2008/10/31

文化ボランティア全国フォーラム分科会  ボランティア

昨日から「文化ボランティア全国フォーラム in 東京 2008」が開催されています。
今日は丸木美術館のボランティア―M年山さん、H川さん、M園さん、K林(T)さんといっしょに、世田谷美術館で行われた分科会「ボランティア無しには何も始まらない! 〜ボランティア大自慢大会〜」に参加しました。

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事例発表をしたのは、原爆の図丸木美術館ボランティア、九州国立博物館を愛する会、国立民族学博物館みんぱくミュージアムパートナーズ、世田谷美術館ボランティア鑑賞リーダーの4団体です。
このフォーラムに丸木美術館が参加することになったのは、今年の春からはじまった世田谷美術館ボランティアとの交流がきっかけでした。
丸木美術館のボランティアのあり方を高く評価して下さる世田谷美術館のA谷学芸員が、「ぜひフォーラムに参加してください」と声をかけて下さったのです。

本来ならば、5月の世田谷美術館とのボランティア交流会で、丸木美術館ボランティアの概要をまとめてくれたボランティア新聞編集長のK田(N)さんに発表をしてもらえれば良かったのですが、都合がつかなかったため、彼女のまとめた内容を生かしながら、当日参加されたボランティアの方々のコメントを取り入れ、約20分間の発表を行いました。
発表の最後にはH川さんがギターを弾き、M年山さんが躍りながら、会場全体を巻き込んでパフォーマンス。さらにはワークショップで作った作品を賞品にジャンケン大会を行うなど、他館を圧倒する(呆然とさせる?)楽しい発表になりました。

20年間の活動の果てに国立博物館の誘致に成功した「九州国立博物館を愛する会」や、美術館活動に密接につながりながら存在感を発揮している「国立民族学博物館みんぱくミュージアムパートナーズ」、「世田谷美術館ボランティア鑑賞リーダー」の発表も、それぞれとても興味深いものでした。
こうした会はたいてい、終わった後に結局はそれぞれ「やっぱりうちの館が一番ね」と、愛を確かめることになる(そして、それはそれで良いことだと思う)と、A谷さんは言っていましたが、丸木美術館のボランティアの良いところは、子どもを含めて老若男女さまざまな世代や立場の人が、自由に自分の持てる力を発揮し、人とつながることができる点なのだと、あらためて感じた一日でした。この美術館のボランティアの人間関係の濃密さ、美術館運営との関わりの深さは、他に類のない大切な“自慢”なのですね。

   *   *   *

フォーラムに参加された丸木美術館ボランティアの方々とは、その後、用賀駅の近くのラーメン屋でラーメンを食べ、西池袋のブックギャラリーポポタムで開催中の「丸木さんちの猫」展に立ち寄りました。
丸木俊の描いた猫を中心にした絵画展、11月8日まで開催しています。
お問い合わせは03-5952-0114ブックギャラリーポポタムまで。
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2008/10/30

大東文化大学「平和学B」授業第2回  講演・発表

今日も丸木美術館は午前中から「シシュポス・ナウ展」の展示作業。

午後は大東文化大学のコミュニティ・ギャラリーに原爆の図第1部《幽霊》の原寸大複製を展示し(学生たちが手伝ってくれました)、午後4時40分からの「平和学B」で、鑑賞授業を行いました。

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                    (写真提供:杉田明宏氏)

ゆっくり時間をかけて、一枚の絵を見つめる。
描かれているのは、原爆による犠牲者の肉体と精神の痛み。
そこから何が伝わってくるのか。何を読み取ることができるのか。
自分たちが体験したことのない世界に、想像力を広げてみる。

絵を見た後で、学生たちには、ひとりずつ短い感想を話してもらいました。
同じ絵を見ても、感じたことは皆それぞれ違います。
ひとりひとりが丸木夫妻の残した絵を通じて、意識的にせよ、無意識にせよ、60年以上前の戦争に、時間と距離を越えて心を向き合わせていたことがわかります。

学生たちの感想のあとで、《幽霊》をはじめ「原爆の図」について、少しだけ話をしました。
「原爆の図」の大きな特徴は、人間の肉体が繰り返し描かれているということ。キノコ雲や原爆ドームなどの廃墟ではなく、被爆者の肉体と精神の痛みこそ、二人が描き残したいと思っていたこと。キノコ雲の下の被爆者の視点から原爆という大事件を見つめた丸木夫妻の態度こそ、過去の戦争を見つめる上で、忘れてはならないこと。
国境や世代を超えて、知識ではなく感覚によって戦争の痛みに対するイメージを喚起するのが、「文化(芸術)の力」だということ。

来週は、いよいよ特別授業の最終回。
「原爆の図」のその後の展開や、丸木夫妻の現在の活動、世界国際平和会議における各国の平和活動の事例などを話す予定です。
学生たちが「原爆の図」を使って、子どもたちに戦争をどう伝えていくのか、模擬授業を行ってくれるそうなので、そちらも楽しみです。
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2008/10/29

「シシュポス・ナウ展」展示(4日目)  企画展

今日も夜遅くまでシシュポス展の展示作業。
伊東さんは今日も朝から知人のボランティアといっしょに土運びです。

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午後になると、ずいぶん完成が近づいてきました。
「なぜ、展示室に土手を?」
ボランティアや来館者の方から、何度も伊東さんは訊ねられました。
「いや、そこに意味を作りたくないんだよね」
というのが伊東さんの答えです。
それにしても、自然の素材の圧倒的な迫力と存在感。
伊東さんは、土手の周囲に何を展示するか、あるいは何も配置しないのか、ずっと悩み続けている様子です。

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今日は他の出品作家の方も、坂口さん、潮田さん、小川さん、増山さん、佐々木さんが来館し、大にぎわいの大いそがしとなりました。
特に佐々木さんは、ご自分の担当する生徒さんを「実地授業」として連れてきて下さり、大いに作業が助けられました。
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2008/10/28

シシュポス・ナウ展展示(3日目)  企画展

今日はいよいよ伊東さんの作品の土運びがはじまりました。
集まったボランティアは、伊東さんの知人を中心に計6人。K林(T)さんは3日連続で来て下さいました。

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観音堂前に積み上げられた土を、一輪車を使って企画展示室に運びます。
特設の道をつたって土手の上まで一輪車を走らせ、そこで土を降ろします。
今日の作業では、奥側の斜面の土をほぼ運び終えました。
土手の奥から展示室を見ると、かなり迫力があります。
高さ約1.8mの土手の上から、向こう側にいる人の頭だけが飛び出して見えます。

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今日はそのほかに、「反戦反核展」特別出品のイスワント・ハルトノさんの作品の撤去・搬出作業が終わりました。
今のところスケジュールは順調に進んでいます。
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2008/10/27

シシュポス・ナウ展展示(2日目)  企画展

休館日ですが、シシュポス・ナウ展の展示作業のため開館。
職員3名に加え、地元役員のK林(T)さん、Jさん、Dさん、K田さん、T野さん、S木(E子)さんがお手伝いに来て下さいました。
「反核反戦展」の作品梱包・返却作業に並行して、企画展示室では小川町の建築士Sさん(丸木美術館の設計者)や大工さんを中心に大規模工事が行われています。
「シシュポス展」の出品者・伊東孝志さんの作品で、企画展示室に土手を作るのです。

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まずは床を傷つけないように緩衝材を張り、その上に角材で土台の骨組みを作ります。
骨組みが完成すると、その上に板を張ります。
板の上からさらに湿気止めのゴム板を敷き、土砂流れ止めの横板を張っていきます。
これで土台は完成。土手が部屋に対して斜めに設置され、不思議な空間が生まれそうです。
明日からはいよいよ土運びがはじまります。
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2008/10/26

企画展展示替え(初日)  ボランティア

昨日、「今日の反核反戦展」が終了し、今日は展示替え作業日です。
ボランティアにはK林(M)さん、M園さん、評議員のK林(T)さんとO関さんが来てくれました。
作業内容は、反戦展出品作の撤去・梱包作業と《原爆の図》第12〜14部の展示、照明の調整、次回企画「シシュポス・ナウ展」の準備です。

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写真はM園さんとO関さんのコンビ。手際よく次々と作品を梱包して下さってとても助かりました。
また、出品作家のY川さんも他の出品作家の分を黙々と梱包して下さいました。

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N事務局長を筆頭に、男性陣は照明の調整と次回企画の準備作業を行いました。
「シシュポス・ナウ展」はかなり大がかりな展示作業となる見込み。出品作家のうち、伊東さんが大工さんを、佐々木さんが生徒さんを連れて来館し、展示の準備を行いました。
ちなみに伊東さんはいまだ作業中。午後8時くらいまではかかりそうかな……
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2008/10/23

大東文化大学「平和学B」授業 第1回  講演・発表

夕方4時40分から、大東文化大学にて「平和学B」の授業を行いました。
これから3週連続で授業を担当することになります。
初日は《原爆の図》が描かれる1950年頃までの丸木夫妻の足跡と社会の状況について、スライドやビデオを用いながら話をしました。

学生の数は30人ほど。《原爆の図》を見たことがある学生、つまり丸木美術館に来たことがある学生は半数くらいで、丸木美術館を知らないという学生も何人かいました。
そこで、まずは導入として1953年に公開された今井正・青山通春監督による記録映画『原爆の図』(17分)を上映。現在の洗練された映像を見慣れている若い学生にとっては、かなり衝撃が大きかったようで、「今の映画とは全然違うが、戦争の痛手が伝わってくるようだった」との感想もありました。

続いて観てもらったのは、日露戦争から15年戦争にかけての、さまざまな画家による「戦争画」の画像。「平和学B」の授業を担当されるS先生によると、この講義の目的は、「文化的平和(直接的暴力や構造的暴力を不当なものとみなし、共感・共存・調和を促進する価値観・態度・思考様式・信念体系)」のアプローチを深めることだといいます。その「文化的平和」の代表例が《原爆の図》であるとするならば、逆の立場にあたる「文化的暴力」の代表例である「戦争画」がどのように戦争を支えていったのかも、学生に観てもらおうと考えたのです。
紹介したのは、鹿子木孟郎《日露役奉天戦》、小磯良平《娘子関を征く》、中村研一《馬来(マレ―)沖海戦》、中山巍《神兵奮戦之図(落下傘部隊パレンバン精油所攻撃)》、伊原宇三郎《特攻隊内地基地を発す》、藤田嗣治《アッツ島玉砕》など。とくに《アッツ島玉砕》は、肉体の重なりなどの点で《原爆の図》に似ているとの指摘もあることを紹介すると、「戦争を推奨する絵と悲惨さを考える絵が似た部分があるというのは考えさせられた」と、新鮮な驚きがあったようでした。

また、1943年に結成された女流画家奉公隊による《大東亜戦皇国婦女皆働之図〈秋・冬の部〉》も「銃後」を支える戦争画として紹介し、戦争画とは逆の立場だけれども時代の空気を描いた作品として靉光《眼のある風景》、松本竣介《立てる像》などを観てもらいました。《眼のある風景》については、「まったく何の絵かわかりませんでしたが、当時の様子があらわされているようで、奥の深いものに感じた」との率直な感想もありました。

丸木夫妻の戦時中の生活や、広島で原爆を目の当たりにした体験を話したあとは、敗戦後に戦争の傷痕を主題にして描かれた画家たちの絵画を紹介。福沢一郎《敗戦群像》、鶴岡政男《重い手》、香月泰男《埋葬》、浜田知明《初年兵哀歌(風景)》など、特に人間の肉体を描いたものを中心に選びました。
続いて紹介したのは、丸木夫妻以外の画家が描いた原爆のイメージ。古沢岩美《憑曲》に登場するキノコ雲や、原爆投下翌日の焼け跡風景を描いた福井芳郎《ヒロシマ》、ピカソの《ゲルニカ》を模したような山本敬輔《ヒロシマ》などです。これらの作品は1948年頃に描かれており、丸木夫妻が《原爆の図》制作を決意したのとほぼ同時期なのも興味深いところです。
また、1951年に描かれた山下菊二《オト・オテム》に登場するケロイドの少年のイメージがアメリカの雑誌『ライフ』から引用されたことを例に出しながら、当時はGHQによって原爆報道が禁じられていたため、丸木夫妻ら画家たちは数少ない情報と体験者の証言などをもとに原爆のイメージをさぐっていったことを説明しました。

そして、いよいよ《原爆の図》の登場。
今日あえて《原爆の図》の詳しい解説をしなかったのは、次回の授業で第1部《幽霊》の原寸大複製画の鑑賞授業を行うため、まずは先入観なしで学生それぞれの視点から絵画を読みこんで欲しいと考えたからです。
次回の授業では、学生たちが絵から受けた印象などを聞きながら、丸木夫妻が原爆をどのように表象していたのか、詳しく解説していく予定です。
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2008/10/21

中国新聞記事/美術館ニュースなど  その他

朝、中国新聞社のKさんから、今日の朝刊に掲載されたという国際平和博物館会議の特集記事が送られてきました。広島の原爆資料館の展示見直しに対する問題提起という視点で、とても興味深い内容でした(後日、日英両語でヒロシマ平和メディアセンターのサイトにもアップ予定)。
中国新聞には丸木美術館の紹介記事を依頼されており、今週末が締切りです。
今日は木曜日からの大東文化大学の講義のため、レジュメを制作して担当のS先生に送付しました。あとはスライドの準備が残っています。

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美術館ニュース第95号の反響が、少しずつ聞こえてくるようになりました。
「おもしろい記事がいっぱいあり、いっきに読ませていただきました」と、沖縄のSさん。
とりわけ、小沢節子さんの「命の花咲く地獄―スマ・あや・俊の絵画世界」と題する論考には、あちこちから「心を打たれた」との声が聞こえてきます。

お忙しいなか、原稿を執筆して頂いた皆さまに心から感謝です。
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2008/10/19

「シシュポス・ナウ展」のお知らせ  企画展

11月2日(日)から来年1月10日(土)まで開催される「シシュポス・ナウ―罪と罰のでんぐり返し―」展のお知らせです。

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この展覧会は、東京藝術大学油画教授・坂口寛敏氏の企画により、丸木夫妻の《原爆の図》に触発されながら新たな表現の地平を切り拓く東京藝術大学出身の7人の現代美術家の作品を紹介する試みです。
通常の企画展示室に加え、「原爆の図」や《アウシュビッツの図》、《南京大虐殺の図》、《水俣の図》などが置かれている展示室にも作品を設置し、世代を超えた芸術家の表現が共演する空間を作り出します。
丸木美術館にとっては、今までにない規模の現代美術展になりますので、どうぞご期待下さい。
以下は、企画者の坂口寛敏氏による企画メッセージと展示概要、参加作家の紹介(写真は参考作品)です。

   *   *   *

「シシュポス ナウ―罪と罰のでんぐり返し―」展
  坂口寛敏(東京芸術大学油画教授)
 
 「コリントの王シシュポス(Sisyphus)は、ゼウスに背き死神をだましたため死後地獄に落とされ、大理石の大石を山頂に押し上げる罰を課せられたが、大石は山頂近くで必ず転げ落ち、その苦行は果てしがなかった。」(ギリシャ神話)

 頂上まで大石を持ち上げてしまえば終わると思われた労役は、山の斜面を大石とともに上がったり下がったりし続けるシシュポスの内に、時間軸を通じた社会と言う山形とその営みの様相を相対化し、視覚化する喜びを持たらしたのではなかったのか。罪と罰のでんぐり返しの様相である。本展はシシュポスの労役が新たな世代に受け継がれ、あいは意味を変換され、次々に連鎖して永続する創作活動の現在として丸木美術館に展開される。これらの新たな世代の作品群がここに労役として接続されることで、丸木位里、俊が「原爆の図」等で現した作品群と連動した場を作る展覧会としたい。

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●会期中の関連イベント(美術館入場券で鑑賞できます)
11月8日(土)13時〜アーティストトーク その後オープニングパーティ
11月26日(水)15蒔〜トーク【戦争と美術】
 カーシム・サブティー(イラク人画家・画廊主催)/坂口寛敏(東京芸術大学油画教授)
11月29日(土)13時〜パフォーマンス【母乳vs受身〜遺伝子異常でも繋がりたいの★】
 佐々木裕司×増山麗奈・白井愛子(桃色ゲリラ)
 15蒔〜トーク【政治とアート】
 18時〜革命鍋&キャンプ(+1000円/食費込み)
 注)キャンプ道具をご持参ください。野外宿泊です。

   *   *   *

●参加作家

坂口寛敏 Hirotoshi SAKAGUCHI
1949年 福岡市生まれ
1975年 東京芸術大学大学院油画修了
1983年 ミュンヘン美術アカデミー卒業
現在 東京芸術大学美術学部絵画科教授

1999年 「現代日本彫刻展」、宇部市野外彫刻館、山口(東京国立近代美術館賞受賞)
2000,03,06年 越後妻有アートトリエンナーレ、新潟
2006,07,08年 まつしろ現代美術フェスティバル 長野
2007年 「坂口寛敏展」渋川市美術館・桑原巨守彫刻美術館、群馬
2007年 「プライマリー・フィールド」神奈川県立近代美術館葉山館

メッセージ:人は自立して生きるために環境から学び、創造力を得、再びそれを環境へと還元する。

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伊東孝志 Takashi ITO
1958年 群馬県富岡市生まれ
1984年 東京芸術大学大学院油画終了
現在 埼玉県小川町在住
(個展)
2006年 伊東孝志展 ART214 埼玉県小川町
2008年 伊東孝志展 - 刻跡 - 秋山画廊 東京
(グループ展)
2006年 「サバイバルアート」 旧麻屋デパート跡 前橋
「とまどう」展 ART214 埼玉県小川町
2007年 「DANKEあーとプロジェクト2007」 赤城高原牧場
クロ?ネンベルク・ドイツ村 前橋
「ブルーノ・タウトとひかり」展
小林山だるま寺境内 洗心亭 高崎

メッセージ:丸木美術館 ― これほど知名度の高い美術館を私は他に知らない。
そしてまた、これほど強い方向性、特徴を持つ美術館も私は他に知らない。
今回、この場に、自分がどう反応し制作するのか、楽しみにしている。

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潮田 友子 Tomoko USHIODA
1947年 宇都宮市生まれ
1972年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
1983年 ミュンヘン美術アカデミー卒業
1983,88年 個展 コルドンハウス、カーム市立ギャラリー(ドイツ)
2000,03,06年 「越後妻有アートトリエンナーレ」 新潟
2004年 「ディスタンス展」 栃木県立美術館
2008年 まつしろ現代美術フェスティバル 長野

メッセージ:太陽系の涯をめざして飛び続けている宇宙船。三叉路の標識には、矢印だけが示されている。後方に人の住まう地域、前方にコンクリートの建築群、左手に夕日がてらす水面、長い夏の夕暮れ、私達は、この同じ道を辿っていく。

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小川佳夫 Yoshio OGAWA
1962年、静岡県藤枝市生まれ
1990年、東京藝術大学美術学部大学院絵画科油画専攻修士課程修了
1995年〜2007年までアーティストビザを取得し渡仏パリ在住
(グループ展)
1994年、第1回VOCA展、上野の森美術館(東京)
2004年、ギャルリ・パスカル・バンネック、(カシャン、フランス)
2007年、パリへー洋画家100年の夢展、東京藝術大学美術館(東京)
(個展)
2005年、ギャルリ・アンドレマセ(パリ)
2007年、サンピエール・ド・モンルージュ(パリ)
2008年、ギャルリ・ピエリック・トゥシュフー(ソー、フランス)
ギャラリーf分の1、表参道画廊(東京)

メッセージ:わたしのなかの「記憶の底の光景」、を画布に写したいと考えています。それは眼に見える世界だけはなく、五感に訴えてきた全ての「イメージ」(例えば、匂い、温度、湿度、音、肌触り、……等)を指します。

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佐々木裕司 Yuji SASAKI
1960年福岡県出身
1990年東京芸術大学美術学部油画科専攻卒業  現在 お茶の水美術専門学校講師
1989年5月「天皇展」東京芸術大学学生会館
1994年6月「縁日風景'94パリ」参加 パリ、バスティーユ広場
1994年10月〜12月「辻説法似顔絵千人斬」MANIFEST'94参加 表参道
1995年11月パフォーマンス「多喜二の夢―CRUCIFIXION」MORPHE'95参加 CLUB BLUE
2006年12月「私もまた7月28日に生まれた…がしかし!」ギャラリーエス 青山

メッセージ:凄いことになって来た。部屋に入ると奥の壁面に「南京大虐殺の図」
その反対は「水俣・原発・三里塚」両側に「水俣の図」と「アウシュビッツの図」
その真ん中床面に受身絵画のパフォーマンスを投影する。乞うご期待!




増山麗奈 Rena MASUYAMA http://renaart.com
1976年 千葉県千葉市生まれ
2001年 東京芸術大学油画中退
2003年 カワイイ系反戦アート集団「桃色ゲリラ」立ち上げ、各地でパフォーマンス
2007年 絵本「幼なじみのバッキー」で第10回岡本太郎現代芸術賞入選
横浜ZAIMにて「ART LAN@ASIA」総合キュレーション
2008年 増山麗奈ドキュメント映画「桃色のジャンヌ・ダルク」(鵜飼邦彦)製作中
超左翼マガジン「ロスジェネ」編集委員。 メディアミックスで活躍中!

メッセージ:貧困も放射能もいや〜ん!アジアは聖なる母乳の源泉!戦争とエロス、原爆とゲイダイ。私を苦しめ、そして奮い立たせてくれたトラウマが交差する。いのちと繋がる麗奈タンわーるどは、恋という闘いなのら!

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柳 健司 Kenji YANAGI
1961年 福岡県生まれ
1988年 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
1995年 チェルシー美術大学大学院彫刻科修了
1995〜1996年 文化庁芸術家在外研究員としてロンドンに滞在

1994年 ファーレ立川アートプロジェクト(東京)
2000年 越後妻有アートトリエンナーレ(新潟)
2003年 個展 渋川市美術館(群馬)
2005年 「ブルーノ・タウトを讃えて」少林山達磨寺 洗心亭(群馬)
2006年 「とまどう」ART214(埼玉)
2007年 個展 秋山画廊(東京)

メッセージ:十数年前、広島原爆資料館で見た一台の被爆した三輪車。資料館で受けた多くの衝撃的な記憶が薄れていく中で、その三輪車は、なぜか私の脳裏に今も強く焼き付いている。

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2008/10/18

美術館クラブ「意外なものから首飾りが……」  ワークショップ

毎回驚きの素材で参加者を楽しませてくれる美術館クラブ工作教室。
今日は、机の上に大量のボタンが現れました。いつも材料を用意して下さるM年山さんの言うところでは、「10年分のコレクション」とのこと。

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これらの材料を利用して、色鮮やかで、ちょっと面白い、オリジナル首飾りを作ってしまおうというのが今回のワークショップです。案内人は、画家の谷口幹郎さん。
もちろんボタンだけではなくて、赤や緑のきれいな色の木製の玉も用意されているのですが、それだけで首飾りを作ってしまっては、ありきたりで面白くない。
やっぱり不揃いのボタンを使って、よく見ると大きさや形がずれているけれども、全体的に不思議な調和がとれている、という首飾りを作りたくなります。
大きなボタンを揃えてみたり、小さなボタンでおしゃれにまとめてみたり、皆さまざまに工夫をして作りました。

できあがりは、こんな具合です。

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ガラス球を使って作った、小さな腕輪も端の方に写っています。

次回の美術館クラブは11月15日(土)。布作家の青海しとみさんの案内で、「きもの地をゆかいにアレンジしようよ」という内容のワークショップを行います。
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2008/10/17

James Kirkup氏の詩  作品・資料

先日、京都の国際平和博物館会議でお会いした国連事務総長軍縮問題顧問のKate Dewes氏から、《原爆の図》を主題にした詩をお送り頂きました。
作者は英国詩人のJames Kirkup氏です。
「GHOSTS, FIRE, WATER」と題するこの詩の存在は、今回、Dewes氏にご教示頂いて初めて知りました。30行に及ぶ長めの詩ですが、その冒頭の数行をご紹介します。

GHOSTS, FIRE, WATER
by James Kirkup
(On viewing the Hiroshima panels by Iri Maruki & Toshiko Akamatsu)

These are the ghosts of the unwilling dead,
Grey ghosts of that imprinted flash of memory
Whose flaming and eternal instant haunts
The speechless dark with dread and anger.

Grey, out of pale nothingness their agony appears.
Like ash they are blown and blasted on the wind's
Vermilion breathlessness, like shapeless smoke
Their shapes are torn across the paper sky.


Kirkup氏がいつ、どこで《原爆の図》と出会い、この詩を書いたのか、詳しいことは不明です。
今後、調査を進めていきたいと思っています。
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2008/10/16

『現代の眼』572号  作品・資料

竹橋にある東京国立近代美術館で、今月31日から12月21日まで「沖縄・プリズム 1872-2008」という企画展が開催されます。

東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』572号(2008年10-11月号)の特集記事では、その企画展にあわせて、今春「美術家たちの『南洋群島』」展を企画された町田市立国際版画美術館の滝沢恭司学芸員による「南洋群島から沖縄へ 三人の画家をめぐって」という文章が掲載されています。その文章のなかに、「南洋群島から沖縄」というキーワードによって結びつけることができる画家として、丸木俊、儀間比呂志、北川民次が紹介されています。

80年代に丸木夫妻が手がけた沖縄戦を主題にした作品について、滝沢学芸員は「透徹したリアリズムの眼によって描かれていることと、主に塊のような裸体群像によって表現されていることに特徴がある」とし、「そうした造形表現は、1940年初旬から約半年間滞在したパラオやヤップなどで取材した《アンガウル島へ向かう》などに既に見られるものである」と述べています。
興味深いのは、「それ(沖縄戦)を描くには、当然、『原爆の図』などを描く時とはまた別の想像力が必要であった」という指摘です。滝沢学芸員は、「沖縄戦が地上戦であったという事実を如何に描き出すかという問題」、「沖縄固有のイメージを如何に図の中に重ね合わせるかという点への試み」という2点を取り上げ、それぞれの問題を丸木夫妻がどう描いたかを述べています。

(前略)ひとつは、沖縄戦が地上戦であったという事実を如何に描き出すかという問題にあった。俊らはそれを、集団自決やスパイ容疑で日本兵に殺される娘、民間人の虐殺などを描き出すことで、地上戦という沖縄戦の真実を抉るように描き出したのである。もうひとついえることは、ヤマトゥとは違う、沖縄固有のイメージを如何に図の中に重ね合わせるかという点への試みにあった。そのために俊らは、「沖縄戦の図」制作にあたって、4(縦)×8.5(横)メートルのサイズにつなぎあわせた和紙を首里の戸外の地面の上に広げて、絵の中に入りながら描いた。そうすることで、「さんご礁の岩」や「石灰岩の破片の凸凹」の触感、「空、風、水、土、草、鳥」、「紺碧の海」の音や臭いなどを感じ、沖縄の自然の力に突き動かされるようにして描き切ったのであった。こうした現地の喚起力なくして、浅い奥行きのなかに濃密な空間性と物質感をともなう、「沖縄戦の図」という絵画が生み出されることはなかった。

絵画として《沖縄戦の図》を読むという試みはこれまでほとんど成されていません。
短い文章ではあるものの、今回の記事は貴重な一歩だと感じます。

『現代の眼』はA4版16ページの小冊子で定価350円。東京国立近代美術館のミュージアムショップで販売しています。郵送による購入や定期購読もできるようです。
また、「沖縄・プリズム」展は、沖縄という場所に対する内外の視点を「乱反射」させるという内容の企画。どうやら丸木夫妻の作品は展示されないようなのが残念ですが、とても興味深い展覧会なので、ぜひ見に行こうと思っています。
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2008/10/15

大津定信展打ち合わせほか  企画展

朝、人身事故の影響で東武東上線がストップし、30分ほど遅れて出勤。
午前中から来客が続いて大忙しの一日となりました。

まずは次回企画「シシュポス・ナウ展」の展示打ち合わせのため、小川町から一級建築士のSさんが来館されました。Sさんはかつて丸木美術館の設計を担当された方です。次回企画展では、かなり大がかりな展示作業が計画されているのですが、Sさんが立ち会ってくれることになり、N事務局長もひと安心といったところでしょう。

続いて来館されたのは、沖縄県立博物館・美術館の指定管理を行うB社のSさんとOさん。
こちらは来年度企画として検討されている沖縄出身の作家さんに関する打ち合わせでした。

昼すぎには、来年1月に丸木美術館で個展を行う大津定信さんが名古屋から来館。
具体的な展示日程の打ち合わせなどを行い、丸木美術館への寄付金も頂きました。
大津さんは今年の8月6日に名古屋のテレビ塔前で平和の祈りと核廃絶を訴えるパフォーマンスを行い、名古屋テレビなどにも取り上げられたそうです。
企画展に向けて、かなり力の入った作品の制作を進めているという大津さん。展覧会を待ち遠しくされているという気持ちが、とても強く伝わってきました。
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2008/10/12

UCLA教授来館  来客・取材

昨夏も来館されたカリフォルニア大学ロサンジェルス校のLauerhass教授が、広島・長崎におけるモニュメントと記憶の表象についての再調査のため、丸木美術館を訪れました。
今回は、Omuraさんという研究員の方もご一緒です。

原爆に関する写真集や観光資料、《原爆の図》関連書籍などを収集しているというLauerhass教授。午前中には神田神保町の古本屋で『幽霊―原爆の図世界巡礼』(丸木俊著、1972年朝日新聞社)をゲットした!と嬉しそうに見せて下さいました。

今日は小高文庫にご案内して、古い原爆関連書籍や資料などをご紹介しました。
また、小沢節子さんの『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』(2002年岩波書店)を購入されたので、「それなら、筆者に直接お会いしてお話をされては?」と提案してみたところ、とても興味を示され、すぐに電話でご紹介することにしました。
ちょうど小沢さんも在宅中で、たちまち交渉成立。後日、都内でお会いすることになりました。きっと実りの多い対話になることでしょう。

同行のOmuraさんはメキシコを研究されていて、壁画運動にも興味をお持ちとのこと。
丸木夫妻が1957年にシケイロスに出会っていることや、シケイロスが1936年に《都市の爆発》という絵を描いていて「僕は原爆がヒロシマに落ちるより10年前に一つの爆弾で都市が燃えあがっている図を描いた」と俊に語っていたことなどをお話しすると、とても興味を示して下さったので、こちらも関連資料を提供いたしました。

   *   *   *

この頃は、すっかり日の入りが早くなりました。
小高文庫の窓から見る夕暮れに、Lauerhass教授は「とても美しい。神秘的な光景だ……」と何度もためいきをついていました。
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2008/10/12

「やまんば」と絵本の仕事  執筆原稿

7月5日から9月6日まで丸木美術館で開催した「丸木俊 絵本の世界展―鮮やかな色彩の交響曲―」展図録のために執筆したテキストです。
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