2006/2/5

丸木夫妻と沖縄  作品・資料

朝日新聞のY記者が取材のために来館。
朝日新聞夕刊1面「人脈記」の「沖縄」のテーマの中で、丸木夫妻と「沖縄戦の図」について取り上げて下さるとのこと。
丸木夫妻は1983年に沖縄の図8部作「久米島の虐殺(1)」「久米島の虐殺(2)」「亀甲墓」「自然壕」「喜屋武岬」「集団自決」「暁の実弾射撃」「ひめゆりの塔」、1984年に「沖縄戦の図」と絵本「おきなわ島のこえ」、1986年に「沖縄戦―きゃん岬」「沖縄戦―ガマ」、1987年に沖縄戦読谷3部作「チビチリガマ」「シムクガマ」「残波大獅子」を相次いで発表している。
丸木夫妻がいつ頃、なぜ沖縄を描こうと考えたのか、というのがY記者の質問だった。

丸木夫妻は1978年9月に沖縄タイムス主催の原爆の図展で初めて沖縄を訪れている。同年12月号の『日中』には、「沖縄をはじめて訪れて―民衆と戦争の問題をどうとらえるか―」という丸木俊のインタビュー記事が紹介されている。
記事には、同年夏に原爆の図展でフランスを巡回した時のことが語られている。フランスでは、多くの人が「戦争になれば災害をこうむるのは民衆なんだ」という本質を怒りながら話す。それは、ノルマンディ作戦の時に、フランスを占領しているファシストを追い出すという名目のもとで、アメリカが無差別爆撃により多くの民衆の命を奪ったことに起因しているという。
丸木夫妻は沖縄を訪れて多くの人の話を聞いたとき、「沖縄の戦争は、民衆こそがその惨禍を身に受けることを典型的に示している」と考えた。アメリカは日本のファシズムを倒すと言って沖縄の民衆を攻撃し、日本軍は国を守るための戦いの邪魔だと殺す。民衆の立場からすると、正義の戦争はありえない。インタビューの終わりには、以下の言葉が紹介されている。
「沖縄では、さっそく沖縄の戦争を描いてくれと言われました。沖縄戦争を描けば、ほんとうの加害者が出てくるんじゃないか」
現在調べられる範囲の資料では、これが、丸木夫妻が「沖縄戦の図」の制作について最初に言及している資料である。
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