2007/2/27

藤沢市30日美術館作品撤去  館外展・関連企画

今日は休館日でしたが、藤沢市30日美術館の作品撤去作業に行きました。
25日に終了した藤沢市30日美術館「藤沢と丸木位里・丸木俊」。1月23日から2月25日までの実質30日間の会期中の入場者は4,718人だったそうです。
藤沢市職員・実行委員の皆さまはじめ関係者の方々には本当にお世話になりました。
どうもありがとうございました。
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2007/2/25

2月の入館者が1000人を超える  入館者数

例年は寒さのために水道管が凍結する丸木美術館ですが、今年はまだ一度も凍結していません。
その暖冬のおかげなのか、2月の有料入館者が今日で1000人を超えました。手元に記録のある2002年度以降では例がなく、おそらく21世紀に入って初めてなのではないかと思います。
今月の特徴は団体入館者が多かったこと。学校団体のシーズンである6〜7月、10〜11月に続き、今年度で5番目に多い626人を記録しました(今日も予約なしの40人の団体が来館しています)。
最近の傾向として、団体来館時期の分散化をあげることができます。従来の学校団体シーズンの来館者が大幅に減少しているのに対し、その他の時期の団体はほぼ増加傾向。
一団体あたりの人数が少ないのも特徴です。そのため、館内説明の回数自体は減っていない(むしろ増えている?)にも関わらず、新館ホールで大人数を相手に説明する機会は確実に減っています。
学校団体自体も少人数化し、来館時期も分散化しているようです。
最終的に今年度の団体入館者は昨年度をわずかに上回りそうですが(一昨年度の数字はすでに大幅に上回っている)、2003年度に比べると1000人以上減少する見込みです。
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2007/2/23

《原爆の図》の生成をめぐる構想  館外展・関連企画

昨日訪れた「藤沢市30日美術館」は、藤沢(片瀬目白山)在住時代の丸木夫妻に焦点を当てるという企画でした。
丸木夫妻が藤沢に住んでいたのは1948年から1953年頃まで。ちょうど《原爆の図》の構想をはじめてデッサンなどの本格的な準備を行い、《原爆の図》第1部から第6部までを描き上げた時期と重なります。
二人はこの地で《原爆の図》の画家として認知され、文庫版画集がベストセラーとなり、その印税で練馬の谷原に家を買って転居しました。
まさに丸木夫妻にとって藤沢は《原爆の図》の生成と非常に密接に重なる場所だったのです。

ところが、《原爆の図》をご存知の藤沢在住の方でも、丸木夫妻が藤沢で《原爆の図》を描いたことは知らなかったという方が多いそうです。
今回の展覧会は、地元への周知という意味でも果たした役割は大きいと言えるでしょう。
第5部《少年少女》の姉妹像のモデルになった女性や、当時夫妻のアトリエに出入りしていた湘南高校の美術部の方、藤沢駅前の旅館で行われた《原爆の図》展をご覧になった方など、新しい証言者も発掘されました。

昨日、K寺理事長や藤沢市のS谷学芸員とお話したのは、近いうちに今回新たに現われた証言者を中心に本格的に聞き込み調査を行い、その成果をまとめるという構想です。
できれば2008年度あたりに丸木美術館の企画展として、今回の藤沢展を発展させる形で《原爆の図》の生成をめぐる内容の展覧会を開くことができないかとも思いました。

ぜひ前向きに検討し、実現させたい企画のひとつです。
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2007/2/22

「藤沢市30日美術館」遠足  調査・旅行・出張

今日は「藤沢市30日美術館 藤沢と丸木位里・丸木俊」展を見るため、評議員のK沢さん、都留文化大学のK田さん、妻T息子Rといっしょに藤沢市民ギャラリーを訪れました。
K沢さんとK田さんは午前中の早めの時間にギャラリーに到着されたのですが、わが家は2歳8ヶ月の息子を連れて都心の通勤ラッシュは厳しい(周囲も迷惑でしょうし…)と判断して、少し遅れて到着しました。特に混雑の激しい池袋−横浜間はJRのリゾート特急「スーパービュー踊り子」に乗り、快適なキッズルームで親子とも大満足。

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ギャラリーを鑑賞した後は、藤沢市文化推進課のK尾さんや学芸員のS谷さんといっしょにワゴン車に乗って、丸木夫妻が《原爆の図》を制作した片瀬目白山のアトリエに移動しました。
以前に一人でこの場所を訪れようと散々歩き回り、結局断念した経験のあるK田さんは、「私この道も通りましたよ! でも全然気がつかなかった…」と納得のいかない様子。
確かに、とても見つけにくい場所に建つ家なのです。

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《原爆の図》の研究者としても知られるK沢さんは、「やっぱり実際にお二人が生活をした場所を訪れると、感じるものがありますね。そのうちにぜひ(丸木夫妻の故郷である)秩父別や飯室にも行きたいですね」とおっしゃっていました。

その後、江の島に移動して海を見下ろす食堂で昼食をとり、位里さんが油彩画《海》を描いた岩場を散策しました。
写真は女性陣に囲まれて岩場で遊ぶ息子R。しかし、その後思わぬ悲劇が…

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妻Tと息子Rが遊んでいるところを狙って、突然大波が打ち寄せ、二人とも転倒してしまったのです。妻Tは波の中に尻餅をつき、息子Rは頭から波をかぶって大泣き。
息子Rのズボンと下着の着替えは持ってきたのですが、上半身は裸にタオルを巻いて緊急退避。妻Tのコートもびしょ濡れでとても着られる状態ではなく、母子揃って散々な目に……
ビニール袋や靴下などを調達して下さった藤沢市職員の皆さまはじめ、同行の皆さまにはたいへんご迷惑をおかけしました。

藤沢市民ギャラリーに戻り、午後4時すぎには丸木美術館理事長のK寺さんが来場。
企画展を見て頂いた後、「いずれ、《原爆の図》の生成過程をたどる企画展を丸木美術館で開催したいですね」という話をしました。

帰りは息子Rのリクエストにより「江ノ電」と「湘南モノレール」を乗り継ぎ、大船駅から「湘南新宿ライン」に乗って帰宅しました。
波乱の一日を過ごした息子Rは途中で熟睡。結局朝まで起きませんでした。
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2007/2/20

書道雑誌『日本書法』  執筆原稿

今日は書道雑誌『日本書法』(3月20日発売)の原稿締切日です。
ここ数日の体調不良に加え、今日は午前中から川越のMさん、小川町のK林(M)さんが来館して賑やかに身の上相談などしているので、思うように筆が進まず、結局今日の原稿送付は断念して後日納得のいく内容を仕上げることに決めました。

今回の原稿の内容は丸木位里の「人と作品」について。
雑誌の表紙には、紙の白地を塗り残すことでひと筋の滝を印象的に浮かび上がらせた位里の代表作《九龍の瀧》(1965年制作)が使われます。
撮影時に、その滝の絵が1967年のサンパウロ・ビエンナーレでは90度横に傾けて《水平線》の題で出品された(滝は横にすると水平線にも見える)との逸話を知った編集部の方々から「原稿のなかでその逸話を紹介して欲しい」と言われました。
その他にも、「靉光との関係を紹介してくれるといいね」とか幾つかの要望があり、最終的には「好きに書いて下さい」と言われたものの、いざ書き始めるとそれらの要望が頭をよぎってしまいます。
結局、課された制約をすべて取り込みつつ文章を練ることになりそうです。
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2007/2/17

美術館クラブ「お椀とピンポン玉でお雛様を作ろう」  ワークショップ

今日の美術館クラブは画家の丸木ひさ子さんの案内で、「お椀とピンポン玉でお雛様を作ろう」。
参加者はスタッフ含めて7〜8人ととても少ない回になってしまいましたが、暖かい日差しの中で、のんびりとお雛様を作りました。

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ちょっと不思議で色とりどりのお雛様は、見ているとなんだか楽しい気持ちになります。
ちょうど企画展で「廃品復活展」を開催しているため、今回のお雛様も会場に飛び入り展示されることになりました。

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また、この日は、もうすぐ廃車になるM年山さんのワゴン車が美術館に到着しました。
「廃品復活展」のオープニングでみんなが絵を描いた賑やかな車です。美術館入口の駐車場に展示(?)されていますので、ご来館の折にはぜひご覧下さい。
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2007/2/15

今年も江東区のT小が来館  来客・取材

昨年に続き、東京江東区のT小学校6年生の団体が元気いっぱいに来館しました。
2階の《原爆の図》の前で全体の説明を行い、館内をゆっくりと見学した後で、外に出てお弁当を食べました。
かなり強い風が吹いていたにもかかわらず、子どもたちは元気いっぱい。昼食後はもはや“恒例”となっている(?)川遊びです。

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もっとも川遊びは、大島の漁師の息子だったという校長先生が、率先してパンツ一枚になって走り回っていたようですが……
東京のコンクリートに囲まれて育った子どもたちには、きっと今日の川の水の冷たさも、北風の寒さも、しっかりと心に刻まれたことでしょう。もちろん《原爆の図》や丸木美術館の記憶と共に。

子どもたちを連れて来たT小学校の校長先生は、実は丸木美術館職員のY子さんのお父さんK介さんの教え子なのです。
今日はK介さんも来館し、子どもたちの前で校長先生の高校時代の思い出を披露。「校長先生はヤンチャでしたか?」という子どもたちの質問に「友だちを思う気持ちの強い子だったよ」と答えていました。
さまざまな問題を抱える難しい家庭が多いというT小学校の子どもたち。校長先生の破天荒なパワーと明るさに支えられているようです。
K介さんが子どもたちに送ったメッセージのように、「ひとりひとりがかけがえのない命を大切にして」伸びやかに育って欲しいものです。

  *  *  *

今日はN事務局長が「原爆の図展」下見のため高崎へ出張。
“N事務局長がいない日は来客が多い”というジンクス通り、多くの来客がありました。
午前中は世田谷区のO木さんが来館。企画展を見に来て下さったとのことですが、乗り物好きのわが家の息子Rのために『JR特急列車年鑑2007』『日本の旅客機2006−2007』など電車飛行機関連書籍を5冊と、Y子さんの好きなチョコレート菓子をお土産に持ってきて下さいました。
川越のK介さん、N子さん夫妻や、M年山さんとK村さん、練馬区のH多さんなど友の会の方々も次々と来館し、H多さんからは「日本アンデパンダン展」の招待券を頂きました。
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2007/2/12

「藤沢市30日美術館」ギャラリートーク  館外展・関連企画

昨日は丸木俊さんの誕生日(1912年生まれ)。
早朝、先月28日に「藤沢市30日美術館」で行われたギャラリートークの録音テープを聴きました。
このギャラリートークは、神奈川県立近代美術館のM澤さんと藤沢市民ギャラリーのS谷さんを中心に行い、丸木家のH子さんも参加していました。録音テープはH子さんからお借りしたものです。
トークは冒頭から藤田嗣治の戦争画に触れ、丸木夫妻の《原爆の図》との比較から始まる刺激的な内容。第5部《少年少女》に描かれた印象的な姉妹像のモデルとなったS藤さん(茅ヶ崎市在住)も会場を訪れ、当時の思い出などを話して下さいました。
戦争という大きな出来事を避けて語ることのできない20世紀の歴史。しかし、トークのなかでM澤さんも語られていましたが、戦争で歴史を分断するのではなく、前後に連なる美術史の流れのなかで個々の作品の意味を見直していく作業は、今後ますます盛んになることでしょう。
今回のトークは限られた時間のなかで行われましたが、いつか機会を改めてM澤さんには20世紀における《原爆の図》の意味について深くお聞きしたいと感じました。
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2007/2/10

「廃品復活展」の取材  企画展

朝日新聞西埼玉支局のN記者が「廃品復活展」取材のために来館されました。
「入館者の少ない冬場を、あっと驚く面白い企画で盛り上げたい」とM年山さんが企画した今回の展覧会。新聞社の来館取材は埼玉新聞に続き2社目となります(他に東松山ケーブルテレビが来館取材)。記事の方は近日中に掲載されるとのこと。

そこでこの日誌では、今回の企画展を代表する作品をご紹介します。
企画展示室に入って正面の壁に展示されている田島和子さんの《アフガン・バザールの男たち》。
古ぼけた木の板に直接たくさんの男たちの魅力的な顔が描かれています。板はそれぞれ小さな釘で辛うじて固定されているため、展示はとてもデリケートな作業でした。

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田島さんは1996年夏から2000年冬までパキスタンのイスラマバードで暮らしました。
当時アフガニスタンは内戦状態が続いていて、大勢の難民がイスラマバード郊外に小さな村を作っていたのですが、彼らはイスラマバードで開かれる野外バザールにカーペットや骨董品などを出店し、田島さんもよくバザールに出かけて買い物をしたそうです。
ある時、友人の農園からマンゴウが届き、その木箱が気に入ったので、捨てずにその板に市場で良く見かける男の顔を描いてみると、なかなか良い雰囲気になりました。そこで彼女は市場へ行くたびに木箱を集め、ベランダに積み上げて、市場の男たちの顔を描くことにしたのです。とはいえ好奇心旺盛な人たちなので、市場でスケッチするのではなく、写真を撮らせてもらうことにしました。すると、ふだんは愛想が悪く険しい顔の男たちが、とても魅力的な笑顔で写真に写ってくれたのだそうです。
八百屋のお兄さん、肉屋のおじさん、アフガン帽子を売る少年、香辛料を売るおじいさん……市場には、近隣国のアフガニスタン、カザフスタン、アゼルバイジャンから来たという人も働いていました。黒い瞳から青い瞳、モンゴルからヨーロッパまでたどれるような様々な顔立ちの人々に出会い、田島さんはガンダーラの遺跡を残すタキシラの博物館で出会ったテラコッタのブッダや西域の帰依者のさまざまな顔を思い出したそうです。この地は遠い昔から、様々な民族が行き来し交流し続けている土地なのでした。

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この作品は、1998年9月にイスラマバードのナショナルギャラリーに展示され、当地の新聞にも好意的に紹介されました。
田島さんは、八百屋のおじさんなど一般の人々が感心し、面白がってくれたのが何より嬉しかったとのこと。それからは、近所の八百屋のおじさんも愛想が良くなり、時にはおまけをしてくれるようになったそうです。
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2007/2/9

雑誌『日本書法』掲載作品撮影  来客・取材

3月20日発売号で丸木位里特集が決まっている書道雑誌『日本書法』(書道芸術社、A4版、定価2,000円)の編集スタッフとカメラマンが来館。一日がかりで掲載作品の撮影を行いました。

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今日の撮影のメインは丸木位里の書。“若鮎躍動”“一粒百万倍”という美しい内容から、“悪事千里行”“好事魔多し”など毒のある作品まで、丸木位里が1991年6月に永井画廊で開催した「卒寿記念書画展」の出品作を多数撮影しました。書道ジャーナリストのO熊さんは「想像していたより面白い」と満足気でした。
O熊さんは落款にも造詣が深く、今日は30数点現存する位里の落款の調査も行いました。ぼくは落款についてはまったく知識がなかったので、いろいろ教わることが多くてとても興味深かったです。

今回の特集は、丸木位里の水墨画と書に焦点を絞ってカラー16ページで紹介するという、ある意味奇特な企画です。
「墨は流すもの」という独特の思想から生まれた位里の世界(書の上に墨を流すという驚くべき作品もありました)を、ぜひご覧頂きたいと思います。
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2007/2/8

「柿の木プロジェクト」唐子小ワークショップ  館外展・関連企画

丸木美術館も参加している地元唐子地区の「柿の木プロジェクト」。長崎の被爆柿の木を植樹して、皆で守り育てるプロジェクトです。
今日は唐子小学校に出張して、3年生といっしょに今月26日(唐子小)と来月8日(唐子中央公園)の植樹式に向けたモニュメントづくりを行いました。
ご案内は丸木美術館クラブ工作教室でおなじみの万年山えつ子さん。

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地元のホタルの里から切り出した竹に、みんなで柿渋(赤、黒、白、黄、茶の五色の塗料)を塗って思い思いのモニュメントを作りました。柿渋は水をはじくので、耐水効果もあります。
この竹を、植樹する柿の木のまわりにたくさん並べて立てるのです。

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モニュメント作りの後には、使い古しのマジックのキャップなどを全員で黒塗りの板(ベッドの横板だそうです)に接着して不思議なアート作品を作りました。
この色鮮やかな作品は、現在開催中の丸木美術館企画展「廃品復活展」に唐子小学校3年生の作品として展示されます(3月31日まで)。

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ワークショップは3、4時間目を使って行ったのですが、その後はみんなの大好きな給食の時間。なんとぼくたちも招待されて教室で給食を頂きました。

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写真は子どもたちといっしょに座って「いただきます」を待つN事務局長。貴重な写真です。
ぼくの隣りに座った男の子からは、「あの人なんで頭にナプキン巻いてるの?」という素朴な質問も・・・・・・

最近の給食はとても美味しいので驚きました。
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2007/2/8

朝日新聞朝刊「今日のうんちく」  掲載雑誌・新聞

今日2月8日は丸木夫妻が原爆の図第1部《幽霊》を発表した第2回日本アンデパンダン展(1950年)の初日です。
朝日新聞朝刊第3社会面「今日のうんちく」欄に、その紹介記事が掲載されました。
記事には、《原爆の図》発表からその後の丸木夫妻の足取り、丸木美術館の財政難などを紹介し、支援金が寄せられたことや「友の会」が運営の支えであることなどが紹介されています。
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2007/2/4

作品寄附  作品・資料

丸木位里の水墨画《山》を寄附して頂くとのご連絡を受けて、今日は東京の調布市まで作品を引き取りに伺いました。
作品は10号ほどの大きさで、制作年などは不明です。
今回ご寄附頂いた女性の義理のお母さまが、かつて赤坂で料亭を営んでいたおりに日動画廊の社長さんから頂いた作品とのことです。

ここ数日、たまたま作品の寄附が重なって、《山》のほかにも位里の掛け軸《牛》、短冊2点、俊の戦前の板絵《モスクワ アパートに向ふ並木道》、スマの色紙《えびすさん》が新たに丸木美術館の収蔵品となりました。
詳しくは次回発行の美術館ニュースでご報告いたします。
いずれ機会を見て丸木美術館に展示してご紹介したいと思っています。

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写真は位里の《牛》と俊の《モスクワ アパートに向ふ並木道》。
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2007/2/4

谷口幹郎展の目録作成  特別企画

1月21日から28日まで丸木美術館2階アートスペース(貸ギャラリー)にて谷口幹郎展が開催されました。
会期が短く、しかもぼくのいくつかの館外での仕事とちょうど時期が重なってしまったこともあって、日誌でも充分な紹介ができなかったのですが、今日はようやく谷口展の作品目録作りに着手することができました。
アートスペースは貸ギャラリーなので、これまで目録の作成などはしていなかったのですが、谷口さんは以前美術館で働いていたこともあり、普段からボランティアとして美術館クラブの準備などを手伝ってくれているので、今回の展示をなんとか記録として形に残してあげたかったのです。
目録には会期中に撮影した作品写真全25点を掲載。
今回の展覧会では、はじめて谷口さんの作品を総括的に見ることができました。
あらためて気づかされるのは、10代の頃の冴えた透明感のある写実作品と、30代のアンデスを題材にした楽園的な作品の間に、彼の精神的な問題によって重く横たわる10年間の断層です。
まったく制作ができなかったという10年の歳月が、彼に何を失わせ、また何をもたらしたのかを深く考えさせられる個展でした。

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写真は彼の記念碑的作品とも思える《アンデス高原の調べU》(1999年頃)。
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2007/2/3

原爆観音堂のこと  その他

神戸から帰ってから数日間、原爆観音堂の取り壊しという現実に直面し、日誌を記入する気力が沸きませんでした。
1日(木)夜には来年度の企画委員会が開催されました。
2日(金)午後には原爆観音堂が完全に撤去されました。

先日の神戸の講演では、「丸木美術館とその周辺環境は、丸木夫妻が(《原爆の図》とともに)残したもうひとつの“代表作”」と紹介しました。
丸木夫妻の残した歴史ある建築物、そして多くの人の祈りの場があっけなく姿を消したことについては、今も心の整理がつきません。

原爆観音堂の再建計画についてはここ数日で二転三転し、正式に決定するのはしばらく先になりそうです。
ぼく自身の心の整理がつかないこと、そして丸木美術館としての公式な経過説明については慎重を期する必要があることから、この学芸員日誌には今後も原爆観音堂取り壊しの経緯については記さないことにします。
一個人としては、丸木夫妻や丸木美術館に関わる多くの方々のためにも、迅速かつ正確な経過報告が行われることを望んでいます。
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