2008/4/30

ボランティア交流会の準備  ボランティア

茨城からボランティア新聞編集長のK田(N)さんが来館。
5月4日午後に行われる世田谷美術館とのボランティア交流会(美術館ニュース、ボランティア新聞などで既報)に向けての打ち合わせ準備を行いました。

K田(N)さんが取材で撮りためていた写真や、ぼくが記録していた写真などをもとに、当日はスライドで丸木美術館ボランティアの活躍ぶりを報告します。
写真はどうしてもここ数年のものが中心になってしまうので、古くから関わっているボランティアの方々には、当日K田(N)さんに回想を引き出してもらうようにしようと思っています。

世田谷美術館ボランティアは貸切バスで午後1時に来館予定。30人ほどが参加されるそうです。
こちらもY川さんの手打ちうどんやM年山さんの手料理などを用意してお迎えします。
また、午後1時からはアートスペースで現在展覧会を開催中のバリ島の画家ブディアナさんも来館し、作品解説を行って下さるそうです。
興味のある方は、ぜひ4日の丸木美術館ボランティアにご参加ください。
当日は午前中から、開館記念日の準備などの作業を行います。
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2008/4/29

博物館実習生初日  学芸員実習

東京国際大学人間社会学部3年のKくんの博物館実習がはじまりました。
初日は館内の清掃や事務作業を手伝ってもらいながら、午後からは「美の巨人たち」や「日曜美術館」のビデオを鑑賞して丸木美術館の概要を簡単に紹介。
これから、少しずつ美術館の雰囲気に慣れてもらえると良いですね。

午後には監事のO野さんとW本さんが来館し、前年度の監査を行いました。
夕方にはKくんといっしょに竹の子を掘り、お二人に持ち帰ってもらいました。
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2008/4/28

埼玉近美「丸木スマ展」準備  来客・取材

7月から埼玉県立近代美術館で開催される丸木スマ展の準備のために担当のO学芸員が来館。
午後いっぱいの時間を使って、出品候補作品の調査やポジフィルム・画像CDの貸出など、展覧会に向けてさまざまな準備作業を行いました。
現在リストアップされているのは、丸木美術館の所蔵品をはじめ、広島県立美術館や埼玉、広島の遺族が所蔵している作品約130点。このなかから出品作品を絞り込んでいくのです。
すでに作品写真は見て頂いているのですが、実物の印象はまた違うので、作品を見るたびにO学芸員と意見を交換しながら、「これはぜひ入れましょう」「ううん、これはまあ、出さなくてもいいかな・・・」と、最終的にはO学芸員に判断して頂きます。
同じような主題の作品が数点そろってしまい、「どれか1点を落としましょう」ということになると、これがなかなか難しい。
というのもスマさんの絵は、主題や構成が似ていても、表現の手法が全然違っていたり、色づかいが面白かったり、「これも見せたい」「あれも捨てがたい」と判断に迷ってしまうのです。
それでも、会場の広さには限りがある上、あまり似たような作品を並べても印象が薄くなってしまうので、思いきって選んでいきます。

額の状態や作品の亀裂など、保存上の課題もあらためて浮かび上がってきました。
展覧会まであと約2ヶ月。県立レベルの美術館でスマさんの個展が開催されるのは初めてのことなので、少しでも良い状態で作品を送り出せるように、修復家の方とも連絡をとりあい、できる限りの準備をしていきたいと思っています。
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2008/4/27

ボランティアの日  ボランティア

5月5日の開館記念日に向けて、館内外の掃除をする「ボランティアの日」。
今回は、地元ボランティアのK林(T)さん、Dさんや、Y口さん、A崎さん、M年山さん夫妻がお手伝いに来てくれました。
午前中は道路のゴミ拾い、午後は竹の子掘り(M年山さんが煮て開館記念日に振舞ってくれます)と、新館ロビーの整理作業。
昼食にはM年山さん夫妻が美味しい料理を用意してくれました。

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丸木美術館には倉庫がないので、事務用机や展示に必要な諸々の備品、箱などが、次第に新館ロビーにたまっていきます。
今回は、そのスペースを広げるため、思い切ってかなりの備品を処分することにしました。

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おかげで、数年ぶりにロビーの奥の窓が開き、その先の緑の木々が見えるようになりました。

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光の入る部分が増えて、少し明るくなった新館ロビー。展示物の配置替えもしたので、これまでとは雰囲気が違うと思います。
このところ気になっていた問題点がひとつ解消したので、ちょっとすっきりしました。
ボランティアの皆さま、重労働ご苦労さまでした!
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2008/4/26

川口アトリア「マイ・アートフル・ライフ」展初日  館外展・関連企画

川口市立アートギャラリー・アトリアで、丸木スマ、塔本シスコ、石山朔の作品を展示した「マイ・アートフル・ライフ ―描くことのよろこび―」展がはじまりました。

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初日はあいにくの雨模様となりましたが、ギャラリーエデュケーターの杉浦幸子さんによるオープニングレクチャー「グランマ・モーゼスの人生と作品の魅力」なども開催され、石山さんのご家族や塔本さんの息子さんご夫妻ら関係者も多く訪れました。

ぼくもオープニングレクチャーに参加し、今まで名前や作品は何となく見たことがあったけれども、それほど詳しく知らなかったグランマモーゼスについて、興味深く話を聞きました。
19世紀のアメリカに生まれ、農民の妻として働き、75歳から身近な風景や生活の様子を描いたグランマ・モーゼス。丸木スマとの共通点もたくさんあります。
彼女たちのように、知識ではなく長い歳月をかけて五感で自然の理をつかみとった“画家”は、これからの時代には現れないことでしょう。
それは、今回の展覧会に出品された3人の画家が、正規の美術教育を受けず、70歳を過ぎてはじめて絵を描きはじめたという共通点があるにもかかわらず、スマの作品が際立ってprimitiveに見えることからも感じられます(スマは1875年生、塔本さんは1913年生、石山さんは1921年生。作家の生年が現代に近づくにつれ、その作品がいわゆる“ナイーヴ・アート”に見えなくなっている点が、とても興味深い)。

レクチャーの後は関係者のみなさんと近くのイタリア料理店へ行き歓談。
食事の後には、86歳になられたという石山朔さんの素晴らしいカンツォーネを拝聴し、楽しい一日を過ごしました。

   *   *   *

ところで、今回出品されたスマの絵画は、丸木美術館の企画を見慣れた方にはそれほど目新しい作品ではありません。
けれども、展示室の通路に設置された写真コーナーでは、パネルとスライドショーでスマの貴重な写真を数多く展示しています。おそらくほとんどの方がご覧になったことのない写真も紹介されているので、ぜひご覧になってください。
庭の紫陽花の前に立った写真や、裾をからげて丸太を斬る写真の、はじけるような彼女の笑顔に癒されます。
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2008/4/25

小高文庫の整理・竹の子掘りなど  ボランティア

5月5日の開館記念日に向けて、何かと慌しいこの季節。
地元のK田理事が東松山市の後援をとりつけて下さって、広報もいよいよ本格化してきました。

今年は川口市立アートギャラリーや埼玉県立近代美術館で丸木スマの展示があるので、その準備もいろいろあります。
埼玉近美の0学芸員からはスマ展の出品候補作品リストが届いて、いよいよ展覧会が具体化してきたのだと身の締まる思いがしました。
明日は川口展のオープニングがあり、ぼくもギャラリーを訪れる予定です。

今日は小高文庫整理のボランティアにM園さんが来てくださいました。
いつもは書籍の整理なのですが、今日は諸事情により休憩室に隣接する倉庫の整理作業を手伝ってくださいました。
評議員のO木さんも、アートスペースの「ブディアナ展」を観に来館してくださいました。
O木さんのお連れ合いは、ブディアナさんの画集の写真を撮影したカメラマンなのです。

夕方には美術館南面の竹の子掘りをしました。
今年は竹の子が豊作のようで、掘っても掘っても新しい竹の子が顔を出してきます。
小さくて形の良い竹の子は、ボランティアのM園さんにお持ち帰り頂きました。
この後は、いつも企画展のチラシを置いてくださる川越市内のお蕎麦屋さんに竹の子をお届けに行ってきます。
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2008/4/24

イ・クトゥット・ブディアナ展  特別企画

丸木美術館2階のアートスペースで「イ・クトゥット・ブディアナ展」がはじまりました。
日本インドネシア友好50周年を記念して行われるバリ島の画家の展覧会です。

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ブディアナ氏は1950年にバリ島に生まれ、現在は画家として国際的に活躍しながら、大東文化大学人文科学研究所兼任研究員も務めています。
作者自身の精神が投影されたブッダや妖怪たちの姿が、独特の繊細な描写とユーモアによって画面に表されています。
この展覧会は5月6日(火/祝)まで行われていますので、ぜひゴールデンウィークに丸木美術館にご来館の際には、アートスペースもご覧になってください。
1階入口ロビーでは、図録やパンフレットなども販売しています。
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2008/4/23

江東区小学校まわり  その他

今日は朝から江東区内の小学校を3校訪問しました。
毎年、丸木美術館に来て下さる同じ江東区内の小学校の校長先生からの紹介を受けて、校外学習などの機会にぜひ丸木美術館を活用して頂きたいとお話をさせて頂いたのです。
スーツにネクタイ、革靴という慣れない格好で歩き回るのは少々疲れますが、効率よく学校を訪問する時間の設定の仕方や、丸木美術館の持つ意味を簡潔に説明する方法など、少しずつ学んでいるところです。
もちろん、それぞれの学校にも事情があるので、すぐに美術館に来て下さるかどうかはわかりませんが、丸木美術館の存在を知って頂けるだけでも、将来的な意味があるのではないかと考えています。

   *   *   *

学校訪問の合い間には、夢の島にある第五福竜丸展示館にも足を延ばして、美術館のチラシを置かせて頂けるようお願いしました。
丸木夫妻は原爆の図の第9部で第五福竜丸を主題にした《焼津》という作品を描いています。
原水爆の惨禍を伝えるという展示の趣旨は丸木美術館と共通する施設なので、今後ぜひ交流を深めていきたいと思いました。
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2008/4/22

川口アトリア「マイ・アートフル・ライフ展」  館外展・関連企画

4月26日(土)より5月25日(日)まで川口市立アートギャラリー・アトリアで開催される「マイ・アートフル・ライフ ―描くことのよろこび―」に出品される丸木スマの絵が、19日(土)の午後に搬出されて行きました。

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この展覧会は、70歳を過ぎてから絵を描きはじめ、独学で確かなスタイルを確立させた3人の画家、石山朔、塔本シスコ、丸木スマに焦点を当てた企画です。
丸木スマの作品は、以下の17点が出品されます。

《みのりの秋》《おんどりめんどり》《柿もぎ》《つつじ 白》《つつじ 赤》《せみが鳴く》《めし》《やさい》《簪》《わたしとクマ》《初雪》《山ごぼう》《野》《内海の魚》《塔》《母猫》《ピカの時》

展覧会初日には午後2時からキッズギャラリートーク(小学生30名=当日先着順)、午後6時30分からはオープニングレクチャー「グランマ・モーゼスの人生と作品の魅力」(一般80名=当日先着順)が行われます。
入場料は一般300円で色鮮やかなハンドカタログもついてきます。(高校生以下無料)

スマさんはもちろん、塔本シスコさん、石山朔さんも、とても色鮮やかでパワフルな作品です。
観ると元気が湧いてきそうな展覧会。どうぞ皆さま、足をお運び下さい。
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2008/4/19

美術館クラブ「昔のレコードジャケットをコラージュ」  ワークショップ

毎月1回行われるワークショップ丸木美術館クラブ工作教室。
今月は久しぶりの「平常授業」で、画家の小林政雄さんの案内による「昔のレコードジャケットをコラージュしよう!」でした。
参加者は、ほぼ大人ばかりの約10人とちょっと寂しい回になりましたが、制作がはじまると皆手もとに熱中。
レコードジャケットを切り刻むのは、ちょっと贅沢な気分です。

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なかでも一番熱中していたのが案内人の小林さん。
ただ一人だけカッターと定規を用意して、真剣そのもので立体コラージュを作っていました。

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こちらは参加者の完成作品です。
ワークショップの後は、Hさんのギター演奏で歌を歌い、妻T差し入れのお菓子を食べました。
次回のワークショップは5月5日の開館記念日になります。
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2008/4/17

1951年11月札幌原爆展  1950年代原爆の図展調査

昨日の日誌にご紹介しましたが、札幌市にお住まいの友の会会員Hさんから、1951年11月に開催された札幌原爆展の資料が届きました。
Hさんは当時札幌南高校の1年生で、生徒会室でチケットを買い展覧会を観に行ったことを日記に記していたそうです。
今回、原爆展について調べて下さった際、『北海道新聞』を検索してもさっぱり記事がなく、『北海道大學新聞』や『札幌西高新聞』の方が詳しく報じていたそうですが、当時の教員や学生の社会的関心の高さが感じられ、興味深く思われました。
とりわけ『北海道大學新聞』は、(北大文化団体連合会らが中心になって活動していたこともあって)札幌原爆展を準備段階から報じています。

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1951年10月5日『北海道大學新聞』には、「近く札幌で原爆展 赤松とし子 原爆の図も来道」との見出しで、展覧会の準備段階の記事が掲載されています。
それによると、札幌では北大中央委員会が中心となり、市内の宗教団体、民科、職組などと提携して10月下旬から11月上旬にかけて原爆展を市内百貨店で開催する準備を進めたようです。
展覧会に先立って、道学連が京都大学同学会が中心になって行った原爆展の経験を伝える小冊子『平和の誓いに結ばれて―原爆展のできるまで―』(1部10円、発売元各自治体)を発行したことも紹介されています。

札幌原爆展が開催されたのは1951年11月20日、21日の2日間でした。
第1会場の札幌丸井5階では《原爆の図》5部作が展示され、第2会場の富貴堂2階では北大理学部教授の監修のもと、各学部出品の原爆に関するパネルパノラマ模型が展示されました。
主催は北大文化団体連合会、後援は道学連、北大全学中央委員会です。

1951年11月10日『北海道大學新聞』には、「原爆展にもりあがる熱意 文連主催 20・21両日札幌で公開」との見出しで、原爆展を成功させるために各種生活協同組合、勤労者医療協会、婦人団体、労組、教育関係など市内諸団体に呼びかけ、会場の丸井に会期延長を交渉するなど、主催団体の熱意が報じられています。
また、札幌に先立って開催された室蘭では4日間で延べ4,000人が、旭川丸井では「平日の5倍」(正確な人数は記載なし)の人が訪れたと紹介されています。

展覧会の初日、1951年11月20日『北海道大學新聞』には「生き残った人々の願い 総合原爆展 平和への意欲を結集 三十余団体の支援 遂に公開なる」と、1面に原爆展の記事が大きく掲載されました。
紙面には、理学部、工学部、医学部、農学部、法経・文学部、教養部の学生が制作した「原子核の構造、分裂」「火傷の人体への影響」「札幌に原爆が落ちたら」などパネルのテーマが紹介されています。

同月10日、11日の両日に雨竜郡秩父別村筑紫で開かれた原爆図展の様子も報じられ、「山深い村民約三千名に多くの感銘を与え、翌十二日には赤松さんの生家善性寺で盛大な原爆法要が行われた」と記されています。
俊が『北海道大學新聞』編集部にあてた便りも原文のまま掲載されています。
筑紫ではこの善性寺で開らきました。村の坊さん、五ヵ寺から集つてもらつて原爆法要を営みました。アミダ仏像と並んで盛大でした。よく似合いました。
この善性寺での展覧会と原爆法要については、俊も後に画文集『ちび筆』(1954年、室町書房)などで回想し、当時のデッサンも現存しています。

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同日『北海道大學新聞』2面には、原爆の図第1部《幽霊》の部分写真とともに、「原爆の図」と題する丸木夫妻の文章も掲載されました。原爆投下直後の広島の惨状の描写から《原爆の図》制作を決意した時の心境、そして巡回展にいたるまでの説明の基本形と言える内容(これは大部分が原爆の図丸木美術館の展示にも受け継がれています)が、この時期にほぼ完成していたことがわかります。

札幌原爆展は市民・学生などを中心に、約1万人を動員する盛り上がりを見せました。
主催者は会期の延長を札幌丸井に申し込みましたが、「先約がある」との理由で断られたため、《原爆の図》展の会場を北大中央講堂に移し、22日から3日間延長して公開しました。
しかし、22日には展覧会の主催者の1人が逮捕されるという事件が起きました。

1951年11月23日『北海道新聞』2面に、「原爆展の責任者逮捕」との小さな記事が掲載されています。
札幌市警では22日、市内南143富貴堂2階ギャラリーで開催中の北大文化団体連合会主催原爆展会場に張付けてあった反米内容のパネル3枚を押収するとともに張付責任者の札幌市南9西18日共道地方委員青柳清(42)を政令325号違反容疑で逮捕した。

1951年12月5日『北海道大學新聞』1面には、「『市民の声』押収さる 圧迫の下で原爆展好評なす」との詳細な記事が掲載されました。
その記事によると、逮捕された開催責任者の青柳氏は、実際は責任者ではなく会場の交渉をしたのみであり、主催者の北大文連側が「原爆展にたいする圧力とみて」再三釈放の要求を出した結果、30日に釈放されたそうです。「占領目的阻害行為処則例」に違反したとされるパネル3枚は、結局返還されませんでした。
しかし展覧会は無事終了し、最終日には、「赤松丸木両氏を囲んで座談会を開催、なごやかなふんいきで5日間の成果をかえり見た」と記されています。「さまざまな困難もありましたが平和を求められる人々とともに原爆展が成功したことを喜びたいと思います、私はこの絵を画いて、いままでもつていた劣等感をぬけ出し自尊心を持てるようになりました、私は平和を求め戦争をにくみ原爆使用に反対される人々とこんご手をにぎり平和への意志を高めて行きたいと思います」という、俊の談話も掲載されました。

この札幌展については、俊が自伝『生々流転』(1958年、実業之日本社)でかなり詳しく回想しています。
展覧会の最初にC.I.E(連合国軍総司令部の民間情報教育局 Civil Information and Education Section) が来て会場の写真を撮り、サインをして帰って行ったこと。
北大の講堂では展覧会を妨害するレコードコンサートとダンスパーティが会場の真ん中で開催されたこと。
新聞社が取材に来て、青柳氏逮捕と、作者の逮捕状が作成中であると知らせてくれたこと。
事件を担当した白鳥警部補が翌年1月に射殺され、容疑者として札幌展の関係者が多く逮捕されたこと(この事件については不可解なことが多いようです)。
結局丸木夫妻は逮捕されず、開催が心配された次会場の函館では、新聞報道の影響もあって人止めをしなければならないほど多くの観客が訪れたことなど……

丸木夫妻はGHQ占領下の原爆展について、後に「危ない目にあったことは何度もある」と回想していますが、この札幌原爆展は、その代表的な例と言えるでしょう。
また同時に、展覧会の準備に携わった人びとにとっても、いかに困難で危険を伴う活動であったかも、これらの記事からは読み取れます。

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札幌展の後、11月29日から4日間開催された函館原爆展では、チェロ奏者の井上頼豊氏が会場で演奏を行ったことが注目されます。
昨年5月5日の開館記念日に丸木美術館で演奏をして下さったキーボード奏者の井上鑑さんのお父さんです。
さきの1951年12月5日『北海道大學新聞』には、演奏会のため訪函中の井上氏が12月1日午後に展覧会会場を訪れ、約300名の観衆を前に「原爆が落とされると私の拙い演奏はもちろん、大音楽家の演奏も、また聴く人もこの世からはいなくなる。音楽家も平和のための演奏を行つてこそ真の音楽家といえる」と語り、荒城の月、シューベルトの子守唄、トロイメライ、メヌエットなどの追悼演奏を行ったと記されています。
この記事を読みながら、井上鑑さんが「音楽と平和は双子の兄弟」という頼豊氏の言葉を紹介されていたことを思い出しました。

50年という歳月を越えて、《原爆の図》の前にひと組の素晴しい音楽家父子の演奏が流れていたことには、今さらながら感動の思いがあります。
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2008/4/16

原爆の図札幌展資料  1950年代原爆の図展調査

しばらく都内の小学校や美術館を巡ったり、息子の幼稚園の入園式に出たりしていたので、昨日は約1週間ぶりに丸木美術館に出勤。山積みになっていた雑務を片づけているところです。
M子さんには、東武鉄道各駅に配布する美術館ポスターの制作を手伝ってもらいました。
昨日は小高文庫の整理のためにM園さんもボランティアに来て下さいました。

今週末には、丸木美術館クラブ工作教室があり、26日(土)から開催される川口市アートギャラリーでの「マイ・アートフルライフ展」のスマ作品の搬出作業もあります。

ぼくが丸木美術館を留守にしている最中に、札幌市にお住まいの女性の方から、1951年に開催された原爆の図札幌展の資料が届いていました。
美術館ニュースをお読みいただいている方だと思うのですが、丁寧に『北海道大学新聞』や『北海道新聞』、『札幌西高新聞』に掲載された貴重な展覧会記事をコピーして下さったのです。
その内容については、また後ほどお知らせします。

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2008/4/12

水戸芸術館「宮島達男展」  館外展・関連企画

「柿の木プロジェクト」展でお世話になった現代美術家の宮島達男さんの展覧会が、水戸芸術館で開催されています。

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今日は、東松山市役所環境保全課のK藤さん一家、K島さん、「天の園」の会のM本さん、S野さん、元唐子小学校校長のT口さんといっしょに、水戸芸術館を訪れました。
この展覧会では、なんと丸木美術館が作成した「柿の木プロジェクト」展の小図録も販売されている(!)のです。超現代的な設備の水戸芸術館と素朴な手作り図録の落差がとてもステキです。

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LED(発光ダイオード)を用いたデジタル作品で国際的に高い評価を受けている宮島達男さん。
平和をテーマにした作品も数多く発表し、今回の展覧会でも、《Death of Time》というヒロシマの「時の死」を表現した作品も展示されています。

ちょうどこの日は、他人同士がお互いの肌に数字のボディペイントをほどこし、その場所の風景と一緒に写真に収めるという「カウンター・スキン」のワークショップを行っていました。
せっかくなので、市役所のK藤さんを誘って飛び入り参加。
天気も良く、美術館前の芝は開放感もあり、服を脱いで大胆にボディペイントをする人が続出しました。

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写真は、展覧会の看板の前で宮島達男さんと記念撮影をするK藤さんとぼく。

「柿の木プロジェクト」を通じて知り合った地元の方々とこのような形で水戸まで出かけることができたのは、本当に貴重な機会でした。
水戸まで往復の車中で、K藤さんと、今後の「ホタルの里」をはじめとする地域と丸木美術館の関わり方や、市との関係について、深く掘り下げてお話ができたのも、とても良かったです。
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2008/4/11

町田「美術家たちの南洋群島」展内覧会  館外展・関連企画

昨日に引き続き、午前中は渋谷区立松濤美術館を訪れました。
松濤美術館では、今年の夏に丸木位里の妹の画家・大道あやさんの展覧会を開催します。
展覧会担当のT学芸員と、以前からお世話になっているM学芸員にご挨拶し、丸木美術館のチラシを置かせて頂きました。
約束もせず、急に思い立って伺ったのですが、お二人とも温かく迎えて下さり、チラシも目立つところに置いてくれました。

   *   *   *

午後からは町田市立国際版画美術館の「美術家たちの南洋群島」展内覧会に出席。

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「美術家たちの南洋群島」展は、大正から昭和初期にかけて日本が統治していた「南洋群島」と呼ばれるミクロネシアを訪れた多くの美術家たちの作品を通じて、南洋の地で触発された表現の特質や、南への志向と日本の美術や文化の形成との関わりなどについて探る展覧会です。
中心となるのは、土方久功(1900-77)、杉浦佐助(1897-1944)、儀間比呂志(1923-)という、南洋群島に長く滞在し、師弟関係のあった3人の美術家たち。
また、赤松俊子(丸木俊)や川端龍子ら約20名の南洋を訪れた美術家たちの作品も数多く展示されています。
図録には、担当のT学芸員による詳細な『「南洋群島」美術年表』が掲載されていますが、日本美術と南洋との影響関係をここまで丹念に調査したのは、おそらく初めてのことではないかと思います。
個々の画家たちの魅力的な作品はもちろん、日本における(沖縄も含めた)「南」への問題を考える上でも、非常に興味深い展覧会です。

内覧会では、昨年オープンしたばかりの沖縄県立博物館・美術館のY副館長、T学芸員にご挨拶しました。この「南洋群島」展は、沖縄にも巡回するのです。
また、出品作家の儀間比呂志さんにも、沖縄のT学芸員にご紹介されてご挨拶をしました。なんと儀間さんは、俊さんが南洋を訪れた1940年にはすでに沖縄からパラオに移住しており、「女の画家も珍しいのに、一人で南洋に来たというので、島の男性たちがみんな色めきたった」と当時のことをしっかり記憶されているのです。
「俊さんとはお話をされたのですか?」とお聞きしたのですが、
「その頃、わしはまだ駆け出しだったから(当時17歳)、物影から憧れて見ているだけだった」とのこと。
「そのうちに、島を買うと言って東京に帰ったら、男の人につかまって(位里さんのこと)二度と戻ってこなかった」と笑っていました。
また、南洋を研究されているH大学のI先生、丸木スマをたびたび紹介して下さっているW大学のT先生にも、久しぶりにお会いしました。

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会場を歩いていると、「丸木俊の南洋の絵がすごい」「原爆の絵だけではなくて、こういう絵も描いているのか」という声を何度も聞きました。
丸木美術館での企画を別にすれば、俊さんの南洋の絵がこれほどまとまって展示される機会は、今までにほとんどありませんでした。
貴重な機会を与えてくださった町田のT学芸員には、本当に感謝です。
ぜひ多くの方に見て頂きたい展覧会です。
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2008/4/10

江東区・墨田区めぐり  その他

今日はあいにくの雨模様でしたが、午前中に江東区の小学校、午後に東京大空襲・戦災資料センターと東京都現代美術館、夜に墨田区の教職員組合をまわってきました。

どうすれば丸木美術館を多くの方々に知ってもらえるのか、そして足を運んでもらうことができるのか。特に学校教育のなかで、どうすれば丸木美術館を生かしてもらうことができるのか。ここ数年考え続けていた大きな課題でしたが、やはり内に籠って考えるより外に出るべきではないかとの気持ちが強くなり、今年から、少し積極的に歩き回ってみようと思い立ちました。

最初に訪れた江東区の小学校は、ここ数年、校長先生が子どもたちを丸木美術館に連れてきてくれる学校です。
かなり元気のよい校長先生で、ぼくが相談に行っても、ほとんど校長先生の話を聞いて時間が過ぎていくのですが、しかし、とても勉強になります。
「オレはじっとしているのが嫌いだから、とにかく外に出る。雨の日でも、カッパ着て自転車で学区域じゅう走り回って、子どもたちの様子を見る。そうすると見えてくるものがある」
ぼくが、どうすれば丸木美術館に学校団体が来てくれるのかを考えるには、まず学校の現場を訪れる必要があるのではないかと思っていることを伝えると、すぐに校長室を出て、学校じゅうを案内してくれました。
授業中、いきなりドアを開けて「おう、ちゃんとやってるな!」と教室に入っていく校長先生についてまわりながら、それを当然のように受け止めている先生や子どもたちの様子を見て、ごくふつうの日常なのだと感心しました。
「校長室にいたって、何もわからない。オレはいつも学校じゅうをまわっているから、子どもの名前も家庭環境も全部頭に入ってるよ!」と笑う校長先生。
丸木美術館には、遠くからたくさんの学校が来て下さいますが、ぼくは一度でも、その遠くの学校まで足を運んだことがあっただろうかと反省させられます。
丸木美術館への協力を求めるには、まず教育の現場を知ること。そのためには、できるだけ現場に足を運ぶこと。直接顔を合せて、話をしてはじめて人と人のつながりはできるのだと、当たり前のことをあらためて噛みしめています。

   *   *   *

東京大空襲・戦災資料センターでは、職員の方と、自らの体験を子どもたちに語っているボランティアのHさんにお会いしました。
同センターの職員の方々は、昨年の改装中に丸木美術館に見学に来て下さっています。
しかし、丸木美術館の職員がこちらをお訪ねするのは今日が初めてでした。
交通の便の悪い立地にあって、他館との交流がなかなか難しいのは丸木美術館のハンデですが、しかし、同じ戦争をテーマに掲げる施設同士、もっと連携の努力をすることが大切なのではないかと、ここでもあらためて感じました。

   *   *   *

東京都現代美術館には、F学芸員にお願いして、丸木美術館チラシと企画展チラシを置かせてもらえるよう手配しました。
また、墨田区の教職員組合では、現在の学校での平和学習の状況と、どうすれば現場の先生方に、効果的に丸木美術館を知ってもらえるのかをアドヴァイス頂きました。
雨のなか、重いチラシを持ち歩くのは大変でしたが、しかし、人に会って話を聞けば、次にどう動けば良いのかも少しずつわかってくるものだということがわかりました。
こうした連携の成果がどのように表れるのか、あるいは表れないのかは、いまはよくわかりません。それでも、また近いうちに、今回頂いた情報を生かしながら、ほかの学校や施設もまわっていこうと思っています。

「《原爆の図》は世界遺産だと、オレは勝手に思ってる。あの絵を見ると、子どもたちは変わるよ。人に対して優しくなる」
江東区の校長先生の言葉です。
その言葉が、ぼくに、これからも頑張ろうという勇気を与えてくれたような気がします。
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