2008/1/22

1950年代《原爆の図》川之江展の情報  1950年代原爆の図展調査

来館者の応対や展覧会の準備は比較的少ない冬場ですが、新しく出てきた資料の整理やデータ入力などで毎日それなりに仕事はあります。
今日は来年度に丸木スマ展を開催される予定の川口市アートギャラリーと埼玉県立近代美術館の担当の方に電話で連絡をとり、展覧会の会期や諸条件についての打ち合わせを行いました。

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先日発行した美術館ニュースで1950年代巡回展の情報を募集したところ、友の会維持会員のMさんから、「1950年代初頭に愛媛県宇摩郡川之江町(現四国中央市川之江町)で巡回展を観ました」とのご連絡を頂きました。
当時新制中学3年だったMさんの記憶によると、下校途中に路上の仮設会場で第1部《幽霊》をご覧になったとのこと。
「ただし、1点という印象ではなく、連続した墨一色のシーンとして記憶しています。仮設会場はテントだったのか、帆布かなにかを回廊のように張り巡らしたものだったか、とにかく白い布の壁をめぐらした通路にそって、片側の手で触れそうな距離に墨絵が続いていた印象です」と回想されています。

この川之江での展覧会については美術館にも符合する記録がなく、時期が特定できないのですが、Mさんは、「おそらく1950年の5−7月、もしくは秋頃」、「海岸沿いに予讃線沿線のめぼしい町を回ったのではないでしょうか」と推測されています。
小学4年生で東京から父母の郷里である川之江に疎開し、そのまま終戦を迎え中学3年まで残ったというMさん。
当時の川之江には「文化協会」といった組織もあり、「東京から名人といわれた桜間金太郎(弓川)師を招いて、女学校の仮設舞台で演能したり、町の劇場にさりげなく吉田文五郎の文楽が来たり」といった雰囲気だったそうです。
また、Mさんの中学1年の時の担任の先生は、広島出身でご両親を原爆で失い、2人の妹さんを引き取り、伝手を頼って川之江に来ていた方で、アララギの歌人でもあったので、《原爆の図》招致に関連があったかも知れないとのこと。

こうした周辺の記憶もたいへん興味深いです。
Mさんの当時の担任教師や同級生の方々は川之江に健在なので、また新たな情報を探して下さるというのが楽しみです。
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