2006/1/31

2006年1月の入館者  入館者数

【月計】個人409人(前年比+138人)、団体62人(−61人)、計471人(+77人)
【年間累計】個人8,028人(前年比+2,411人)、団体6,391人(+82人)、計14,419人(+2,493人)
=1月31日現在

月計の個人入館者は過去3年間で最も多かった(7月以降6ヶ月連続)が、逆に団体入館者は過去3年間で最少、前年比のほぼ半数だった。年間累計で見ると、団体入館者は上半期に集中したため前年比では微増。2月、3月の予約状況から最終的には200〜400人増が予想される(雨天時キャンセルの200人団体があるため)。個人入館者を合わせると全体では前年比3,000人増の約1万6,000人前後に落ち着くと見られる。これは2003年度(1万6,029人)とほぼ同じ程度の数字となる。
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2006/1/31

学芸員実習生が来館  学芸員実習

東京国際大学のAくんが来館し、来年度の学芸員実習を希望したいとの申し出があった。Aくんは、昨年11月に東京国際大学で行ったぼくの講演を聴き、O先生にも勧められて実習をしたいと思ったとのこと。都留文科大学のKさんと同じく8月6日のひろしま忌前後に、14日間の予定で実習を行うことになった。
先日の再生プロジェクト会議を受けて、支援芸術祭の呼びかけ文を作成。12月の理事会議事録を理事長に送付し確認をもらうなど、N事務局長と共に細々とした事務作業を行う。
午後は陶芸家のKさんが来館。支援芸術祭のための作品を持参して下さる。
夕方にはDさんが来館。雨が降っていたので、帰りに高坂駅まで車で送ってくれた。
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2006/1/30

再生プロジェクト会議  その他

午後1時半から文京区にて丸木美術館再生プロジェクト会議。
理事・評議員・事務局スタッフの11人が参加し、今後の美術館活動(支援芸術祭や友の会再編など)について話し合いを行う。午後5時前には終了。今回の会議で再生プロジェクトは一段落となり、しばらく会議を凍結することが確認された。
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2006/1/28

学芸員実習生が来館  学芸員実習

どどう、どどうと北風が冬の木々の間を駆け抜ける音がする。
今日は午前中、N事務局長は都内へ詩の朗読会を聞きに行くため外出。Y子さんとM子さんは、今も集まり続ける緊急支援カンパの事務手続きを行う。ぼくは、このところすっかり中断していた丸木夫妻に関する資料の整理を再開。
昼頃、来年度の学芸員実習を希望している都留文科大学3年生のKさんが来館。館内をじっくり鑑賞した後、実習についての打ち合わせをする。Kさんは、今年から都留文科大学で講義を行っている小沢節子さんの授業を聞いて「原爆の図」と丸木美術館に興味を持ったとのこと。8月6日のひろしま忌前後に、14日間の予定で実習を行うことになった。
夕方、Jさんが来館。閉館前には地元のボランティアのKさんが来館。2月の展示替えもまた手伝って下さるとのこと。ありがたい。
Y子さんから卵を1パック頂く。
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2006/1/27

再生プロジェクト準備・館内説明など  その他

午前中、N事務局長から1月22日に行われた総務委員会の報告を受ける。「すべてを報告すると大変な時間がかかるし、頭の中でまだ整理しきれていないので、簡潔に報告する」とのことで、予算案の変更を中心にした要点のみの報告。新しい大型駐車場の話がどうやら進みそうなので一安心。
明後日に迫った再生プロジェクト会議の資料を作成し、議長のT理事に送付。Y子さんがまとめてくれた報告によると、12月末日現在で緊急支援カンパの総額は2000万円を超えたとのこと。その他、支援芸術祭や友の会再編に関する資料を揃える。

午後、川越市民見学会14名のグループが来館。「原爆の図」の前で館内説明を行う。説明の後、「暖房が入っていないのは意味があるのですか」という質問を受けた。この質問は夏と冬に多い。もちろん運営費の問題もあるのだけど、なるべく電気を使わずに自然のままに生きるという丸木夫妻のメッセージでもある。そう答えると、多くの方は納得して下さる。小高文庫の空間や、都幾川の流れに心を和ませる方も多く見られた。
神宮寺のTさんから電話があり、かねてからお願いしていた5月の対談の件、どうやら実現の方向に向かう様子。日程面の調整も含め、近日中に決定できそうな見通し。
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2006/1/27

企画展情報「世界の核被害 豊崎博光写真展」  企画展

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2006年2月21日(火)−3月24日(金)
原爆の図丸木美術館企画展示室

作家トーク「核の風下の人々を追う」
2006年3月11日(土)午後2時
参加自由(当日の入館券が必要です)
※当日午後1時東武東上線森林公園駅南口に美術館の送迎車が出ます。


 核開発が始まってから60年以上が過ぎましたが、世界には、アメリカによる広島、長崎への原爆投下で生み出された被爆者以外にもたくさんのヒバクシャがいます。ヒバクシャは、アメリカ、旧ソ連(ロシア)、イギリス、フランス、中国などが行った核爆発実験と原子力発電所の事故、核兵器の製造と原子力発電の核燃料製造のもとであるウラン鉱石の採掘などでも生み出されています。
 ヒバクシャは放射能と放射線によって健康だけではなく心もむしばまれ、故郷の地を放射能で汚染されることで暮らしや伝統、文化なども失っています。
 私は、1978年以来、マーシャル諸島やアメリカ、カザフスタン、ロシア北極圏とオーストラリアの核実験場、事故を起したスリーマイル島原発とチェルノブイリ原発、アメリカやカナダ、オーストラリアと旧東ドイツなどのウラン採掘地と、日本をはじめ世界各地で開かれたヒバクシャ会議を取材してきました。しかし、放射能と放射線が眼に見えないことと同じようにヒバクシャの被害の実態も見えません。眼には見えませんが、ヒバクシャはいまなお放射能と放射線の被害にむしばまれ続けています。
また、世界のヒバクシャの実態はいまなお隠され、明らかではありません。
 生み出されたヒバクシャを救済し、これ以上のヒバクシャを生み出さないためには何をするべきかがいま問われています。(文/豊崎博光)
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2006/1/25

多忙な一日  その他

午前中から今後の企画に関する様々な連絡事項が同時進行で押し寄せる多忙な一日となる。
まず、神宮寺のTさんから5月5日の開館記念日の件で電話がある。早速、企画書を作成し、Tさんが紹介して下さったEさんの事務所に出演依頼文と共に送信する。うまく話が進んでくれると嬉しいが、返事待ちの状態。
続いてH館長より電話があり、H館長が提案していた村上隆の「リトル・ボーイ展」開催は、「経済的な理由により実現不可能」という先方からの連絡があったとのこと。
また、次回企画展「世界の核被害 豊崎博光写真展」のチラシ原稿が完成し、豊崎さん本人に送信して確認をお願いする。細かい修正以外は特に問題点もなく、入稿の準備を進める。チラシは今日明日中に入稿する予定。

午後、N事務局長は文化の森協議会(比企地区の美術館・博物館の会議)に出席するため小川の和紙の里へ。
入れ違いに新宿駅西口の会のOさんがお連れ合いと共に来館。Oさんは、ご自身で作成された原爆の図第4部「虹」の写真パネルを持参し、見せて下さった。今回丸木美術館から借りていく第2部「火」、第3部「水」の写真パネルといっしょに毎週土曜日の夕方に新宿駅西口に立ち、アピールをして下さるとのこと。また、Oさんのお連れ合いは写真家なので、「原爆の図」や丸木スマ作品など丸木美術館の所蔵作品を撮影してポジフィルムにする作業をボランティアでして下さるという提案も頂いた。
最近、様々な人の力が関わりながら丸木美術館が動いている、と実感することが多い。それぞれの人の思いを大切にしながら共に生きることのできる美術館でありたいと強く思う。
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2006/1/24

丸木美術館のお勧め絵本  販売物

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先日、大田区のT理事からお勧めの絵本について問い合わせがあったので、その返信に少し補足を加えて、お勧めの絵本を紹介します。
美術館入口ホールで販売していますが、電話等による注文販売も承っています。
お問い合わせは0493-22-3266 原爆の図丸木美術館まで。

ねずみじょうど
福音館書店 1967年3月発行 780円 瀬田貞二/再話 丸木位里/画
「指輪物語」「ナルニア国ものがたり」などの訳で知られる児童文学者瀬田貞二の再話による「おむすびころりん」で知られる昔話の類型です。
山へしばかりに行ったじいさんが、ばあさんの作ってくれたそばもちを食べようとすると、そばもちは小さな穴に転がり落ちました。その穴は「ねずみじょうど」の大きなお屋敷につながっていたのです――
丸木位里の初めての絵本作品ですが、軽妙で飄逸な描写は、位里の水墨画の南画的影響をよく表しています。チェコスロバキアの世界絵本原画展優良賞受賞作品です。

赤神と黒神
ポプラ社 1969年10月発行 1050円 松谷みよ子/文 丸木位里/絵
東北地方全域(十和田湖、八郎潟、岩木山、八甲田山、津軽海峡などが舞台)を巻き込んだ雄大な神々の物語です。
昔、十和田湖の美しい女神をめぐって、男鹿半島の赤神と龍飛崎の黒神が激しく戦いました。戦いに勝ったのは力の強い黒神でしたが、十和田湖の女神は心の優しい赤神に惹かれて後を追いました――
太古の生命力あふれる壮大な神話にふさわしい、丸木位里の力強い伸びやかな絵が想像力を広げます。ちなみに十和田湖は丸木夫妻が初めての旅行(婚前旅行)をした思い出の地で、丸木俊は戦前に「十輪」「十輪子」という変名で展覧会に出品したこともあります。

12のつきのおくりもの
福音館書店 1971年12月発行 840円 スロバキア民話 内田莉莎子/再話 丸木俊/画
月刊絵本「こどものとも」50周年記念限定出版の特装版です。
冬の森でスミレを摘んでくるように命じられ、家を追い出された働き者の美しい娘マルーシカが雪の中を歩いていくと、森の奥で12の月の精たちが焚火を囲んでいます。彼女の話を聞いた月の精は、森に次々と奇跡を起こしました――
四季の森の変化を色鮮やかに描く美しい挿絵は、丸木俊の絵本の代表作です。

つつじのむすめ
あかね書房 1974年11月発行 1325円 松谷みよ子/文 丸木俊/画
「ちいさいモモちゃん」などで知られる童話作家の松谷みよ子による創作文学です。
祭りの夜に出会った若者を愛するあまり、夜ごとに山を五つ越えて男に会いに行く娘の物語。つきたての餅を手に握り、嵐の夜も会いに来た娘を見て、若者は娘を「魔性のもの」と思い込み、崖の下に突き落とす――
若い娘の情念の悲しさをつつじの鮮やかな朱の色に託して描いた、丸木俊らしい迫力にあふれた絵本です。

きつねのおきてがみ
小峰書店 1977年3月発行 1470円 菊池敬一/文 丸木俊/絵
東北農民文化運動家の菊池敬一の文による北上川を舞台にした民俗学的な伝承物語。
狐の宝珠を手に入れた若者のもとを、ある晩若い女が訪れます。やがて女は若者の妻になって子どもを生み、幸せに暮らしますが、やがて宝珠を見つけると、狐の正体をあらわして去っていきます――
丸木俊は菊池敬一とのコンビ、他にも「おしらさま」「八郎太郎」など東北を舞台にした絵本を発表しています。「きつねのおきてがみ」の物語の類型は他にも全国にあり、大阪府和泉市の信太の森に伝わる「狐葛の葉」の物語が有名です。

いのちの花
解放出版社 2003年6月発行 2100円 そのだひさこ/文 丸木俊/絵
福岡部落史研究会同人そのだひさこの文による、福岡市にある被差別部落で伝承されている江戸時代の「寛政義民松原五人衆」の話をもとにした絵本です。
町の芝居小屋で、五人の若者が酒に酔って暴れた黒田の武士を袋叩きにして逃げたという事件が起きました。その罪をきせられ、「むら」の若者五人が「むら」を救うために名乗り出て、無実の罪で処刑されたのです――
話の筋とは直接関係ありませんが、その事件の端緒となった芝居小屋にかかっていた芝居が「狐葛の葉」、つまり「きつねのおきてがみ」の類型です。
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2006/1/24

総合学習など  来客・取材

午前中、地元のK小学校の児童から、来月に総合学習で来館したいという電話が来る。1人の男の子から来たと思ったら、続けて3回、別の男の子から電話が来た。いくつかの小グループが同じ日に来てくれるらしい。K小学校は、毎年この時期に3年生が「唐子じまん」というテーマで総合学習に丸木美術館を取り上げてくれる。
午後はボランティアのJさんが来館。午前中で勤務を終えたM子さんも、夫のDさんといっしょに再び来館。日曜日の総務委員会の予算案の話し合いの結果を心配して集まってくれた様子。本当にありがたい。N事務局長は「全部を報告すると長くなるので」と要点のみを報告してくれた。予算は3月下旬の理事会で決議される。
妻Tの手作りの生チョコを皆さんに差し入れする。
また、来年度の企画展の内容を討議する企画委員会の日程が決まり、各委員に通知した。

日曜日に杉並ユネスコの団体を引率して美術館を訪れたK理事から、お礼のメールを頂く。
幸い寒さもそれほどでもなく、参加者の皆さんにも好評だったとのこと。是非杉並から定期的に訪問したい、次回はもっと暖かい時期に来たいと言う声や、広島ツアーの事前学習に利用したいという意見もあり、「参加者の皆さんにとって心に残る旅に出来ました。ありがとうございました」というお礼の言葉を頂いた。こちらこそ、本当にありがとうございました。

2006年3月17日より長崎県長崎市の水辺の森公園で開催される日本在住芸術家による平和を祈る絵画展「PEACE WALL長崎」から平和へのメッセージを求められたので、以下のようなメッセージを送る。このメッセージは水辺の森公園内に立てられる『平和の壁』に、日本人芸術家の作品と共に掲示される予定。

「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」(丸木位里の母スマの言葉)――人が人の命を奪うことのない平和な世界の実現を心から願います。
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2006/1/22

団体入館など  来客・取材

午前中、町田市のK理事が杉並ユネスコの団体63人(未就学児含む)を引率して来館。東京都内は昨日かなり積雪があったとのことだったが、丸木美術館周辺はほとんど雪がなく、来館者の皆さんも拍子抜けした様子だった。
「原爆の図」の前で館内説明を行った後、自由に館内を見学して頂く。皆さんとても集中して説明を聞いて下さったので、こちらも話がしやすかった。「わかりやすくて良い説明でした」と何人もの方に声をかけて頂き、安堵する。特に丸木夫妻が「原爆の図」を通じて戦争の被害だけでなく、加害性にも触れていく過程に共感された方が多い様子だった。
ミュージアムグッズの売れ行きも良く、事務局スタッフは石油ストーブを用意したり、お茶を温めて配ったり、記念写真を撮影したりと午前中いっぱい忙しく働いた。「こういう充実した時間があると嬉しいよね」とはY子さんの感想。

午後は、次回企画展の「世界の核被害 豊崎博光写真展」のチラシを作成。豊崎さんは1948年生まれのフリーランス・フォトジャーナリストで、1978年から世界の核問題の取材を続けている。チラシは表裏モノクロで、表の写真には「南オーストラリア州中部の砂漠の真っ只中にある聖地ロクスビーダウンズで、ウラン採掘に反対して座り込んだコカダ部族アボリジニの人びと(1983年8月撮影)」を掲載した。
N事務局長は総務委員会出席のため午後から池袋へ。来年度の予算案を中心に話し合う大事な会議である。
ボランティアのJさんが来館し、閉館後の掃除を手伝ってくれる。その後、森林公園駅まで車で送ってくれた。いつも本当にありがたい。
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2006/1/21

雪の一日  自然・生きものたち

朝、靴下を2枚履き、丈の長いベンチコートを着て、耳まで隠れる防寒帽を被り、厚手の手袋をして(襟巻きは忘れた)、つきのわ駅から歩いて出勤。丸木美術館までは30分弱の道のり。途中、いつも自転車を置かせてもらっている森林公園駅前のKさんが偶然車で通りかかり、美術館まで乗せて下さった。雪はそれほど降ってはいなかったが、嬉しかった。
雪は昼頃から本格的に降りはじめるが、ほとんど積もらず、雪掻きの必要もなかった。
午前中は、丸木美術館クラブ常連の参加者にワークショップの延期を電話で連絡。T理事から「丸木美術館のお勧め絵本を紹介して欲しい」との要望があったので、メールで回答する。
午後は事務局内で来年度予算案について打ち合わせ。明日の夕方に池袋で総務委員会が行われ、N事務局長が出席する予定。
悪天候にも関わらず、今日の入館者は6人だった。大雪や台風などの悪条件の日でも必ず来館される方はいる。誰も来ない日(一年に一日か二日ほどあるが)は、意外に何でもない天気の良い日だったりするから不思議である。
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2006/1/21

美術館クラブ延期のお知らせ  ワークショップ

1月21日(土)に予定していました丸木美術館クラブ「カルタでコラージュ」(案内人:谷口幹郎)は天候不良が予想されるため延期となりました。
次回、2月25日(土)の「素晴しい版画を自分流に」(案内人:草薙静子)の回に、今月分と併せて二つのワークショップを行います。
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2006/1/20

東京新聞「さいたま宝物」G  執筆原稿

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2006年1月20日付の東京新聞朝刊埼玉版「さいたま宝物」で丸木スマ「村の夕暮れ」を紹介しています。記事の内容は以下の通り。

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五感で受け止めた原風景
山の向こうに真っ赤な夕陽が沈んでいく。一日の仕事を終えた村人や牛たちが家路につく。よく見ると、柿の木の枝には猿が二匹。黄金色に輝くのは、豊かに実った稲穂だろうか。
かつて日本のどこにでもあった里山の、ごくありふれた日常の風景。「村の夕暮れ」は、丸木スマが一九五四年に、七十九歳で描いた作品である。
息子の位里夫妻に勧められ、七十歳を過ぎて初めて絵筆をとったスマは、犬や猫、鳥、魚、野菜、花、農作業の風景などの身近な題材を、堰を切ったように描きはじめた。
たどたどしい筆づかいで描かれた作品は、決して本物そっくりの巧みな描写ではなかったが、彼女自身が五感で受け止めた世界そのものが、伸びやかに画面上に息づいていた。
画家の丸木位里・俊夫妻は、生前、「絵は誰でも描ける」と語った。その代表例が母親のスマであった。
確かに、スマの作品を見ると、絵に大切なことは、専門的な技巧ではないとわかる。しかし、自分の見たもの感じたものを、何の知識も先入観もなしに感じたままに描くのは、誰でもできるようで、実は簡単なことではない。
スマの絵には、長年自然と向き合って生きた者しか表すことのできない、真の手触りが満ちていた。
作家の水上勉は、その作品を「ながい歳月を耕して生きた人の暦」と評した。そして、スマの絵に「どんなことがあっても生きてゆかねばならぬと勇気づけられた」と告白している。
スマの絵は、原風景をとうに失った現代の人々の心をも癒し、生きる喜びを思い出させてくれる。
今年、二〇〇六年は、スマの没後五十年に当たる。(岡村幸宣・原爆の図丸木美術館学芸員)
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2006/1/19

今年初の館内説明  来客・取材

風が強く、都幾川の川面にさざ波が立つ。白い飛沫がキラキラとまぶしく映える。
午前中、杉並区の中央図書館のグループ十数人が来館。「原爆の図」の前で今年初めての館内説明を行う。20年以上前に来たことがあるという方もいて、「その頃は、こんなに大きな建物じゃなかった…」との感想も。その後、小高文庫で午後2時半頃までゆっくりと昼食をとり、その後、「12のつきのものがたり」「ねずみじょうど」などの絵本や絵葉書をたくさん買って下さった。「ここで買った方が、意味があるから」というありがたいお言葉も聞かれ、「お弁当代の残りですが…」とグループから支援カンパも頂いた。
また、県立歴史資料館の「丸木夫妻の描いた襖絵」展示でお世話になった「ふるさと探訪の会」の写真家のNさんも、ご家族と思しき女性2人と来館。「本当に価値のある仕事をされたお二人ですねえ」と感想を述べて帰られた。
夕方にはJさんとDさんが申し合わせたように来館。ガスストーブの前でお茶を飲み、新聞や雑誌を読んでいく。丸木もなんだかサロン化しつつあるなあ、と思いつつ豊かな時間を過ごす。

先日読了した「オシムの言葉」(木村元彦著/集英社インターナショナル)が良かったとN事務局長に話をしていた矢先、今日発売のスポーツ総合誌「Number」に映画監督の森達也氏による書評が掲載された。
オシムとは、サッカーJリーグのジェフユナイテッド市原・千葉の監督イビツァ・オシムのこと。監督としても非常に優秀だが、サッカーの枠に収まらない風刺の効いた哲学的なコメントで知られる。1992年、内戦で崩壊した当時の旧ユーゴスラビアの監督を務めていた人物である。
多種多様な民族で構成されたユーゴ代表チームが、緊迫したナショナリズムの渦中で、メディアや政治家の圧力に屈せずに闘い続ける(オシム自身、妻子を戦火のボスニアに残しながら代表監督を続けたが、最終的に辞任)描写が真に迫る、読み応えのあるノンフィクションだった。
N事務局長は、森達也氏の書評の「サッカーとナショナリズムのあいだには、本質的な親和性が存在しているわけではない。利用し便乗する輩がいるだけだ。だからこそ人々が熱狂するサッカーには、偏狭で短絡的なナショナリズムなど、内側から崩す力さえ実は付与されている」という箇所にとても共感した様子。今日は午後休をとったので、きっと買いに行くに違いない。
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2006/1/18

頂き物人生  その他

昨日、妻Tが和菓子を作ったので、ふだんお世話になっている丸木家の母屋と、自転車を置かせてもらっている森林公園駅前のKさん宅にお届けする。
我が家はいつもたくさんの頂き物であふれている妻Tいわく「わらしべ家族」なのだが、その多くは丸木美術館関係者からの頂き物だ。たまには我が家から差し上げることもあるけれども、頂く方がはるかに多い。母屋からは今まで何度も畑で採れた野菜を頂いているし、Kさんからも先日美味しい沢庵漬けを頂いた。本当にありがたいことだと思う。
頂くことに慣れてしまったせいか(?)、家の近所の方からの頂き物も多く、この21世紀の現代社会において、密な人付き合いができることには本当に感謝したい。
妻Tも、息子Rも、毎月必ず美術館に来て、多くの方にかわいがってもらっている。父(夫)の職場にこれほど温かく迎え入れてもらえる仕事が、他にどれほどあるだろう。人との関わり方について、この美術館で学んだことは本当に多いとつくづく思う。

今日はそれぞれ一日じゅう、会議や予算案の準備などの事務作業。母屋のひさ子さんと、「原爆の図」修復についての相談をする。
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