2005/10/7

東京新聞「さいたま宝物」A  執筆原稿

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本日10月7日の東京新聞朝刊埼玉版「さいたま宝物」で原爆の図第2部「火」を紹介しています。記事の内容は以下の通り。

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大衆が描かせた絵画

 丸木位里・赤松俊子(丸木俊)夫妻は、原爆の図第一部「幽霊」を発表した半年後の一九五〇年八月に、第二部「火」と第三部「水」を発表した。
 三部作の完成と同時に、全国各地で「原爆の図」の巡回展がはじまった。巡回展は公民館や百貨店、旅館、学校、寺院などで開催され、会場は多くの人の熱気であふれた。
 大阪の会場では、第二部「火」の画面に描かれた炎に包まれた赤ん坊を、中年の女性が「このややこ(赤ん坊)が焼けて死んだんやで」と子どもに話して聞かせながら撫でていた。
 俊は、その光景を見て衝撃を受ける。
「私はたくさんの絵を描きましたけれど、撫でて泣いてもらったのは生まれて初めてです」。
 後年、彼女はこのエピソードを繰り返し語った。そして「原爆の図」を、名も知らぬ人々に支えられ育てられた「大衆が描かせた絵画」であると位置づけた。
 炎の中の赤ん坊の姿は、当時の軍報道部のカメラマン山端庸介が撮影した、被爆翌日の長崎の写真をもとに描かれている。
 丸木夫妻の回想によると、第一部を発表した直後から、広島とも長崎ともわからない被爆写真や多くの被爆者の証言が寄せられてきたという。二人は、これらのイメージを取り入れ、再構成しながら、その後も新しい作品を発表していった。「原爆の図」は、丸木夫妻の芸術的な表現力と、多くの被爆者たちの記憶が結びつくことで生み出された作品であった。
 やがて、この連作は必然的に、戦争を直接体験していない世代が、原爆をはじめとする戦争の記憶を追体験し、継承していくための道標として、社会的な役割を担うことになった。
 (岡村幸宣・原爆の図丸木美術館学芸員)

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2005/10/7

長崎新聞掲載  掲載雑誌・新聞

長崎新聞東京支社のOさんより10月5日付の新聞記事が送られてくる。“「原爆の図」の丸木美術館 入館者減、存続の危機”という見出しで、入館者減の背景には「被爆地への修学旅行の減少」があるという内容の記事になっている。長崎原爆資料館には原爆の図第15部「ながさき」も常設展示されているので、多くの人に関心を持ってもらえるとありがたい。

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10月9日に行われる「丸木美術館再生プロジェクト」の資料作りを行う。Y子さんが8月からはじまった緊急支援カンパの経過報告を作成してくれた。具体的な数字は以下の通り(数字はいずれも9月30日現在)。
郵便振替によるカンパ 14,623,770円
その他(現金書留、直接等)のカンパ 721,152円
支援カンパ者数 835人
友の会新規入会者 578人
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