2005/12/31

2005年12月の入館者  入館者数

【12月計】個人299人(前年比+130人)、団体158人(−443人)、計457人(−313人)
【年間累計】個人7,619人(前年比+2,273人)、団体6,329人(+143人)、計13,948人(+2,416人)
=12月28日現在

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2005/12/28

仕事納め・忘年会  ボランティア

今年最後の美術館開館日。午後からJさんとWさんが大掃除のボランティアに来てくれる。Wさんは毎年恒例の窓拭き掃除。Jさんは美術館の外回りと館内の棚拭き掃除などをしてくれる。ぼくは外回りの掃除の後、原爆観音堂の中を掃除し、その後全館内をモップ掛け。N事務局長は全体を見回りながら、トイレ掃除などをした。Y子さんとM子さんは緊急支援カンパの整理と御礼状の発送作業。それぞれ忙しく働いて、一年の最後の仕事を気持ちよく終えることができた。
午後4時50分頃、水道とガスの栓を閉め、館内の戸締りをしてからN事務局長といっしょに母屋に挨拶に行き、仕事納めとなる。

午後5時から、美術館近くの飲食店Kのお座敷で忘年会。N事務局長、Y子さん、M子さんに、日頃ボランティアで活躍してくれるJさんSさん夫妻、Dさん、Wさん、そしてぼくと妻T、息子Rの10人が参加。生牡蠣や蟹、鍋、串揚げなどの料理を楽しみながらお酒などを飲む。N事務局長は途中で横になって眠ってしまう。1歳半の息子Rはちっとも落ちつかずに、あちこち歩き回っていたずらをする。
この忘年会は、女子高の先生をしているWさんが毎年スポンサーになってくれるのが恒例で、今年も参加費は一人1000円、残りはWさんが負担してくれた。感謝。
午後8時過ぎにお開きとなり、Jさんが車で川越の自宅まで送ってくれる。皆さん本当にお疲れさま。来年も楽しく働きましょう。
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2005/12/27

月刊『あいだ』120号掲載  掲載雑誌・新聞

韓国美術・文化研究者の古川美佳さんが日韓五世代の対話展についてレポートした月刊『あいだ』120号(定価300円)が送られてきた。なんと18ページにも及ぶ渾身のレポートである。丸木美術館の紹介から、日韓展出品作品の解説、韓国側作家の安星金さんのインタビューなどがたっぷりと盛り込まれている。
その中から、印象的なごく一部を抜粋して紹介する。

いまこのときも世界のあちこちで戦争によって、小さな廃墟や小さな闇が私たちの日常に刻印されている。実はその廃墟、その闇は地底でつながり、私たちがその上で何ごとも知らないかのように生を享受しているとき、世界をむすぶその廃墟からのうめき声は耳に響いてはこない。だが過去の歴史を辿りつつ瞬時でもそのささやき、うめきに耳を傾けた者は、この地上の現実が「廃墟の反転」であることをうっすらと感じるだろう。そして私たちの美術―表現もその上に成り立ち、そこから始めていくしかないことに気づきだす。丸木夫妻の遺した真意とは、被害と加害が交差する戦争をひきずり、和解へのジレンマに陥る日本人、そしてアジアの人々、あるいは紛争の渦中にある世界の人々が互いにつながりうる、ここ日本の「場所」を、「廃墟」によって示そうとしたことにあるのではないだろうか。

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2005/12/27

竪穴住居前の広場  ボランティア

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▲竪穴住居前のベンチ

昨日、坂戸のWさんと大阪のY先生が来館し、丸木美術館の奥にある竪穴住居(これは昔位里さんたちが建てた本格的なもの。以前は茅葺だったが、現在は柱だけが残り、葦簾で囲っている)前の広場にベンチを設置していった。Wさんいわく「美術館奥のスペースを快適にするための計画・第一弾」とのこと。
さっそく朝一番に様子を見に行く。今までは野趣あふれる空間だったが、ベンチがひとつ置かれただけで、何となくこざっぱりした雰囲気になっていた。座ってみると、竹やぶの間から木漏れ日が差してきて気持ちがいい。
丸木美術館の人たちが苦手な継続的なメンテナンスという難題が待ち構えているが、これからあのスペースがどう変わっていくのか、ちょっと楽しみである。

東京新聞埼玉版の「さいたま宝物」欄に連載中の丸木美術館の作品紹介の第7回目、丸木スマ「野」の原稿を東京新聞埼玉支局のN支局長宛に送る。掲載は来年1月6日(金)の予定。「年内にお送り下さい」と言われていた原稿を無事送付し、これで安心して年を越せる。

午後、地元の「天の園」の会のM先生が来館し、リンゴとほうれん草(自宅で収穫した新鮮で美味しいもの)をたっぷり頂いた。昨日来館した大阪のY先生からは、宮武讃岐製麺所のカレーうどんのお土産が残されており、お昼にみんなで頂いた。感謝。
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2005/12/25

NHK新日曜美術館アートシーン放送  TV・ラジオ放送

美術館の休みをとって、自宅で過ごす。午前中は妻Tが開いているお菓子教室のため、小さな子どもたち(小学1年生の女の子2人と未就学児1人+1歳半の息子R)の相手をする。仕事は休みだが、壮絶な一日。

NHK教育TV「新日曜美術館」アートシーンを観る。丸木位里展放送。
事前に聞いていた通り、残念ながら丸木位里の水墨画はおまけのような扱いをされてしまったが、外から借りてきた作品(神宮寺の襖絵「涅槃図」)をしっかり取り上げてもらえたので、それはそれで良かったのかも知れない。美術館を訪れてくれれば、水墨画の迫力も直接感じてもらうことができるだろう。
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2005/12/24

大型駐車場の件など  その他

午前中、N事務局長は大型駐車場の候補地の地主さんと賃貸契約交渉を行う。地代など細かい条件について話し合った様子。詳細については後日。うまくいくと良いのだが。
午後、母屋のひさ子さんがサツマイモを持って来て下さる。「きんとんにでも使って下さい」とのこと。ありがたい。
久しぶりに近所のSくんが自転車に乗って訪ねてきた。Sくんは幼稚園の頃から美術館に遊びに来ていて、今は中学1年生。「久しぶりです」と声変わりして敬語まで使うようになった。顔にはぽつぽつニキビも出てきて少し大人っぽくなったが、相変わらず唐子の子らしく伸びやかに育っているように見えた。こちらが電話などで忙しく、あまり話もできずに帰ってしまったのが残念。
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2005/12/21

「原爆の図」を舞踏化する会  その他

8月6日に丸木美術館で「原爆の図」舞踏を行った和泉舞さんから会報が届いた。丸木美術館公演について、6月18日の会場下見から順を追って経過報告が記されている。7月30日のリハーサル、8月6日の公演当日の箇所で繰り返しスライド映写機の不調が記されていて、あらためて申し訳なかったな…と反省する。スライド映写機は、美術館の方で市役所や写真館から借りて用意したのだが、なぜか普通に動く機械が手に入らず、本番直前まで冷や汗をかきながら走り回ったのを思い出した。
和泉さんは「原爆の図」15部作の舞踏化をライフワークにしている舞踏家で、現在第3部まで公演したが、15部までは気の遠くなるような道のりである。
原爆を体験していない世代が、その記憶を伝承するのは、(舞踏など芸術表現に限らず)たいへんな困難を伴うと思う。真摯な気持ちで向き合うほど、フィクションであることの自覚に苦しむのではないか。それを受け入れた上で、より本物に近づくための努力をして、しかし決して越えることのできない体験の壁への絶望感に打ちのめされる、そんな作業の繰り返しではないかと想像される(「想像される」と書いてしまったが、私自身、学芸員としての仕事をする上で、その実感は強い)。
「原爆の図」を描いた丸木夫妻でさえ、厳密には8月6日の広島を体験していないわけで、「あれは絵じゃからね」(位里の妹・大道あやの言葉)とそのフィクション性を指摘されている。けれども丸木夫妻は「原爆の図」を描き続けた。30年以上の歳月をかけて描き続ける中で、「原爆の図」は揺れ動きながらも15部の作品として完結した。それは、原爆の有様をそのまま写し取ったものではなかったかもしれないけれども、ある意味では原爆以上の、人間の本質の部分を深くえぐる芸術作品になった。
和泉さんには、ぜひ長いスパンで舞踏化を続けて頂きたいと思う。丸木夫妻の原爆を巡る長い旅を追体験しようと試みた人は他にいない。きっと、その歳月の中から、新たに見えてくるものがあるのではないか、と期待している。
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2005/12/21

引き続きNHK新日曜美術館  TV・ラジオ放送

昨夜自宅に編集スタッフのKさんからFAXが届いた。NHK新日曜美術館「没後10年丸木位里展」の番組進行表である。見ると、美術館の外観、丸木夫妻の写真、原爆の図「母子像」(ほとんど丸木俊が描いた)、神宮寺蔵の丸木夫妻共同制作「涅槃図」(こちらもほとんど丸木俊が描いた)の順に紹介され、丸木位里の水墨は1点も映らない。ナレーションにも「水墨」という言葉すら登場しない。これでは丸木位里展の紹介にならないと慌ててしまった。
すぐにFAXを返信するが連絡がとれず、朝、美術館に出勤して一番に携帯電話に連絡。Kさんは次第に悲痛な声になり、「本来なら水墨を紹介するべきだというのはわかっています。でも、『原爆の図』を紹介して欲しいという上からの意向があり、外部スタッフの私にはどうすることもできないのです」とのこと。現場の苦労はこちらも身に沁みているので、「せめて、水墨を展示しているというナレーションだけでも入れて下さい」とお願いする。
結局、その後連絡があって、水墨画の「樹林」を紹介してくれることになった。あまり本意ではない番組の内容になってしまったが、KさんはTVの仕事としては珍しく、直接作品撮影に美術館を訪れ、事前に番組の進行表も送って下さった。こちらへの対応も、とても丁寧にして下さった。本当に感謝しています。
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2005/12/20

小学生の感想文  その他

11月26日から埼玉県立歴史資料館で開かれていた「丸木夫妻が描いた神宮寺の襖絵」展が18日に終了。午前中に、歴史資料館のS学芸員が丸木美術館から出品していた展示品を届けて下さった。会期中の入場者は2,330人とのこと。ふるさと歴史探訪の会のUさんも挨拶のためにわざわざ来館。ふるさと歴史探訪の会からご寄贈いただいた神宮寺の襖絵の写真については、N事務局長と相談の上、機会を見てぜひ紹介していきたい。

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12月25日放送の新日曜美術館アートシーンの編集スタッフのKさんから電話があり、「没後10年丸木位里展」について、放送では「原爆の図」と「涅槃図」に絞って紹介したいとの連絡があった。時間の制約などTV局の事情はあるのだろうが、今回の企画展の見どころは位里さんのスケールの大きな水墨画だったので、平静を装いながらも少々落胆する。「原爆の図」などの共同制作に隠れがちな位里さんの個人制作の再評価は、やはり簡単なことではないのだな…と痛感。紹介してもらえるだけで有難いのかも知れないが。

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先日、12月1日に来館した東京都江東区のT小学校から、学年だよりに掲載された76人の子どもたちの感想文集が届いた。引率のY先生からも「どの子も食い入るように真剣な表情で絵に見入っていました。子供達にとっても引率した者にとっても忘れられない貴重な時間となりました。人として忘れてはならないものを思い起こさせてくれる場だと丸木美術館の存在そのものに感謝したい気持ちでいっぱいです」というメッセージが添えられていた。元気いっぱいだった子どもたちの姿を思い出しながら、ひとつひとつに目を通す。本当は全部を紹介したいけれども、その中から4人ほど選んで紹介。

○ぼくは原爆を受けた人がどうなったかよく分からなかったのですが、丸木美術館の「原爆の図」を見てよく分かりました。それと最初に説明してくださったように、丸木夫妻が「原爆をうけたらどうなるかを未来の子供たちに見てほしい」となぜ思ったのかもわかったような気がします。美術館の見学はとても勉強になりました。ありがとうございます。

○人々がどんなに平和をのぞんでいても、戦争がおきればこれほどまでになるということが分かった。「戦争をして何になるのか」一番大切な人が一瞬で死んでしまう。そんな原子爆弾はいらない、不必要ということがすごく分かった。「一人一人が命をもっているんだから」とメッセージカードに書いてあるのを見て、そのとおりだなって思いました。大切なことがあるから平和をのぞむ。一人一人が大切だから世界中にひろがる。そういう平和がすごく分かってよかったです。

○原爆の図を見て、とても残酷な絵だと思いました。その絵をずっと見ているとけむりの中にいるかのように息苦しくなりました。日本人が中国、朝鮮人を刀で殺している絵も見ました。刀で殺している絵は、原爆の図よりもざんこくに見えました。もう二度と戦争がおきないことを願いたいです。最後に思わず笑ってしまう絵を見て、「これが平和なんだ」と思いました。

○私は丸木美術館に行って色々なことを感じました。まずは丸木夫妻が描いた広島の原爆の様子の悲惨さ。私は原爆の図を見ていると、実際に広島にいるような感じがして恐ろしく感じました。なぜ戦争が起こるのか。それを今私たちの国語で学び・考えているところです。自分の過去にそのようなことがあると思うと、自分がとても平和で幸せに“生きている”ということがとても悲しく思います。しかし、人は生きる権利がある限り生きていかなければならないのです。
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2005/12/18

ブログのこと  その他

朝から風の強い一日。北風が肌を刺すように冷たく、自転車通勤にとっては厄介な日。
午前中、N事務局長は昨日の会議や懇親会の後片付けをする。ぼくは生協総合研究所のN研究員から送られてきた原稿の校正をする。Y子さん、M子さんはお休み。
美術館の竹で炭を焼き、商品として寄附してくれている美術家のSさんが、久しぶりに来館。スリーデーマーチにリンゴジュースを届けてくれるSさんも集金のため来館。
全体的に穏やかな一日で、N事務局長と昨日の会議の話や世間話などをしながら過ごす。

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朝、12月15日の記事にコメントを寄せてくれたみぃさんの温かい文章を読み、嬉しくて、ちょっと泣きそうになってしまった。つらつらと情報をたれ流すだけで精一杯の毎日、記事の整理や分類などもしていないし、ほとんど内部の人に向けて書いているような日誌なので、コメントはTさんしかしてくれないのかと思っていた(もちろんTさんのコメントも嬉しい)が、遠方の方も読んでくださっていると知って、かなり勇気が出ました。
先日取材に訪れた生協総合研究所のN研究員も、このブログをずいぶん参考にしながら記事を書いて下さったとのこと。今、その記事を校正しているところだが、読みながら、もっと具体的に記事を書いた方が後々の役に立つのかなあ、と反省している。特にイベント関連の記事は、誰が、いつ、どこで、何を、どのように、という内容を精確に記した上で、周囲の人たちの感想もできるだけ紹介したい。
最近では、来館者から「ブログを見ていますよ」などと声をかけていただけることもあり、少しは丸木美術館に親近感を抱いてくれる方が増えたかな、と思うと嬉しくなる。こうした声は、(皆さんが思っている以上に)現場にとって本当に励みになりますので、どうぞ気軽にお寄せ下さい。
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2005/12/17

理事会・評議員会  その他

午後1時から評議員会、午後2時半から理事会が行われた。議題は2005年度事業計画の補正及び補正予算について。今年は緊急支援カンパや規模の大きな館外展が多く、当初の予算から大幅な変更が生じているため、補正予算を組むことになった。評議員会、理事会とも、質疑応答の後、全員一致で承認を得る。その後、午後3時20分から理事・評議員合同会議が開かれ、「丸木美術館再生プロジェクト」の今後について話し合った。
午前中には来春開催される「丸木美術館支援芸術祭」のための話し合いも行われ、会議尽くしの一日となる。
会議の後には懇親会が開かれ、K理事が用意して下さった料理を囲んで歓談した。
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2005/12/16

創作玩具展  他館企画など

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美術館は開館日だが、一日休暇をもらって、吉祥寺のギャラリーへ大学生の創作玩具のグループ展を見に行く。いつも丸木美術館にボランティアに来てくれる大学の後輩のKさんが出品していて、案内状を戴いたため。妻Tと息子Rと三人で行く。
このグループ展は、創作玩具を研究するゼミの発表の場で、動物をかたどった木製の椅子や、子どもが中に入って遊ぶことのできる玩具の家、パズル、コマ、貯金箱、布の絵本などさまざまな玩具が展示されていた。息子Rは大喜びで、たくさんの玩具で遊んでいた。
Kさんは「折り布」を出品。折り紙と違って、子どもが手を切らない安全性が売りだという。アイロンをかければ再利用も可、というのが面白かった。
彼女は、大学の学芸員資格取得のための授業の中で、担当のM先生(ぼくの学生時代の恩師でもある)が、ぼくの書いたテキストを使ったことをきっかけに、丸木美術館に興味を持ってHPを通じて連絡をくれた勉強熱心な学生。横浜という遠方に住みながら、これまでに何度も友だちを連れて美術館に手伝いに来てくれている。
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2005/12/16

東京新聞「さいたま宝物」E  執筆原稿

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本日12月16日付の東京新聞朝刊埼玉版「さいたま宝物」で丸木俊「裸婦(解放されゆく人間性)」を紹介しています。記事の内容は以下の通り。

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戦後の社会に「希望」描く
 丸木俊(赤松俊子)は一九一二年、北海道秩父別町に生まれ、女子美術専門学校(現女子美術大学)で油絵を学んだ。戦前は外交官の家庭教師としてモスクワに滞在。二科展に入選を果たし、ゴーギャンを目指して南洋群島に渡るなど、行動力に溢れた女性だった。
 「裸婦(解放されゆく人間性)」は四七年、第一回前衛美術展に発表された油彩画である。
 藤色の花が咲きこぼれる画面の中央で、大地を踏みしめている逞しい女性。その姿には、戦後の女性解放運動の最前線に身を投じた彼女自身の希望が重なる。
 しかし、明るく健康的な日本人の顔を描きたい、という俊の願いとは逆に、若者たちには戦争による心の傷が残されていた。明るい未来のためには、まず、悲しい現実を描かなければならない。そう気づいた彼女は、敗戦直前に遭遇した原爆投下直後の広島の惨状を、夫婦共同制作「原爆の図」として描くことを決意する。その後三十年以上にわたって、原爆で傷ついた人々を描き続けた俊を、作家の石牟礼道子は「幽霊たちの悲母さま」と呼んだ。
 俊は敗戦後の社会に、希望と悲しみの相反する人物像を見出したが、結局、悲しみの人々の母となることを選んだ。希望の「裸婦」は、彼女の存命中は二度と外に出ることなく、埃をかぶって眠り続けた。
 俊の死の翌年の二〇〇一年、栃木県立美術館の「奔る女たち」展に、色鮮やかに修復された「裸婦」があった。そこには、時代や思想を超えて、彼女の故郷である北の大地を想起させる力強さとヒューマニズムの輝きがあった。
 この作品は、常に社会と向き合いながら生命を見つめ続けた丸木俊の、もう一つの代表作である。(岡村幸宣・原爆の図丸木美術館学芸員)
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2005/12/15

日韓五世代展作品写真  その他

朝、メールを確認すると、9月に行われた企画展「日韓五世代の対話」でお世話になったFさんと月刊「あいだ」のF編集長からメールが入っていた。次号の「あいだ」でFさんが書いた同展についての文章が掲載されるので、大至急展覧会の画像データを送って欲しいとのこと。
Fさんには以前展覧会の画像データが入ったCDを送っていたのだが、作品タイトルが書かれていなかったので、そのCDを受け取った「あいだ」の編集部のスタッフが混乱してしまったそうだ。こちらも、その後に写真を整理してしまっていたので、先方にあるCDの作品番号と手元の資料が一致しない。(これはちょっと困ったことになったぞ)と思っていたら、早速Fさんから電話があった。ともかく急いでいる様子なので、電話やFAXなどでやりとりをした結果、最終的にこちら側で画像を選定して、メールで再送することになった。午後2時すぎまで、その作業に大わらわとなる。

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名古屋の友の会の方から、9月に銀座松坂屋で開かれた「丸木スマの絵画」展のときに制作したミニ図録(頒価600円)を25部購入したいと電話申し込みがあった。「クリスマスのプレゼントにしたいので、間に合うように送って下さい」とのこと。図録の制作者としては、心が温かくなる嬉しい申し込みだった。

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今日は賞与の振込日。先日、「全国から支援カンパを頂いているのに、職員が賞与をもらっていいのか」という疑問の声があることを聞いたが、賞与と言っても、ほとんどは美術館に通勤するための定期代で消えてしまう。残りの金額も、率直に言うと、月々の生活費の赤字分を埋めることすらできない。息子の食欲が本格的に増えつつあるこの頃、どんな形であれ、収入を削られるというのは本当に背筋の凍る思いがする。
お金の話はできればしたくないけれども、そんな事情なので、貴重な寄附金の中から賞与を頂くことをお許し下さい。
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2005/12/14

水道凍る  自然・生きものたち

朝、この冬初めて水道が凍結した。閉館時には元栓を閉めて蛇口を開き、水道管を空っぽにしてから帰るのだが、それでも寒さの厳しい朝には凍って水が出なくなる。今日は陽射しが暖かいので午前中のうちに水が流れ出したが、もしトイレの水が凍結した日に団体で来館者が訪れると、ちょっとした悲劇が起こることになる。残念ながら、前日のうちにバケツに水を用意しておく程度しか、解決の手だては見当たらない。

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東松山市環境保全課のKさんから電話があり、来年1月6日の午後に唐子公民館で、来年「ホタルの里」で企画する新しいプロジェクトについて打ち合わせをすることになった。Kさんは昨日も来館して、N事務局長といろいろ話をしていた。Kさんは、東松山市と丸木美術館を結ぶ存在として、本当に精力的に働いてくれる。地道に継続的に動いてくれることが、何より嬉しくありがたい。

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午後、Y子さんはY会計士と共に会計の整理で大忙し。N事務局長は朝日新聞のK記者の取材対応や、17日の会議のための資料作成で忙しい。
N事務局長の資料作成を手伝いながら、久しぶりに玄関ロビーの商品陳列や、汚れてしまった値札などを付け替える。
仕事の合間に、神宮寺から送られてきた季刊誌「僧伽」に目を通す。今年の8月の「原爆の図」展について書かれた神宮寺スタッフの日記を興味深く読んだ。
いつもボランティアをしてくれるDさんとJさんが入れ替わりに来館して、お茶飲み話をして帰る。
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