2005/10/21

館内説明・Tさん来客  来客・取材

午前中、東京都千代田区の私立女子中学校237人の団体が来館。新館ホールにて館内説明を行う。毎年来館してくれる中学校だが、いつもたいへん集中して説明を聞いてくれる。今年も、ひとつの部屋に200人以上の中学生がいるとは思えないほど静かに、しかし熱意を持って話を聞いてくれたので、たいへん説明がしやすかった。館内の作品も熱心に見てくれた様子。

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以前丸木美術館でアルバイトをしていて、現在はカナダ在住の版画家T口A子さんが久しぶりに来館。お連れ合いのカナダ人Sさんの版画展が11月5日(土)まで浦和の柳沢画廊で開催中とのこと。

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今回のニュースは、中国美術館での展覧会と銀座松坂屋の丸木スマ展の報告が大きな目玉になる。それに「没後10年丸木位里展」の特集、日韓五世代展の報告など。
表紙の絵は位里さんが中国を描いた水墨画《洞庭湖》(先日寄贈されたばかりの作品)を選んだ。表紙の文章も、位里さんが中国を訪れたときの滞在記から抜粋。また、「表紙の絵」の解説欄で、丸木夫妻と中国との関わりを簡単に紹介する予定。
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2005/10/21

東京新聞「さいたま宝物」B  執筆原稿

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本日10月21日の東京新聞朝刊埼玉版「さいたま宝物」で原爆の図第3部「水」を紹介しています。記事の内容は以下の通り。

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心揺さぶる理不尽の象徴
 「傷ついた母と子は、川をつたって逃げました。水の深みに落ち込んだり、あわてて浅瀬へのぼり、走り、炎が川をつつんであれ狂う中を水に頭を冷やしながら、のがれのがれて、ようやくここまできたのです。乳をのませようとしてはじめて、わが子のこときれているのを知ったのです。」
 原爆の図第三部「水」(一九五〇年制作)は、画面の右から左に向かって、被爆者が水を求めて川に集まり、息絶えていった様子が、時間的経緯に沿って描かれている。余白の多い静かな空間の中で、ひときわ見る者の目を引くのは、中央に描かれた母子像である。
 作者である丸木位里・赤松俊子(丸木俊)夫妻が、「二十世紀の、絶望の母子像」と呼んだ、傷ついた母と子の姿は、無垢なる者の理不尽な被害の象徴として人びとの心を揺さぶり、その後の「原爆の図」にも繰り返し描かれた。
 「原爆の図」連作は、日本各地を巡回した後、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアをめぐる世界巡回の旅に出た。一九六七年には埼玉県東松山市に原爆の図丸木美術館が開館。
 一九七〇年には原爆を投下した側の米国で巡回展が実現した。そこで夫妻は「中国人が南京大虐殺の絵を描いて日本に持っていったらどうしますか」という質問に衝撃を受ける。加害と被害が複雑に交錯する戦争の本質に気づいた二人は、被爆した米兵捕虜の日本の民衆による虐殺や、朝鮮人被爆者を主題に「原爆の図」を描き、南京、アウシュビッツ、水俣、沖縄と続く共同制作を発表した。
 丸木夫妻の画業は、戦後五十年を迎えた一九九五年にノーベル平和賞候補に推薦され、埼玉県民栄誉賞を受賞するなど、国内外で高い評価を受けている。
 (岡村幸宣・原爆の図丸木美術館学芸員)

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