2007/10/21

【北海道遠足2日目】 秩父別町・善性寺訪問  調査・旅行・出張

遠足2日目には、雨竜郡秩父別町にある俊の生家、一秩山西勝院善性寺を訪問しました。
当初の予定では旭川駅から深川駅に出て、ローカル線の留萌本線に乗って秩父別駅に行くはずでしたが、息子Rが突然体調を崩したため、深川駅からタクシーで善性寺に直行しました。

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本堂と鐘撞堂の赤い屋根が紅葉に映える善性寺です。
1991年に開設した「丸木美術室」には、丸木夫妻の善性寺版《原爆の図》をはじめ、位里、俊、スマの作品が30点ほど展示されています。
とりわけ、1930年(俊18歳時)に描かれたという油彩画《二世淳良法師の像》は、若き日の俊の卓越した描写力が感じられる興味深い作品でした。

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その後本堂に案内され、正面欄間の「天女」の彫刻と丸木夫妻の《飛天》襖絵、位里が1941年に俊との結婚披露のために初めて善性寺を訪れた際に描いた水墨画《龍虎》などを見せていただきました。

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写真は《龍虎》(当時は襖絵、1942年美術文化協会展出品)の左半双「龍」の部分です。

  *  *  *

秩父別は香川県出身の屯田兵によって開拓された村。
俊の祖父赤松淳性(開基住職)や父淳良(三谷家から養子に入り二世住職となる)も、香川県の出身です。
住職のお話によると、浄土真宗の門徒の多い北陸地方出身の入植者も多く、雪の多い寒冷地での生活は、香川県出身者より北陸地方出身者の方が「粘り強かった」とのこと。
なぜ浄土真宗の門徒の入植者が多いのかというと、明治維新の際に幕府側へついて時流に乗り遅れた東本願寺(真宗大谷派)が、新政府の北方開拓に全面的に協力することで立場を回復するため、門徒に入植を奨励したのだそうです。

境内に出て住職のお話を聞いていると、昨日から続く雨があがり、空には虹がかかりました。

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端から端まできれいに現れた虹を見たのは初めてでした。

寒さの厳しい気候と広い大地の上に育まれた人びとの開拓の精神が、丸木俊という一人の画家のなかに受け継がれてきたのだと、秩父別の空を見ながら感動しました。
現在の善性寺は火災や改築などにより、俊が生まれ育った頃の面影はほとんどありませんが、それでも画家の誕生した地を踏み、空気を吸い込むことで感じるものは大きいとあらためて実感した一日でした。
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