2007/1/31

2007年1月の入館者  入館者数

【月計】個人331人(前年比−78人)、団体31人(−31人)、計362人(−109人)
【年間累計】個人9,890人(前年比+1,863人)、団体6,309人(−283人)、計16,199人(+1,580人)

1月は暖冬にもかかわらず入館者数が伸びず、個人・団体共に有料入館者は前年比減となりました。個人の月間有料入館者数が前年比減となったのは今年度初めてのことです。
とはいえ、年間総有料入館者数は1万6,199人となり、前年度3月末までの1万6,158人を1月末の時点で上回りました。
これで2006年度の有料入館者数は2005年度に続き前年度を上回ることが確定したわけですが、2年度連続の入館者増は1981〜82年度以来、実に24年ぶりのことです。
多くの方々の御支援と御協力に心から感謝いたします。
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2007/1/31

原爆観音堂  その他

丸木美術館の前庭に建つ「原爆観音堂」が、急遽取り壊されることになりました。
丸木家の意向により、「流々庵(観音堂の奥に建つ茶室)を来館者に使ってもらうため」との理由です。

原爆観音堂は、1970年5月に丸木夫妻によって建立されました。
当時の丸木美術館ニュース第3号(1970年夏発行)には「爆心から三キロのところで被爆した家は畑の中でくずれおちて、たった一けんのこっていた家。それは父母と妹たちがすんでいた家でした。その家が今日までくずれたままでのこっていました。二十五年もたってようやくとりこわして新しい家をたてるというのでその材料(木と瓦)をトラック一台美術館まではこんできました。丸木につたわる観音像と、それにふずいする色々な物を持ってまいりました。これを原爆観音堂と名ずけることにしました」という、記名はないものの、おそらくは俊さんによる文章が掲載されています。
俊さんは自伝『女絵かきの誕生』(1977年朝日新聞社刊、1997年日本図書センターより再刊)のなかでも、「美術館のすぐ前が観音堂です。原爆でくずれた、ひろしまの丸木の家から古財をもってきて建てました。四角四面の屋根の上に、素焼きに油絵の具で絵つけした鳩が、西方浄土を向いています。「ピカは 人がおとさにゃ おちてこん」と言った、おばあちゃんの言葉を、位里が書いて、飾りました。千羽鶴と香の絶えることなく、八月六日には、ここで法要を行います」と記しています。
また、宇佐美承著『ルルの家の絵かきさん』(1978年8月偕成社刊、1985年に『原爆の図物語』として小峰書店より刊行)にも、「位里じいさんは、まもなく、広島から、やけのこったふるい材木と、かんのんさまをおくってもらって、美術館のまえに、かんのん堂をたてた。〈ピカは人がおとさにゃおちてこん〉とかいて、正面にかざった。これは、スマばあさんのことばだった。おぼうさんにお経をあげてもらって、みんなでお線香をあげた。子どもたちは、千羽ヅルをおって、川にながした」と紹介されています。

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(写真は昨年8月6日ひろしま忌=正面に見えるのが原爆観音堂)

わが家の息子Rは、この観音堂がお気に入りで、美術館に来るたびに必ず鐘を鳴らして「なむなむ」と小さな手を合わせていました。
これまでも、数えきれないほど多くの大人たち、子どもたちがこの観音堂に千羽鶴を供え、手を合わせて祈りを捧げたことでしょう。
丸木夫妻の残した貴重な痕跡が失われてしまうことは、本当に残念です。

原爆観音堂は駐車場奥の宋銭堂の隣に移り、新築されることになります。
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2007/1/31

神戸YWCAにて講演  講演・発表

1月29日(月)午後1時30分より神戸YWCA5階チャペルにて「戦争の悲しみを絵画から聴く」と題する講演を行いました。
26日(金)付の毎日新聞地域欄に、写真(原爆の図第3部《水》の母子像部分)入りで大きな記事を掲載して頂いたこともあって、小さな会場はほぼ満席(関係者の話によると約60人)の盛況になりました。
神戸YWCA学院専門学校の日本語教師養成科の学生さんも数多く来て下さって、とても話しやすく和やかな雰囲気でした。

当日配布したレジュメの見出しは以下の通り。《原爆の図》15部作をはじめ45点の作品をデジタル画像で紹介しながら90分ほどお話をしました。

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1.原爆の図のある美術館
2.丸木位里・丸木俊 二人の画家
  a.前衛的な水墨画家・丸木位里(1901-1995)
  b.叙情豊かな油彩画家・丸木俊(1912-2000)
3.原爆の図の生成
  a.広島での原爆体験
  b.原爆を表象する意味
  c.生命の象徴(母子像)と破壊の象徴(原爆)
  d.被爆体験の絶対的な伝達不可能性
  e.世界巡回展と「希望に続く物語」
4.天衣無縫の画家 丸木スマ
  a.70歳を過ぎて絵筆をとる
  b.ピカは人がおとさにゃおちてこん
5.世界巡回展後の展開
  a.アメリカ巡回展と加害への視点
  b.私たちは《原爆の図》に何を見るのか

会場には、『原爆の図』画集や丸木スマ絵葉書などの販売コーナーが設置され、丸木美術館支援のカンパ箱なども用意されていました。販売物はほぼ完売、カンパも「かなり集まっている」とのことで、こちらも盛況だったようです。
講演後には会場でお茶会があり、その後中華料理店に移動してYWCAの皆さんと夕食を頂いたのですが、皆さんのお話によると、参加者の方々からは「とても良かった」という感想が聞こえてきたとのこと。たいへん嬉しく思いました。

神戸YWCAを紹介できる写真をうっかりして一枚も撮影せずに帰ってきてしまったのが残念ですが、今回の講演を企画して下さった平和基盤委員会のT沢さんのお話では、「今度はぜひ丸木美術館を訪れて《原爆の図》を観ましょう」という声もあがっているそうです。
また丸木美術館で皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

  *  *  *

今回の神戸講演には、2泊3日で妻T息子Rもいっしょに行きました。
少々迷ったのですが、父の仕事の場をできるだけ家族と共有したいという思いもあって、お世話になる神戸YWCAの方にもご了解頂いた上で同伴旅行を決めました。
電車が大好きな息子Rのために、旅行のスケジュールはJR大阪駅での電車見学を中心に組み立て、豪華寝台特急「トワイライト・エクスプレス」や、北陸方面の特急「サンダーバード」「雷鳥」、その他「タンゴエクスプローラー」「日本海」「はまかぜ」「スーパーはくと」などの特急や在来線、関西空港では南海特急「ラピート」、JR特急「はるか」などたくさんの写真を撮影しました。偶然通りかかった貨物列車「桃太郎」の撮影に成功したときには家族そろって大よろこびでした。
旅行の最終日には須磨海岸で息子Rは初めての海を体験。靴やズボンをびしょびしょに濡らしながら波打ち際で遊びました。
今回、息子Rは初めて飛行機に乗ったのですが、行き帰りに機内で飛行機の模型をプレゼントされ、神戸空港でも土産店で玩具の飛行機セットを購入したこともあって、どうやら彼のなかでは「飛行機ブーム」が到来しつつあるようです。

今回お世話になった神戸YWCAの皆さま、どうもありがとうございました。
とりわけ、講演の企画を頂いたT沢さん、事務的な手続きを担当して下さったN嶋さん、宿泊場所としてご自宅の離れを提供して頂き、息子Rを孫のようにかわいがって下さったT崎さんには、心から御礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
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2007/1/26

谷口幹郎展  特別企画

現在、丸木美術館2階アートスペース(貸ギャラリー)にて「谷口幹郎展」が開催されています。
谷口幹郎さんは川越の万年山えつ子さんが主宰する自浄アトリエ「カルディア会」のメンバー。
今回の展覧会では、高校時代の《自画像》などの油彩画から、アンデスの民族音楽などをテーマにした近作までを展示。谷口さんの絵画制作活動を振り返ることのできる内容になっています。

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真面目で繊細な谷口さんは、毎日午後1時頃に規則正しく来館します。N事務局長は「電話をくれればいつでも駅まで迎えにいくよ」と言っているのですが、どうやら谷口さんは最寄りの「つきのわ駅」から毎日30分近くかけて歩いて来ることに決めたようです。
昨日ご紹介した『日本書法』Vol.10(3月20日発売号)にも、谷口展のレビューが掲載される予定です。
ぜひ多くの方に足をお運び頂きたいと思います。(1月28日まで)
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2007/1/25

雑誌『日本書法』丸木位里特集  掲載雑誌・新聞

午後、美術ジャーナリストのO熊さんと、書道芸術社から出版されている季刊誌『日本書法』(A4版、定価2,000円)のY崎編集部長、カメラマンのA井さんが来館し、3月20日発売予定のVol.10「玉水萌芽号」の特集に“水墨画家 丸木位里”を取り上げて頂くことになりました。
『日本書法』は書道の専門誌ですが、Vol.8で橋本関雪、Vol.9で速水御舟と日本画家を特集で取り上げており、今回は水墨画家としての丸木位里の画業を紹介して下さるとのことです。

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17ページにわたる特集記事の中で、位里の代表作《臥龍梅》(東京国立近代美術館所蔵)や《雨乞》(広島県立美術館所蔵)をはじめ、《竹》《鵜》《牛》《松韻》などの作品をカラー図版で大きく掲載予定。書道雑誌なので、位里の書にも焦点を当てます。もちろん丸木美術館も1ページを使って紹介されます。
ぼくは位里の画業についての解説文と、略歴紹介欄を担当します。
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2007/1/24

高浜市「かわら美術館」学芸員来館  来客・取材

今年夏に《原爆の図》展を予定されている愛知県高浜市の「やきものの里かわら美術館」のK学芸員が来館、出品候補作品を下見し、撮影されました。
「かわら美術館」では、平和を考える企画を数年に一度ずつ開催しており、これまでには長野県にある無言館の戦没画学生の絵や、写真家の田沼武能の作品を展示したことがあるそうです。
夏休みの時期に合わせて企画される《原爆の図》展。ぜひ多くの子どもたちに見て頂きたいものです。

  *  *  *

午前中、東京都内の生協グループが来館し、2階の《原爆の図》の前で館内説明を行いました。昨夏のNHKニュースをご覧になったとのことで、「丸木美術館の存続は大丈夫ですか」との質問も頂きました。皆さん小高文庫で昼食を召し上がり、ゆっくりと館内で過ごして頂きました。

午後には東京都F市の中学校の先生2人が3月の団体来館の下見のため来館。
見学の前に生徒たちに事前学習をしたいとのことで、昨夏テレビ東京で放送された30分番組『美の巨人たち』のDVDをお貸ししました。
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2007/1/23

藤沢市30日美術館オープニング  館外展・関連企画

今日は午前10時から藤沢市民ギャラリーにて開催された「藤沢市30日美術館」のオープニングに出席しました。
藤沢市の片瀬に住んでいた時代の丸木夫妻の画業に焦点を当てた企画展です。
当初は未完の共同制作《原爆の図 夜》と、デッサン、油彩、水墨画などの展示を予定していたのですが、その後、俊の挿絵や装幀などの資料も追加展示することになり、オープニング当日の朝9時に資料を会場に持ち込んで、ぎりぎりの時間まで展示作業を行いました。
オープニングには藤沢市長や30日美術館運営委員や関係者などが出席。
丸木ひさ子さん・丈二さん夫妻も地元ケーブルテレビの取材を受けました。

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オープニングの後は現在も残っている丸木夫妻の片瀬のアトリエを見学に行きました。
片瀬目白山の中腹にひっそりと建つその建造物は、おそらく昭和初期に建てられたものだと思われますが、今も個人の住宅として使用されている現役の家なのです。
当時の写真と比べると壁の色は変わっており、増築もされていますが、三角屋根や窓の位置、板張りの外壁などの雰囲気はそのままです。
近くには湘南白百合中学・高校があるのですが、ひさ子さんの話によると、丸木俊は当時、出入りの知人たちと別れ際に「ごきげんよう」と挨拶する「白百合ごっこ」をして遊んでいたそうです。

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藤沢市民ギャラリーのS学芸員が、関係者からの聞き取り調査を元に見取り図を作成してくれました。この建物で初期の《原爆の図》は描かれたのです。

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次に江ノ島に移動して、お昼に「江ノ島丼」(親子丼の鶏肉の代わりにサザエが入っているもの)を頂き、丸木位里の油彩画《海》が描かれた場所を探しに稚児ヶ淵のあたりを散策しました。運営委員や市の職員の皆さんは地元の方ばかりで、代わる代わるガイドをして下さいました。
写真は油彩画の《海》と、この辺りではないかと見当をつけて撮影した風景です。

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「藤沢市30日美術館」は地元マスコミの注目度も高く、初日の来場者は100人を突破しました。
お世話になった藤沢市の皆さま、ありがとうございました。
会期中、多くの来場者がギャラリーに訪れて下さることをお祈りします。

帰りは電車好きの息子Rのために江ノ電を撮影。そのまま藤沢から鎌倉まで江ノ電に乗ってみました。今度はぜひ家族を連れて行きたいです。
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2007/1/21

「廃品復活展」・「谷口幹郎展」オープニング  イベント

企画展「廃品復活展」とアートスペース「谷口幹郎展」の初日。大勢の関係者が集まって、楽しい一日を過ごしました。
とはいえ、まだ企画展の展示は終わっていません。M年山さん企画の傾向として、会期が始まっても展覧会は完成せず、それどころか出品作は日に日に増え続け、会期終了間際に全貌が明らかになるということが多いので、きっと今回もそうなるのでしょう。
作品の見どころなどについては、後日あらためてご紹介することにします。

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丸木美術館のオープニングはたいてい野外パーティなので天候に大きく左右されるのですが、今日は天気予報を覆し比較的温かい一日となり事務局はひと安心。M年山さん(夫)のおでんや、川越のS木(N)さんのちぢみ、妻Tの肉まんなどが振る舞われ、参加者の皆さんは心も体も温まっていたようです。

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ウクレレ、ギター、オカリナなどのコンサートも行われ、なかでもウクレレ奏者のWさんの廃品楽器(本棚の板とミルク缶を使った一弦のギターのような楽器)を使った「俺を廃品と言うなよ」という歌に会場は大いに沸きました。歌の途中で本当に楽器が壊れてしまったのも良かったです。

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イベントの最後を飾った仰天パフォーマンスは、M年山さんが主宰する自浄アトリエ「カルディア会」で大いに親しまれてきたスバルのクラシックスタイルの軽自動車へのペインティングでした。
もうすぐ廃車になる運命の愛車に、M年山さんは「皆さんでぜひ落書きをして下さい!」と呼びかけたのです。
車に愛着のある「カルディア会」メンバーの中には涙ぐむ方もいましたが、これもM年山さんなりの陽気なお別れのやり方だったのかも知れません。
廃品復活展は3月31日(日)まで開催しています。
(ペインティングされた車は展示していません。M年山さんがまだ乗っています。)

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2007/1/20

美術館クラブ「釜めしの器が鉢カバーに変身!」  ワークショップ

毎月恒例の美術工作教室「丸木美術館クラブ」。
今月は画家の草薙静子さんのご案内で、釜飯の器に色とりどりのガラスのタイルを貼って、きれいな鉢カバーを作りました。
今回の参加者は市内の親子連れの小学生が多く、最年少のわが家の息子R(2歳7ヶ月)を含め12人ほど。M年山さん得意の「Oやの釜飯」の器に、思い思いにガラスのタイルを貼り付けて、不思議で面白い作品がたくさんできあがりました。

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実は、今日は、第1回の美術館クラブから参加してくれていたM島さん一家のKちゃんが美術館クラブを卒業する日なのです。当時(4年前)は東松山市内の高坂に住んでいたM島家は、志木市に引っ越してからもたびたび美術館クラブに来てくれました。しかし、子どもの成長とともに生活環境も変化し、週末に長い時間をかけて美術館クラブまで通うことが難しくなってきたのです。
今後も、「開館記念日」や「ひろしま忌」のイベントには参加して下さるとのことですが、美術館クラブはひとまず“卒業”。

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美術館クラブが軌道に乗るまで毎回休まず参加し続けてくれたM島家の皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
はじめの頃は参加者が集まらず、M島家だけの寂しい回もありました。その後は小学校のお友だちを何人も連れてきてくれて、おかげで美術館クラブも活気が出てきたのです。
息子Rが生まれたときにはお祝いを頂いたり、妻Tのお菓子教室にも参加してくれたり、わが家もずいぶんお世話になりました。
去年の「ひろしま忌」で、Kちゃんのお兄ちゃんのYくん(こちらも第1回からの参加者)が活動している川越J中学の生徒会が和太鼓演奏をしてくれたことも忘れられません。
何より、Kちゃんが毎回作る自由で楽しい作品の数々が素晴らしかった。いつか描いたカニの絵は、スマさんにも劣らぬ素晴らしさで、本当に「欲しい!」と思いました。
Kちゃん、今まで本当にありがとう。これからも、丸木美術館に遊びに来て下さい。

今日はわが家の妻Tはお菓子教室のため残念ながらお休みだったのですが、ミルクレープを差し入れ、工作教室の後に皆で食べました。

次回は2月17日(土)午後2時から画家の丸木ひさ子さんの案内で、ピンポン玉とお椀を使っておひなさまを作ります。お楽しみに。
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2007/1/18

「廃品復活展」展示作業  ボランティア

今日は午前中に自転車に乗って地元の唐子小学校へ丸木美術館クラブ工作教室の案内チラシを300部届け、「藤沢市30日美術館」に追加出品する書籍や雑誌、新聞記事等の資料のリストを作成して先方にメールで送信した後、午後からM年山さんが到着して「廃品復活展」の展示作業を行いました。
途中、東松山市環境保全課のK藤さんとY本さんが来館し、来月と再来月に行われる「柿の木プロジェクト」(長崎の被爆柿の木の苗を唐子小学校と唐子中央公園に植樹する)のモニュメント作りについて打ち合わせを行いました。
また、以前に戦後の日本童画会(丸木俊、丸木スマが参加していた)に関する詳しい資料を探して頂いていた「ちひろ美術館・東京」の主任学芸員U島さんから丁寧な調査結果がFAXで届いたのでお礼の返事を書き、神戸YWCAのT沢さんからは今月28日の神戸講演についての詳しい打ち合わせ事項がメールで届いていたので返事を出しました。
そんなこんなで幾つもの仕事が重複して少々混乱気味ですが、アルバイトのM子さんにも手伝って頂いたりして何とか仕事を捌いています。

  *  *  *

今日から「廃品復活展」の作品展示作業がはじまりました。
川越のM年山さんが主宰する自浄アトリエ「カルディア会」のT口さん、K村さん、K野さん、O野さん、展示ボランティアに来てくれたDさん、Jさん、小川町のK林(M)さんたちといっしょに賑やかに午後6時頃まで企画展示室の展示作業を行いました。

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今回の廃品芸術展は、廃材にアフガンの人びとの顔を描いた現代美術風の作品をはじめ、皮ジャン、ベルト、トランク、楽器、自動車のホイールキャップや襖など多種多様な作品が集まっています。M年山さんによると、この後桐の箪笥も届く予定とか。
相変わらずパワーにあふれ、思わず笑い出したくなる展覧会になりそうです。

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作業の後はみんなで高坂のお蕎麦屋さんへ行き、M年山さんに特大の天ぷら蕎麦や海老天丼などをご馳走して頂きました。
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2007/1/17

「藤沢市30日美術館」展示立会い  館外展・関連企画

23日(火)からはじまる「藤沢市30日美術館」のため、丸木夫妻の原爆の図《夜》(1950年制作=未完)を含む出品作品を美術運送によって藤沢市民ギャラリーに運搬しました。ぼくはクーリエ(作品運搬者)として作品とともに藤沢へ行き、会場の展示にも立ち会いました。
会場には市の職員や学芸員、「藤沢市30日美術館」実行委員の皆さんが集まり、展示作業を手伝って下さいました。実行委員のMさん(神奈川県立近代美術館企画課長)は、横浜トリエンナーレの総合ディレクターという大役に就任されたばかり。たいへんお忙しい身にもかかわらず、今日も会議を終えて途中から展示に参加して下さいました。

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Mさんは大きな目を鋭く光らせ、次々と作品を並べ換えていきます。
「これはとりあえずですから、ご意見があったら言って下さい」
とおっしゃるのですが、とても意見など言える雰囲気ではなく、Mさんが展示作業に次第に没頭していく様子をじっくりと拝見させて頂きました。
馴染みの深い自分の美術館の所蔵作品を、日本でも有数の学芸員がどのように展示してみせるのか。ぼくにとってはたいへん勉強になる時間でした。
「今回は壁面の制限もありますから、あまり小細工しても仕方ないのでシンプルに行きましょう」とのこと。展示室に入って右側に位里作品、左側に俊作品とはっきり分けたのですが、それぞれの壁面がバランス良くしっかりと決まり、しかも展示に流れが出来ていて、さすがと感心しました。

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今回は展示総数27点という小規模の展覧会ですが、丸木夫妻の《原爆の図》が誕生した藤沢での企画ということに大きな意味があります。
地元の関心も高いようで、すでに展覧会の記者発表も行われ、湘南毎日新聞、湘南朝日新聞、東京新聞や地元タウン誌などでも紹介されています。
ぜひ多くの方にご覧頂き、この展覧会が丸木夫妻の画業を深く掘り下げるための新たなきっかけとなることを願っています。

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会場入口の文字は実行委員のSさん(本業は陶芸家)の手作り。とても細かい仕事に感動です! 会期終了後は丸木美術館に下さるそうです。
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2007/1/16

NHK−FMラジオにて「廃品復活展」紹介  TV・ラジオ放送

午前中、NHKさいたま放送局のMリポーターから電話がありました。
今日の午前11時半頃にNHK−FM(埼玉県内向け放送 周波数85.1:秩父は83.5)放送する「さいたま情報ランチ」番組の冒頭で次回企画展「廃品復活展」を紹介して下さるというのです。
先日プレスリリースを流したばかりなので「早速!」と、とても嬉しく思いました。
Mリポーターは、昨年も丸木美術館で万年山えつ子さんのワークショップの様子をNHK総合テレビの午前中の番組「こんにちは! いっと6けん」で紹介して下さいました。
「廃品復活展」は、万年山さんが中心になって展示の準備を進めている展覧会なので、Mリポーターも関心があるのでしょう。
廃品をリサイクルして作品を生み出す万年山さんのワークショップの様子を、とても具体的に生き生きと紹介して下さいました。

「廃品復活展」は1月21日(日)から3月31日(土)まで丸木美術館企画展示室にて開催します。館内はとても寒いので、温かい服装でお越し下さい。
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2007/1/15

丸木俊と吉川英治  原爆堂計画

一昨日(1月13日)は丸木俊の命日でした。
7年前の2000年、ぼくはまだ丸木美術館の学芸員ではなくて、ボランティアとして雪の降る葬儀の日に駅前の路上に立って案内係をしたことを覚えています。

その一昨日に、吉川英治記念館のK学芸員から、吉川英治の秘書が残した業務日誌に「赤松俊子氏来訪 原爆紀念堂建立の発起人依頼の件に付き御来宅あり 其の折丸木スマ女史筆のカニの図贈らる」(1955年11月4日)という記述があるとご教示頂きました。
「原爆紀念堂」とは建築家白井晟一(1905-83)による「原爆堂」(TEMPLE ATOMIC CATASTROPHES)構想のことで、最終的に実現しなかったにもかかわらず、しばしば彼の代表作として語られるものです。
原爆堂は、弓形のパヴィリオン棟と、池に浮ぶように見える展示棟の二つのパートから成り立っており、二つの棟は地下(水底)で通じているという設計でした。エントランスから暗く長い地底の廊下を抜けて展示棟にいたると、円筒型の空間には光が降り注ぎ、螺旋階段を上って画廊にたどり着くとはじめて《原爆の図》が姿を現すという、死と再生をイメージしたものだったようです。

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丸木俊子『生々流転』(実業之日本社1958年11月1日発行)には、「原爆堂計画」についての詳しい記述があります。
それによると、丸木夫妻は原爆堂ができたら全作品を寄附するつもりで、そればかりではなく、ピカソら各国の美術家に作品を寄贈してもらい、庭には木をたくさん植えて彫刻を配置し、図書館には長田新、太田洋子、峠三吉、原民喜らの原爆文学を置き、映画や芝居の小講堂など、総合的な文化施設を作ろうと思い描いていたようです。
計画の発起人には湯川秀樹、吉川英治、木辺宣慈、朝倉文夫、藤田藤太郎、高津正道、滝波善雄、河井弥八、服部之総らの名前が挙げられています。
今回ご教示頂いた記録は、その構想を裏づける資料と言えるでしょう。

注目すべきは、俊がスマの《カニの図》を持参し、吉川英治に贈ったと記されている点です。
実はスマの生前に発行された『丸木スマ画集』に掲載されているカラー図版の中で、現在所在不明となっている作品が数点あります。その中に《カニ》(1950年制作、1951年女流画家協会展出品)と題する作品があるのです。

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おそらくスマの作品のなかでも代表的な絵を贈ったと思われるため、俊が持参したのは、この《カニ》であった可能性もあるでしょう。

そう思ってK学芸員に画像をお送りしたのですが、吉川英治記念館の吉川英明館長(吉川英治の長男)は見覚えがないとのこと。吉川家に遺された美術品の整理の際にもそれらしいものは無かったとのことです。
「誰かに譲ったか、出入りの美術商が持ち出したか、いずれにせよ、他家に渡ってしまったもののようです。」とのお返事で、今回は残念だったのですが、スマ作品の行方をたどる上ではたいへん貴重な情報でした。
いずれ、今回の情報をきっかけに、《カニ》の所在が明らかになるかも知れません。
K学芸員、ご教示ありがとうございました。
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2007/1/14

企画展展示替え  ボランティア

今日は展示替えの日。ボランティアに地元東松山市のKさん、Dさん、都留文科大学のKさん、都立高校生Tくんが来てくれました。
皆さんよく働いてくれて、「旅を描く 丸木位里・丸木俊作品展」の出品作品を撤去し、次回の「廃品復活展」に向けて企画展示室を空っぽにしました。ついでに丸木スマ展示室の作品をすべて展示替えし、17日(水)に集荷のある「藤沢市30日美術館」の出品作の準備も済ませました。

夏に学芸員実習を行った都留文科大学のKさんは、卒業研究で丸木俊を取り上げ、今日は「『原爆の図』と女性観 −丸木俊の使命−」と題する論文を持参してくれました。
まだすべて目を通してはいないのですが、頑張り屋のKさんのことなので、一生懸命に調べて書いてくれたことでしょう。
この論文は、丸木美術館の図書室兼休憩室「小高文庫」にて保存させてもらいます。
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2007/1/11

代用教員時代の俊  作品・資料

丸木夫妻の資料の確認作業の続報です。
昨日、千葉県の市川市立市川小学校の校長先生から、戦前に市川小学校で代用教員をしていた丸木俊(当時赤松俊子)に関する記録が見つかったとのお電話を頂きました。

記録によると、俊は1933年4月19日から1937年3月31日まで代用教員を務めていたとのこと。自伝では、はじめは2年生女子組の担任を受け持ち、やがて全校の図画教育の責任者になって県の図画大会で県知事賞を受賞しましたが、自分の絵を描く時間が削られたために退職を決意したと回想されています。
その後、俊は通訳官の子どもの家庭教師として1年間モスクワに渡るのですが、今回の調査で、モスクワから帰国後の1938年5月19日から同年8月31日までの短期間、再び市川小学校の代用教員として勤務していたということがわかりました(県の図画大会で県知事賞を受賞したという事実については確認できませんでした)。

俊はその後、椎名町のアトリエ村に住んで画家として本格的に活動をはじめます。アトリエが見つかるまでの間だけ、市川小学校で代用教員をしたということなのでしょうか。それとも、何か別の理由があったのでしょうか。
いずれにしても、まだ売れない画家であった彼女が腕一本で生きていくには、さまざまな苦労があったことでしょう。
もう少しいろいろ調べてみれば、また何か新しいことが分かるかも知れません。
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