2007/10/31

2007年10月の入館者数  入館者数

【2007年10月】
◇個人  502人(前年比−257人)
◇団体  573人(前年比−560人)
◇合計 1,075人(前年比−817人)

【2007年度累計】
◇個人  5,972人(前年比−2,573人)
◇団体  4,693人(前年比−549人)
◇合計 10,665人(前年比−3,122人)

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9月に前年比微増まで盛り返した団体入館ですが、本来なら学校団体シーズンである今月の団体数が大きく減少し、前年比ほぼ半減、過去最低の数字となりました。
折しも新聞の朝刊には、学校週5日制のまま授業時間数を増やし、「総合的な学習の時間」を削る方向で学習指導要領を改訂するとの記事が出ていました。
今後ますます小中学校の校外学習の機会は減らされることになりそうで、(学校団体の多い)丸木美術館にとっては大きな痛手です。
11月の団体予約も、今のところかなり厳しい状況。
今月は残念ながら個人入館者も伸び悩みました。
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2007/10/31

企画展撤去作業  ボランティア

「今日の反核反戦展」が終わり、今日は企画展示室の作品撤去・梱包作業。
ボランティアのK林(T)さんとN川さん、Jさん、S木(N子)さん、実習生のU田さんが参加して、作業を行いました。

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今回の展示替えは日程の都合でやや変則的。今日は展示室を空にするだけで、次回企画展の「日本の報道写真家たち」の展示は11月3日(土)に行います。
それでも、美術館に作品をとりに来ることのできない出品作家さんたちに作品を発送するため、梱包作業で忙しい一日を過ごしました。

《原爆の図》展示室や丸木スマ室も通常展示に戻し、収蔵庫に収められていた原爆の図第12部《とうろう流し》、第13部《米兵捕虜の死》、第14部《からす》も1ヶ月半ぶりに展示されています。
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2007/10/30

ラマチャンドラン氏来館  来客・取材

「今日の反核反戦展」最終日。
出品作家や関係者の方々の来館する姿が目立ちました。

  *  *  *

夕方、インドの画家A.ラマチャンドラン氏が来館しました。
日本では『おひさまをほしがったハヌマン』(福音館書店)などの絵本作家として知られますが、インドでは現代絵画の巨匠との高い評価を受けています。
現在は表参道の地球環境パートナーシッププラザ国連大学にて絵本原画展を開催中(11月10日まで)とのこと。
ラマチャンドラン氏は、1970年代に丸木夫妻のもとに滞在していた時期があり、15年ぶりの来館だそうです。

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(写真は1975年、丸木美術館にて丸木位里さんと共に)

ラマチャンドラン氏は館内の作品を鑑賞した後で、HPの作品や写真を見ながら当時の思い出を語って下さいました。
母屋のH子さんに「これが最後だなんて言わないで、また来て下さいね」と言われてにこやかに頷いたラマチャンドランさん。
握手をすると、とても大きくて厚みのある手から温かい気持ちが伝わってきました。
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2007/10/28

学芸員実習初日  学芸員実習

東京造形大学のU田さんの学芸員実習がはじまりました。
11月4日(日)までの期間に、企画展の展示替えやオープニング、スリーデーマーチなどのイベントを体験してもらいます。

今日は午前中に館内を説明してまわり、午後からは新潟市新津美術館で行われる「丸木俊・スマ展」の販売物品の準備を手伝ってもらいました。

U田さんは、8月6日のひろしま忌にもボランティアとして参加しています。
実習の期間を通して《原爆の図》と間近に向き合い、丸木夫妻がどのような思いで作品を表現してきたのかを感じ取りたいとのことです。

  *  *  *

今日は町田市国際版画美術館のT学芸員が来館。「美術家たちの南洋群島」展のために出品する丸木俊スケッチのチェックに来られたとのこと。着々と準備は進められているようです。

台風一過で快晴の日曜日。
今日は60人(+招待5人)というふだんよりやや多めの来館者で賑わいました。
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2007/10/26

書庫の整理ボランティア  ボランティア

今月のはじめから週に1度のペースで、小高文庫(丸木夫妻の元アトリエ、現在は図書室兼休憩室として公開中)の書籍整理のために、志木市からM園さんが通って下さっています。

M園さんは長く東京都美術館や東京都現代美術館などの図書室に勤務し、書籍の分類・整理に関してはプロフェッショナルの方。
丸木美術館HPの「ボランティア募集」告知を見て、「図書室整理の仕事はないでしょうか」と、自ら電話で申し出て下さいました。

小高文庫には、従来の丸木夫妻蔵書や美術館への寄贈図書のほかに、最近になって法政大学名誉教授のS井理事(現在は顧問)の寄託図書や杉並区で教員をされているK木評議員の寄贈図書が収められ、ちょうど本格的な整理の必要を感じていたところでした。

現在は、M園さんと岡村で「小高文庫をどのような図書室にしていきたいか」を考えながら、書籍の分類・整理中。
「原爆資料」と「丸木夫妻資料」を中心に、南京やアウシュビッツ、沖縄などの戦争関係の書籍や、原発、水俣病などの環境問題に関連した書籍、そして美術関係の画集や図録を従来以上に手に取りやすく分類しようと作業を進めています。
特に「原爆資料」の書籍は大幅に充実することになりそうです。

いずれは書籍にラベルを貼って分類し、書籍リストをHP上で公開することも検討しています。
今年の冬のあいだに、そこまで作業を進められるか、どうか。
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2007/10/24

土方久功の南洋日記  作品・資料

北海道から戻ると、町田市国際版画美術館のT学芸員から貴重な資料が届いていました。
丸木俊(赤松俊子)が1940年に南洋を訪れた際に世話になった彫刻家・民俗誌家の土方久功〔1900-1977〕の日記のコピーです。

土方は当時日本の委託統治下にあった「南洋群島」に10年以上長期滞在し、現地の人びとに溶け込みながら、島の生活風俗を主題にした絵画や木彫を制作したり、南洋を訪れた文化人の案内役を務めたりしていました。

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(写真左端が土方、右端が俊)

土方の日記を読むと、俊もパラオ諸島の中心地・コロール島に到着した翌日(1940年1月27日)に、早速、土方のもとを訪れていることがわかります。
昨日ノ笠置丸デ来タ、赤坂(原文ママ)俊子ト云フ女流画家ガ役所へ訪ネテ来ル
その後、4月16日の日記に「夜、六時パレスデ赤松サンノ送別会」という記述があるまでの3ヶ月間、頻繁に「赤松氏」は日記に登場します。
南洋庁職員厚生施設の昌南倶楽部での個展開催(3/15-18)やカヤンガル島滞在(3/20-31)なども土方の尽力によるところが大きかったようです。

俊は、4月16日の送別会の後、ヤップ島にわたり長期滞在し、その後、5月下旬に南洋群島を離れて東京に戻りました。

2008年4月から町田市国際版画美術館、高知県立美術館、沖縄県立博物館・美術館を巡回する「熱帯 楽園 幻想 美術家たちの『南洋群島』」(仮題)では、こうした土方と俊の交流も紹介されることでしょう。

また、今年11月17日(土)から2008年1月27日(日)まで世田谷美術館で開催される「パラオ−ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」展にも、俊のパラオ時代のデッサン(土方をモデルにした作品)が数点出品されるようです。
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2007/10/22

【北海道遠足3日目】 モエレ沼公園  調査・旅行・出張

秩父別という屯田兵の村から生まれた丸木俊。
しかし、開拓民が土地を広げれば追われる立場の先住民族もいるということで、K沢さん、I田さん、M年山さんの3人は遠足最終日に白老町のアイヌ民族博物館を訪問しました。

わが家は前日に息子Rが発熱したため(一夜明けてけろっと回復してはいたが)、大事をとって予定を変更し、別行動で札幌市内の電車見学。
札幌駅から特急「すずらん」で白老へ出発する3人を見送った後、イサム・ノグチの設計したモエレ沼公園に遊びに行きました。

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モエレ沼公園は、半円形のモエレ沼のゴミ埋立地の上に整備された都市公園。
長年都市計画に関心を持っていた彫刻家イサム・ノグチの晩年の集大成ともいうべき作品です。
写真中央に見えるのが標高62mの人口の山「モエレ山」。息子Rの手を引いて急斜面を上ると、頂上はものすごい風でした。
このほかにもガラスのピラミッド「HIDAMARI」や、モエレビーチ、テトラマウンド、プレイマウンテンなど、さまざまな彫刻のような構造物が建てられています。

息子Rはイサム・ノグチのデザインした遊具のならぶ「サクラの森」が気に入って、飛行機に間に合うぎりぎりの時間まで粘って遊んでいました。

  *  *  *

アイヌ民族博物館へ行った3人も、有意義な時間を過ごされたとのこと。
新千歳空港で無事に再会し、そろって予定通りに飛行機に乗って帰京しました。
息子Rの体調不良があったものの、楽しく過ごすことのできた今回の北海道遠足。
お世話になった皆さまには本当に感謝しています。

K沢さん「次の遠足は沖縄か水俣かしら・・・パラオもいいわね」
藤沢からはじまった「遠足」がどんどんスケールアップしていくので、わが家もがんばって貯金しなければ。
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2007/10/21

【北海道遠足2日目】 秩父別町・善性寺訪問  調査・旅行・出張

遠足2日目には、雨竜郡秩父別町にある俊の生家、一秩山西勝院善性寺を訪問しました。
当初の予定では旭川駅から深川駅に出て、ローカル線の留萌本線に乗って秩父別駅に行くはずでしたが、息子Rが突然体調を崩したため、深川駅からタクシーで善性寺に直行しました。

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本堂と鐘撞堂の赤い屋根が紅葉に映える善性寺です。
1991年に開設した「丸木美術室」には、丸木夫妻の善性寺版《原爆の図》をはじめ、位里、俊、スマの作品が30点ほど展示されています。
とりわけ、1930年(俊18歳時)に描かれたという油彩画《二世淳良法師の像》は、若き日の俊の卓越した描写力が感じられる興味深い作品でした。

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その後本堂に案内され、正面欄間の「天女」の彫刻と丸木夫妻の《飛天》襖絵、位里が1941年に俊との結婚披露のために初めて善性寺を訪れた際に描いた水墨画《龍虎》などを見せていただきました。

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写真は《龍虎》(当時は襖絵、1942年美術文化協会展出品)の左半双「龍」の部分です。

  *  *  *

秩父別は香川県出身の屯田兵によって開拓された村。
俊の祖父赤松淳性(開基住職)や父淳良(三谷家から養子に入り二世住職となる)も、香川県の出身です。
住職のお話によると、浄土真宗の門徒の多い北陸地方出身の入植者も多く、雪の多い寒冷地での生活は、香川県出身者より北陸地方出身者の方が「粘り強かった」とのこと。
なぜ浄土真宗の門徒の入植者が多いのかというと、明治維新の際に幕府側へついて時流に乗り遅れた東本願寺(真宗大谷派)が、新政府の北方開拓に全面的に協力することで立場を回復するため、門徒に入植を奨励したのだそうです。

境内に出て住職のお話を聞いていると、昨日から続く雨があがり、空には虹がかかりました。

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端から端まできれいに現れた虹を見たのは初めてでした。

寒さの厳しい気候と広い大地の上に育まれた人びとの開拓の精神が、丸木俊という一人の画家のなかに受け継がれてきたのだと、秩父別の空を見ながら感動しました。
現在の善性寺は火災や改築などにより、俊が生まれ育った頃の面影はほとんどありませんが、それでも画家の誕生した地を踏み、空気を吸い込むことで感じるものは大きいとあらためて実感した一日でした。
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2007/10/20

【北海道遠足初日】 「丸木俊・スマの世界」展  調査・旅行・出張

丸木俊の故郷に近い北海道立旭川美術館で開催中の「丸木俊・スマの世界」展を鑑賞するため、近現代史研究者のK沢さん、大学教師のI田さん、丸木美術館理事のM年山さんとわが家の妻T、息子Rの合計6人で北海道を訪れました。

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初日の午後に、さっそく旭川市中心部の常盤公園内にある旭川美術館を訪問しました。
豊かな緑に囲まれ、ゆったりとしたスペースに恵まれた居心地の良い美術館でした。

企画展示室には、俊の戦前から晩年にかけての油彩画や、スマの自然を伸びやかに描いた水彩画を中心に、色鮮やかな100点ほどの作品が展示されていました。
夫の位里との共同制作《原爆の図》で知られる俊ですが、その知名度の割には画業の全貌が未だ整理されていません。
本格的な回顧展が行われたこともなく、俊の作品がこれだけまとまった数で公立美術館に展示されるのは初めてのことです。

出品作品のほとんどは丸木美術館と血縁者(丸木・赤松・大道家)から貸し出されたもので、他には椎名町のギャラリーから数点の油彩画が出ていました。

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残念だったのは、当初は公開されると聞いていた俊の絵本原画(諸事情により長年未公開となっている数多くの作品)が、やはり1点も展示されなかったこと。
また、展覧会直前には、長く行方不明になっていた絵本『ピカドン』(1950年 ポツダム書店:GHQにより即日発禁、原画没収処分を受けた)の原画が発見されたとの報を聞いていたのですが、展示された「原画」は肉筆ではなく、印刷のように見えました。

2002年秋の秩父別「丸木俊展」の際に、地元の小学校の先生の熱心な調査によって発掘された俊の若き日の作品(故郷の人びとが苦学する俊を物心両面から支援するために制作を依頼したもの)がまったく展示されていなかったことにも落胆しました。
せっかくの地元開催なので、「この大地と人びとに育まれて画家・丸木俊が生まれた」と感じさせる展示を見たかったというのが個人的な感想です。

近年、『奔る女たち 女性画家の戦前・戦後 1930-1950年代』展(2001年 栃木県立美術館)や、K沢さんの著作『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、〈語られた絵画〉』(2002年 岩波書店)などの仕事により、徐々に進められていた丸木俊の画業についての研究成果が、展覧会の内容にほとんど反映されていなかったことも寂しく感じました。

もっとも、これは開催館の問題ではなく、むしろ、開催館の学芸員が展覧会の内容に関われなかったことが問題だったようで、企画というものの難しさをあらためて考えさせられました。

自戒を込めて書くのですが、展覧会などを企画して作家の位置づけを試みる場合には、先行の調査研究に対して敬意を払いつつ(もちろん鵜呑みにするのではなく)その仕事を発展させる必要があるのではないかと思います。

とはいえ、この展覧会が新潟市新津美術館や北九州市立美術館を巡回することには一定の意味があるわけで、これを呼び水にして本格的な丸木俊研究がはじまることを切に願っています。

  *  *  *

旭川美術館では、常設スペースで戦前戦後の道北の画家たちを紹介する企画(戦時中に生活図画運動を行った美術教師が弾圧を受けた「生活図画事件」なども紹介されていた)も同時開催しており、こちらもたいへん興味深く鑑賞しました。
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2007/10/19

「平和をたずねて」  来客・取材

今日は丸木位里さんの命日です。
数日前に近所のEさんが宋銭堂に花をお供えしていましたが、今日も地元の友の会の方がお線香をあげて下さいました。

午前中に千代田区のJ学院中学校218名、午後に横浜市のS女学校180名が来館。
それぞれ新館ホールで館内の説明を行いました。

毎日新聞大阪本社のH編集委員が来館し、午前中の館内説明の様子を取材。
11月28日(水)から12月末まで、毎週水曜日5回にわたって、「平和をたずねて」というコラムの中で《原爆の図》を伝える人びと(針生一郎、ヨシダ・ヨシエ、袖井林二郎、小沢節子各氏と岡村)を紹介して下さいます。
毎日新聞西部地域(三重県の一部、京都府、富山県以西)のみの掲載となります。

いよいよ明日から北海道の旭川美術館で丸木俊・スマの展覧会が開幕します。
ぼくも明日から北海道へ行き、旭川美術館や俊さんの故郷の秩父別を訪問する予定です。
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2007/10/18

小図録『丸木俊の絵画』  販売物

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丸木美術館開館40周年企画として開催した「丸木俊展 女子美術時代から《原爆の図》まで」の内容をもとに再構成した小図録『丸木俊の絵画』が本日納品されます。
A5版カラー24ページ。作品、写真、関連資料などから若き日の丸木俊(赤松俊子)の画業を振り返る内容です。

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1.女子美術専門学校
2.代用教員
3.モスクワ滞在
4.二科展初入選
5.南洋群島
6.モスクワ再訪
7.位里との結婚
8.戦時下の絵本
9.戦争と原爆
10.戦後の再出発
11.原爆を描く

以上11の項目に分けて、油彩・水彩画32点、鉛筆デッサン15点、絵本原画含む絵本10点、雑誌資料6点、写真8点を紹介しています。
この小図録は北海道立旭川美術館に搬送し、20日からの展覧会で販売する予定です。
もちろん美術館入口ロビーでも販売いたしますので、どうぞお求め下さい。
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2007/10/16

旭川道立美術館「丸木俊・スマの世界」展  館外展・関連企画

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10月20日(土)より12月9日(日)まで、北海道立旭川美術館で「丸木俊・スマの世界展 いのちあるものたちへの賛歌」が開催されます。
北海道秩父別町出身の俊にとって初の地元開催となる今回の展覧会。初期から晩年までの油彩やデッサン、絵本原画などが展示されます。夫・位里との共同制作《原爆の図》からは、第5部《少年少女》も出品されます。
また、スマの自由な筆づかいの油彩画、水彩画なども展示し、生きるものへの愛とのびやかな絵ごころに満ちた二人の女性画家の世界を紹介します。

【主な出品作】
(丸木俊)パラオ島、ヤップ島、ヤップの島の物語、アムステルダム、フローレンス、ノートルダム寺院、ゆきゑさんの像、自画像、絵本原画『ひろしまのピカ』など
(丸木スマ)村の夕暮れ、梅が咲く、ダリア、生けた南天、ひまわり、めし、やさい、わたしとクマ、一粒百万倍など
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2007/10/13

ニュース発送作業  ボランティア

丸木美術館ニュース第91号の発送作業。
今回のボランティア参加者は、Dさん、S木(N子)さん、M園さん、元実習生のI葉さんとI崎くん、初参加のY本さんに、お昼にカレーを差し入れて午後から作業に参加して下さったM年山さん夫妻とK村さん、K野さん、T口さん。

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皆さんとても良く頑張って下さったので、友の会会員分の約2,500通の発送作業を、午後3時半頃に終えることができました。
おかげで今日のうちに宅配車が集荷に来ました。
皆さま、本当にありがとうございます。

M園さんは昨日も小高文庫の整理ボランティアに来て下さいました。
連日のボランティア、とても助かります。
小高文庫は、今までダンボールに眠っていた原爆関連書籍の整理にも手をつけています。
書籍量も探しやすさも大幅に充実しそうな気配です。
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2007/10/12

旭川美術館「丸木俊・スマの世界」展搬出  館外展・関連企画

10月20日から12月9日まで北海道立旭川美術館で開催される「丸木俊・スマの世界」展のため、本日、作品の搬出が行われました。

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企画者のIさんと旭川美術館のN学芸課長が立ち会いに来て下さいました。
今回の出品作は原爆の図第5部《少年少女》をはじめ、俊さんの油彩画やスマさんの水彩画など多数。
旭川は俊さんの故郷・秩父別町にも近く、俊さんは旭川高女(現・旭川西高)の出身です。
初の地元開催となる展覧会。ぜひ多くの方にご覧頂きたいと思います。

今日は旭川美術館から展覧会のチラシ2,500部が届き、川越のS印刷から美術館ニュース3,200部、企画展「日本の報道写真家たち」のチラシ6,000部、ボランティア新聞2,700部が納品されました。
明日はニュース発送作業日となります。
美術館スタッフとボランティアの皆さんが集まり、全国の友の会会員2,300名に宛てて、ニュースをお送りいたします。
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2007/10/11

柿の木プロジェクト展に向けて  企画展

今日は、12月22日(土)から2008年3月29日(土)まで開催される「柿の木プロジェクト展」の打ち合わせを行いました。

まず、昼休みに唐子小学校を訪問して、3年生担任の先生・教頭先生と、市役所環境保全課の職員といっしょに丸木美術館出張ワークショップの打ち合わせ。
昨年も実施したこのワークショップ。今年も企画委員長のM年山さんにお願いして、11月8日、22日、29日の3日間行います。
このワークショップで完成した作品を、丸木美術館の展覧会で展示するのです。

午後からは場所を丸木美術館に移動して、地元の「天の園」の会の皆さんと、柿の木プロジェクトのスタッフといっしょに展覧会の内容を話し合いました。
長崎の被爆柿の木を世界各地に植樹する「柿の木プロジェクト」。昨年3月には唐子小学校と唐子中央公園にも植樹しています。
今回の展覧会は、植樹から1周年という記念の意味も含みます。
展覧会名は「いのちをつなぐ希望の木 柿の木プロジェクトin唐子」となりそうです。
展示内容も、これから詰めていく予定です。
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