕方からは池袋で企画委員会。
来年度の企画展について、H館長やM企画委員長らと討議しました。
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2008/12/5

1959年の丸木夫妻  作品・資料

少し前に資料整理をしていたところ、1959年の丸木夫妻の新聞資料の切り抜きがごっそり入った封筒を発見しました。『アカハタ』や『婦人民主新聞』などの記事が主なのですが、当時の丸木夫妻の足跡が詳しくたどれる貴重な資料です。
ここ数日、その新聞資料を読みこみながら資料用年譜に整理しています。

1959年が丸木夫妻にとってどういう年だったかというと、まず、《原爆の図》10部作の世界巡回展がオーストラリアを離れて、ソ連に向かった年でした。
5月28日にはモスクワのゴーリキー平和公園陳列館で「原爆の図展」がはじまっています。丸木夫妻は開幕式には参加しませんでしたが、6月4日に訪ソ使節団の一員として神戸港を出航し、ナホトカ、ハバロフスクを経てジェット機で8日にモスクワに到着しています。6月25日には市民集会「平和擁護の夕べ」に参列し、歓迎を受けました。このときには、ソ連在住の片山ヤスや岡田嘉子の出迎えも受けたようです。

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左から2人目・片山ヤス、中央後方・俊、右端・岡田嘉子
〔『アカハタ』1959年8月9日〕

夫妻は7月26日に帰国しましたが、「原爆の図展」は8月14日から10月13日までレニングラード国立ロシア博物館で開催され、その後、キエフ、スターリングラード、ノボシビルスクなど1960年9月まで約1年半、ソ連各地を巡回しています。
当時の新聞には、ソ連の文化人や一般市民がどのように《原爆の図》を受け止めたのか、感想やスピーチが詳しく掲載されています。

また、この年は、日本で虹書房から『原爆の図画集』が、中国で『日本画家丸木位里・赤松俊子作品選集』と題する《原爆の図》を主にした画集が、ソ連でも《原爆の図》を収録した画集が、それぞれ出版されています。1952年に青木文庫版『原爆の図画集』が出版されて以来の刊行で、《原爆の図》第6部から第10部までは、このときにはじめて画集に収録されました。虹書房版には、第9部《焼津》、第10部《署名》の加筆修正前の状態が掲載され、資料としても貴重なものになっています。

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写真は上が第9部《焼津》、下が第10部《署名》。《焼津》の右半双に描かれている富士山は後に第五福竜丸に描き換えられました。それぞれ現在の作品と比べてみると興味深いです。
丸木夫妻は、虹書房版刊行の際に「九部・十部はいろいろな点で気にいりませんので、小さく入れることにし、そのかわりに今描いて居ります高野山の摩尼宝塔におさめさせていただく原爆の図二点をこの画集に入れたいと思つて居ります」と記していて、実際、第9部《焼津》と第10部《署名》は他の作品より小さく掲載されています。

《原爆の図》は、60年代に入ると周囲の政治的状況に翻弄され、ソ連から日本に返還されて美術館建設へと向かうことになります。50年代の世界巡回展から60年代の混乱の分岐点となった1959年。オーストラリアからソ連に強引に巡回展を取り上げるかたちになったのも、混乱の前兆のひとつだったのかも知れません。
この時代のことは、もう少し詳しく資料に当たりながらまとめていきたいと思います。
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