2006/10/31

2006年10月の有料入館者状況  入館者数

【月計】個人753人(前年比+89人)、団体1,139人(−44人)、計1,892人(+45人)
【年間累計】個人8,539人(前年比+1,880人)、団体5,248人(+72人)、計13,787人(+1,952人)

心配された10月の団体状況ですが、結局前年比44人減と最終的にずいぶん持ち直しました。学校団体は減少していますが、少人数グループの団体の増加が穴を埋めた格好です。
個人月間有料入館者数は4月以来7ヶ月連続して過去4年間で最多の数字。
個人と小グループの来館が増加し、学校団体が減少しているというのが最近のはっきりとした傾向です。11月も団体の事前予約は例年に比べ大幅に少なくなっています。
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2006/10/29

理事会と万年山展最終日  その他

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▲万年山さんからアートスペースに展示していた小品を頂いてしまいました。

午後1時から、丸木美術館の理事7人、監事2人が出席して理事会が開催されました。
主な議題は今年度の事業、収支の途中報告と来年度以降の企画展についての意見交換です。
理事会に先立ち、万年山さんご夫婦が皆さんに美味しいカレーをふるまって下さいました。
今日はアートスペースで開催されていた万年山えつ子展の最終日でもあったので、会議終了後には作品の撤去作業も行いました。
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2006/10/28

美術館は白亜紀の夢を見る  他館企画など

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▲宝箱のような「白亜紀」展の図録。本物のアンモナイトの化石も入っています。

午前中、埼玉県立近代美術館で開催中の「美術館は白亜紀の夢を見る」展に行きました。
この企画展は、埼玉県内の美術館・博物館の枠を超えて展示物を並べることで資料の新たな読み取りを試みるという内容。土器や古民具、化石、民芸品、美術作品などが同時に並ぶ会場風景は、何か得体の知れない混沌としたパワーを感じました。
丸木美術館からはスマさんの《鳥の林》《池の友達》が出品されました。貸出先の美術館で作品がどのように展示されるかは興味深いものです。
スマさんの作品は、「夢六夜」と題された展覧会の第六夜「動物たちのすがた」のコーナーに、1000年前の南米のペンギン形の壺や江戸時代の蚊遣り豚などといっしょに心地良さそうに展示されていました。(展覧会は12月24日まで)

  *  *  *

埼玉近美のある北浦和から京浜東北線に乗って上野へ移動して、東京都美術館で開催されている創画展に足を運びました。4年前に丸木美術館で学芸員実習を行った女子美術大学卒のSさんが初入選したという案内をもらったためです。
樹をテーマに制作を続けているSさんの作品からは、いつも生命の根源の力のようなものが漂ってきます。今後の活躍に期待します。

  *  *  *

午後からは、11月12日に丸木美術館で行われる公開トーク「1970年原爆の図アメリカ巡回展を振り返る」の打ち合わせのために、当日聞き手を務めて下さる小沢節子さんといっしょに市ヶ谷の袖井林二郎さんのご自宅を訪れました。
袖井林二郎さんは丸木美術館の初代事務局長を務め、1970年のアメリカ巡回展のためにたいへん尽力された方です。
今日は公開トークのための事前準備という位置づけでしたが、話しはじめるとやはり次第に熱が入ります。当時の時代背景や袖井さんの状況なども面白く、原爆の図から離れてどんどん脱線していったのですが、当日のトークでは小沢さんがきちんと軌道修正しながら、限られた時間の中で内容の深い話を引き出して下さることでしょう。
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2006/10/28

企画展「旅を描く 丸木位里・丸木俊作品展」  企画展

会期:2006年10月28日(土)−2007年1月13日(土)
場所:原爆の図丸木美術館企画展示室
開館時間:午前9時−午後5時(12月−2月は午前9時半−午後4時半)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日−1月3日

〔内容〕
生涯において、厖大な日々を旅に過ごした丸木位里・丸木俊夫妻。《原爆の図》巡回展や共同制作の取材旅行なども含めた二人の旅に焦点を当てながら、これまで展示される機会の少なかった作品を中心に紹介します。また、今春に丸木美術館に寄贈された丸木俊の油彩画《ロシアの風景》(1941年頃制作)も修復を終えて今回初めて公開されます。戦前の油彩画は現存する数が少なく、若き日の俊の画業を知る上でもたいへん貴重な作品です。

★公開トーク「1970年原爆の図アメリカ巡回展を振り返る」
日時:11月12日(日)午後2時より
参加自由(当日入館券が必要です)
※当日は午後1時に東武東上線森林公園駅南口に美術館の無料送迎車が出ます。
〔内容〕
1970年から71年にかけて全米8会場で行われた原爆の図アメリカ巡回展。丸木夫妻の共同制作の重要な転機となったその展覧会を、準備段階から深く関わった袖井林二郎さん(元法政大学教授)が振り返ります。聞き手は、2002年に『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』(岩波書店刊)を著した小沢節子さんです。
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2006/10/24

企画展展示替え(2日目)  ボランティア

企画展の展示替えボランティアに地元の2人のKさんが来て下さいました。
雨のため入館者も少なく、夕方には作品展示がすべて完了。キャプションはまだ貼っていませんが、予想以上に作業が早く進みました。
今回の展示は位里作品35点、俊作品35点の計70点。企画展示室に入って正面の俊さんの《アムステルダム》(油彩と水彩1点ずつ)が見応えがあります。
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2006/10/22

企画展展示替え  ボランティア

「今日の反戦展2006」が昨日終了し、今日は企画展示室の展示替え。反戦展の作品を撤去梱包し、次回企画「旅を描く 丸木位里・丸木俊作品展」の作品を収蔵庫から搬入しました。
今日のボランティアは常連のDさん、N子さんに東京国際大のAくん、高円寺から来た19歳Tくん。途中から川越のMさん、Nくん。皆さんよく働いてくれて、作業がはかどりました。
特に収蔵庫から階段を通って展示作品を運び出す作業はとても重労働。
「今回は何点ぐらい展示するの?」とDさんに聞かれ、
「70点です。よろしくお願いしまーす」と応えたら、
「最近、岡村くんはさりげなくキツいことを言うよなあ」と言われてしまいました。
本当に皆さんお疲れさまでした。
展示替え作業は27日(木)まで続き、28日(金)にオープンします。
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2006/10/21

小さな種  来客・取材

【今日の入館者数】個人45人/団体20人/招待9人

今日は「今日の反戦展2006」の最終日。
次回企画展の準備をしながら、来館者の受付に、反戦展作家の搬出に関する電話応対にと忙しい一日でしたが、そんななか、午後に訪れた家族連れの受付をしていると、
「あ、説明してくれたお兄さんだ」との声。
このところ美術館に来てくれたり、こちらから出張ワークショップに出向いたりと関係が深まっていた唐子小学校の3年生の男の子の家族だったのでした。
「ああ、来てくれたんだ。ありがとね」と声をかけると、
「今日は息子に連れられて来ました」とお母さん。
「このあいだ工作教室で教えてくれたおばちゃん覚えてる?」
「うん。ええと……マネヤマさん?」
「そう。そのマネヤマさんの展覧会も、2階の部屋でやっているから、ぜひ見てね!」
長い時間をかけて撒いた小さな種が、地元にちょっとだけ根を下ろしたような気がして、なんだか感動でした。
館内を見てくれた時間はそれほど長くはなかったのですが、
「今度は子どもたちを置いてゆっくり見に来たいです」
と言い残して帰ったお母さんの声が、心に嬉しく響きました。
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2006/10/21

館外展情報「丸木スマ・位里・俊 三重奏展」  館外展・関連企画

2006年10月21日(土)〜27日(金)
午前11時〜午後6時(会期中無休)
池袋モンパルナス アトリエ村の小さな画廊 GALLERY IGARASHI
(西武池袋線椎名町駅北口徒歩1分)
東京都豊島区長崎1−8−13 TEL03−3973−7480
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2006/10/19

団体来館・館外展申込  来客・取材

午前中に群馬県O市から女性団体27名が来館し、2階の《原爆の図》の前で館内説明を行いました。たいへん熱心に聞いて下さったこともあって、今日は丸木夫妻やスマさんの残した言葉を具体的に取り入れながら説明を行い、それがうまくいったように感じました。
《原爆の図》や丸木夫妻の足跡を、限られた時間の中で簡潔にわかりやすく、しかも深く伝えるというのはとても難しい作業なのですが、今日の説明は、何か新しい方向性の手がかりを感じたように思いました。

午後には埼玉県K市と姉妹都市であるドイツのオッヘンバッハから28人が来館しました。K市には毎年ドイツ人の若者を丸木美術館に連れてきて下さる方がいるのです。ドイツ語版のパンフレットも自分たちで用意して来て、美術館にも新たに20部ほど寄贈して下さいました。
丸木美術館には、日本語版の他に、英語版、ドイツ語版のパンフレットがあるのですが、このドイツ語版はK市オッヘンバッハクラブが制作されたものです。

  *  *  *

愛知県高浜市にある「やきものの里かわら美術館」のK学芸員が来館し、2007年7月21日(土)〜9月2日(日)に開催予定の「『原爆の図』:丸木位里・俊 平和への祈り展」(仮称)の打ち合わせを行いました。展示作品等は未定ですが、《原爆の図》3点を含め50点程度の出品を希望しているとのことです。
今後、詳しい情報をお伝えできることと思います。
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2006/10/18

唐子小学校にて出張ワークショップ  ワークショップ

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▲出張ワークショップにて子どもたちに囲まれ笑顔の万年山さん

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▲唐子小学校の子どもたちはとても元気

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▲見事にできあがった作品です

【今日の入館者数】個人25人/団体/112人/招待2人

今日は地元東松山市の唐子小学校の体育館にて、丸木美術館クラブの出張ワークショップを行いました。参加したのは唐子小3年生の皆さんです。
地元の養蚕農家から頂いた繭玉や、丸木美術館のまわりで集めた木の実や皮などを自由に板に貼り付けて壁掛けを作るという内容でした。
丸木美術館ではお馴染みの万年山さんとカルディア会の皆さんが準備してくれた材料を使って、子どもたちはとても楽しそうに制作をしていました。
自分たちの身の回りにある自然の素材を使ってのワークショップは、唐子小の子どもたちにも新鮮な驚きがあったようです。
担任の先生も、子どもたちといっしょに夢中になって制作していました。
2時間の授業だけではもの足らずに、「給食の時間もやりたい!」という声も。初めての試みの出張ワークショップは大成功に終わりました。
お世話になった市役所の環境保全課の皆さん、唐子小学校の先生方に感謝です。

  *  *  *

現在アートスペースで緊急開催中の万年山えつ子展の会期が決まりました。10月29日(日)が最終日です。万年山さんの代表作を一度に見ることができる貴重な機会です。
ぜひ皆さんご覧下さい。
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2006/10/15

来客2人  来客・取材

今日は午前中にナイーブアート作家のHさん、午後に日本ジャーナリスト専門学校の学生Nさんが来館しました。

ナイーブアート作家のHさんの用件は「《原爆の図》と対決してみたい」との趣旨で、丸木美術館での個展開催の申し入れでした。活動の記録ファイルや実際の作品などを見せて頂きながら、丸木美術館の企画展決定までの過程を説明し、企画委員会に諮る必要があることをお伝えしました。丸木美術館の企画で個展を開催することは決して簡単ではないのが現状です。それは作品の良し悪しとはまったく別の問題なのですが、しかし、作家の側からは、現場にいる学芸員のぼくが「選定している」と見えるかも知れません。H館長がよく企画委員会などで「美術館は作家を選定しなければならない」という趣旨の発言をしますが、ぼく自身がどう望もうと、学芸員という仕事は否応なしに「選定」を逃れることはできないのかと重い気持ちになりました。
以前、企画委員長のM理事から聞いた話で、M理事が美術館の庭でドングリを拾っている最中に、俊さんから「形の良いドングリばかり拾って、形の悪いドングリは拾わないのね?」と声をかけられてドキッとした、というエピソードが、頭の隅をよぎります。

日本ジャーナリスト専門学校のNさんは、学校の課題で“原爆”をテーマに取材をしているとのことで、「丸木美術館で働くようになったきっかけは?」「反戦平和に対して丸木美術館はどのような役割を果たしているか?」「丸木夫妻の思いを今の若者は継承できているか?」などの質問を受けました。
個人的には、丸木美術館の最も重要な役割は、《原爆の図》を多くの人が見ることのできる場を提供し続けることだと思います。そして、丸木位里、丸木俊という二人の画家が、原爆という生涯をかけても描き尽くせないテーマを相手に、どのように立ち向かい格闘し続けたのか、その生き方を伝え残すことだと思います。
《原爆の図》から受ける衝撃の大きさは、もちろん個人差があるのは当然ですが、しかし多くの来館者に接する立場から見て、世代によって大きな差があるとは思いません。戦争を知る世代も知らない世代も、それぞれが《原爆の図》と対峙することで、心のなかに何かしらの思いが生まれることでしょう。絵を見る前と見た後では、きっと世界が違って見えるはずです。それを一つに束ねることはできないし、簡単に「若い世代は戦争への意識が希薄だ」とは思えない。そんな内容のことをお話しました。
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2006/10/14

美術館ニュース発送作業  ボランティア

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▲美術館ニュース発送作業の様子

今日は丸木美術館ニュース第87号の発送作業。地元の2人のKさん、滑川町のIさん、川越のN子さん、都留文科大のKさん、写真家のTさんの5人がボランティアに来てくれました。皆さんとても張り切って作業をしてくれたので、本当は2日間の予定だったのですが、一気に2,500部の封入作業がすべて終わってしまいました。
明日の早い時間帯に発送をすることができそうです。皆さんどうもありがとうございました。
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2006/10/10

藤沢市30日美術館実行委員来館  来客・取材

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▲原爆の図《夜》を下見する「藤沢市30日美術館」の皆さん

朝一番で川越のS印刷に「旅を描く 丸木位里・丸木俊作品展」のチラシを入稿しました。
担当のSさんは先週入稿した美術館ニュースの最終校正を待っていてくれて、おかげでH館長のコラムに生じた問題点を無事に解決することができました。Sさんにはいつも本当に感謝です。
今日は休館日なのですが、そのまま美術館へ出勤。午後に「藤沢市30日美術館」の実行委員と市の職員の方々が作品の下見に来られるので、その準備作業をしました。
しかし、今日が月曜祝日の代休だという事を知らずに、意外にお客さんが来るのです。結局一日じゅう開館し、最後のお客さんが帰られたのは平常時と同じ午後5時でした(と書いてしまうと、T常務理事あたりから「では年中無休に」という案も出てきそうですが、さすがに体力的に厳しいのでご勘弁下さい)。

来年1月に予定している「藤沢市30日美術館」の実行委員4人と藤沢市の職員4人が午後来館しました。以前にもご紹介していますが、この企画は藤沢市の片瀬で描かれた《原爆の図》初期作品への道のりを紹介する展覧会です。
今日は片瀬時代に描かれた丸木夫妻の《原爆の図デッサン》や未完成作品の原爆の図《夜》、位里、俊の油彩画(位里はこの時期のみ油彩画を複数描いている)などを見ていただき、出品作品の選定作業をしました。
こちらも片瀬時代について持ち合わせている資料をお渡ししたのですが、藤沢市側も丸木夫妻のアトリエの場所を調査して下さり、(増築されて外観は変わっているものの)当時の場所にその建物が今も現存していることがわかりました。
神奈川県立近代美術館のM企画課長も熱心に企画に携わって下さり、ぼくもたいへん勉強になっています。
展覧会の詳細は後日改めて紹介いたしますが、2007年1月23日から2月25日まで、藤沢市民ギャラリーにて開催される予定です。
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2006/10/7

原爆の図デッサンの撮影・調査  作品・資料

今日は一日じゅう収蔵庫に入って、次回企画展「旅を描く―丸木位里・丸木俊作品展」のための作品調査と、原爆の図デッサンの写真撮影及び調査を行いました。原爆の図デッサンの調査は、10日(火)に実行委員が来館する藤沢市30日美術館「原爆の図展」の準備のための調査です。
1940年代後半から丸木夫妻が描きはじめた厖大な数の人体デッサンは、「原爆の図デッサン」と呼ばれ、丸木夫妻の共同制作《原爆の図》に大きな影響を与えたのですが、厳密な意味では必ずしも《原爆の図》のために描かれたのではないデッサンも含まれています。
今回の藤沢市の展覧会は、藤沢市片瀬のアトリエで描かれた《原爆の図》初期作品の制作過程を追う企画。「原爆の図デッサン」を、藤沢時代とそれ以前の椎名町時代に分類し、《原爆の図》との関連を一定整理しなければならないのですが、日付の入っていない作品も多く、関連資料もほとんどないため、難しい作業になります。
それでも、これまで後まわしにしてきた「原爆の図デッサン」を整理する良い機会なので、作品写真を撮影し、デジタルデータとしてリストにまとめることにしました。
二人のデッサンをひとつひとつ撮影していく作業は、なかなか楽しいものです。
今日は半分ほど撮影が終わったので、夜に自宅でデータをまとめ、明日は引き続き残りの撮影を続ける予定です。
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2006/10/5

近藤浩一路展&日曜美術館展  他館企画など

朝一番に川越のS印刷へ行き、美術館ニュースを無事入稿しました。発行部数は3,200部。週明けには次回企画展チラシを入稿し、どちらも13日(金)に納品される予定です。

ニュースを入稿した足で、午前中に中村橋の練馬区立美術館へ。「近藤浩一路の全貌」展を見ました。(15日まで。その後、山梨県立美術館に巡回)
近藤浩一路は若き日の位里に影響を与えた水墨画家で、丸木位里画文集『流々遍歴』には、「絵描きは絵が上手になっちゃあいかんね。絵は下手な方がいい」という彼の言葉が印象的に紹介されています。ぼくは東京国立近代美術館で何度か彼の絵を見たことはありましたが、まとまった作品を見るのは今回が初めてです。
展覧会には、浩一路と交流のあった画家の作品も紹介され、やはり位里が影響を受けた小川芋銭や川端龍子の作品も展示されていました。
浩一路の作品は、位里に比べると描きこんだ繊細な描写のように見えましたが、芥川龍之介が「南画じみた山水の中にも何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる」と評したような生々しい迫力が感じられます。鵜、牛、渓流などの題材や、滲み、ぼかしなどの表現技法に位里が受けた影響が垣間見られ、特に《潮騒》という作品(波立つ岩場に鵜が止まっている作品)は、位里の代表作《休息》を連想させるものでした。
また、今回の展覧会で、近藤浩一路の義弟が建築家の白井晟一であるということも初めて知りました。白井晟一は、1950年代に構想され幻に終わった《原爆の図》のための美術館「原爆堂」を設計した伝説的な建築家です。こんなところにも丸木夫妻とのつながりがあったのかと改めて知らされました。

午後は上野の東京藝術大学大学美術館に行き、「日曜美術館30年展」を見ました。(15日まで。その後、京都、広島、盛岡、長崎、静岡を巡回)
この企画展では「知られざる作家へのまなざし」のコーナーに、日曜美術館で再確認された作家として、田中一村、小泉清らと共に丸木スマが紹介されています。会場に設置された大型モニタでは1981年8月30日放送「私と丸木スマ」(出演:丸木俊)のダイジェスト番組が放送され、広島県立美術館所蔵の《蝶》《きのこ》が展示されていました。
館外展ではいつもするのですが、スマさんの絵の前に張りこんで、それとなく人びとの声に耳をすませてみました。
やはりスマさんの絵は気になるらしく、多くの人が絵の前で足を止めます。
「70歳を過ぎて絵を描きはじめたの!」
「《きのこ》だって。ああほんとだ、きのこが描いてある」
「鳥もいるわよ、ほら」
《きのこ》という題の作品の前で、「きのこがある!」と大人が歓声をあげる画家は、他にあまりいないように思い、可笑しくなりました。

夕方6時半からは文京区の男女平等センターにて企画委員会に出席。H館長ほか3名の委員とともに、来年度の丸木美術館の企画展について意見交換を行いました。
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