2005/9/30

9月の有料入館者  入館者数

【9月計】個人780人(前年比+342人)、団体262人(−66人)、計1042人(+276人)
【年間累計】個人5996人(前年比+1888人)、団体3993人(+673人)、計9989人(+2561人)
=9月30日現在
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2005/9/30

友の会についてのクボザイク日記  その他

千葉大学の先生が学生7名を連れて来館。2階の原爆の図の前で館内説明を行う。風邪で喉が痛くて長時間説明するのは少し辛かったが、聞き手の熱心な姿勢にとても集中して話ができた。若い学生たちが関心を持って熱心に作品を見てくれるのはとても有難い。

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午後からボランティアのJさんが来館し、「今日の反戦展」の出品作品の返送を手伝ってくれる。着払いで返送するとはいえ、今回は相当な数の作品が会期終了後に残ってしまったので返送作業も簡単ではない。基本的には作家自らが撤去することになっていたのだが、そう簡単にはいかなかった。来年以降の大きな課題である。

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「今日の反戦展」の出品作家でもあるクボザイク(窪田修)さんが、9月21日のML日記で「美術館の友の会」について書いていた。丸木美術館にとっても、友の会制度はとても重要な問題である。そこで、本人の承諾を得て全文を掲載させていただくことにした。美術館にとって友の会とは何かという本質的な示唆が含まれているように思える。
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本日、天野美術館友の会から宅急便が届いた。友の会に入会したので、会報と天野芳太郎生誕100年を記念して制作した本「南風光砂」が中に入っていた!
ちょー感動である!
近所の古本屋店主にこれ(「南風光砂」)は非売品で、天野博物館友の会会員でないと手に入らないよ、と見せてもらったばかりであった。また、天野さんが昭和11年に書いた「あちら・こちら物語」のパナマの部分だけコピーが入っていた。
ピンポイント!
まさに、パナマの事が知りたかった僕にとって、これほどの宝は無いだろう。「あちら・こちら物語」は、とっくに絶版になっていて、現在は入手が困難になっている。
ところで、この天野博物館は、地球の反対側のペルーにあるので、僕はそう気軽には行けない。僕は、友の会に入会すれば、本日送られてきた本や会報が頂けるとは、思っていなかった。それだけにうれしかった。(数号以前発行の会報も同封されていた)なぜ、友の会に入ろうと思ったのかというと、この博物館がペルーにて、入場料が無料でいて、天野さんという人の生き方に惹かれ、すばらしいコレクションが大切に今もあることを知ったからである。
たとえ、この博物館に自分が訪れる機会が無くとも、この博物館に何かの形で関わりを持ちたいと思った。
このような心境になるには、博物館そのものよりも、それにかかわった人物の顔が見えなくてはいけないのだろう。
収蔵作品も大事であるけど、博物館を作った人の並々ならぬ熱い思いを感じたとき、おのずとその博物館をサポートする気になるのだと思う。
某美術館の学芸員が、特典を付けないと友の会には入る人がいない、と嘆いていた。美術館では、会員には、入場料が無料になったり、特別観覧会への招待、さまざまなサービスを繰り広げている。
しかし、本当に必要なのは、人間に惹かれることで、その博物館なり美術館なりをおのずとサポートしたいという気持ちが生まれることなのかな。でかい博物館では、難しいのかもしれないけど。
そういう意味で、この前行った、丸木美術館は、本当によかったです。顔が見える美術館って言うか、そんな感じを受けました。丸木美術館友の会にも入会しなくちゃな。
あくまでも、僕個人の感想であり、一般的には違うのだろう。以前、ある美術館の友の会や美術館常連の人達が「俺たちをもっと優先的に扱え」って、主張していた。僕が「それは違う」って、言ったら、「おまえは、美術館のまわしものか」って、怒られた。
いまだに、あの人達の主張に疑問を持っている。生意気な意見を長々とすいませんでした。
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2005/9/30

週刊金曜日・筑紫哲也「自我作古」  掲載雑誌・新聞

週刊金曜日2005.9.30(575号)の筑紫哲也さんのコラム「自我作古」欄で、銀座松坂屋の丸木スマ展が紹介されている。筑紫さんは展覧会最終日の9月19日に会場を訪れ、熱心に作品を鑑賞されていた。以下、一部を抜粋。
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 丸木美術館の存在を知らしめるべく今回開催された「丸木スマ展」(銀座・松坂屋)で初めてじかに接してフォークアートの磁力にあらためて驚いた。(中略)
 魚、野菜、鳥、動物、自然、祭りそして夢……そこには職業的画家のような技法はない代りに、彼らが持ち合せない無縫ののびやかな夢想と、何よりも生活の実感がある。
 この「実感」の喪失と想像力の欠如こそが、今の世を覆っている特徴だ。
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2005/9/30

東京新聞「さいたま宝物」@  執筆原稿

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本日9月30日の東京新聞朝刊埼玉版「さいたま宝物」に原爆の図第1部「幽霊」を紹介しています。記事の内容は以下の通り。

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理不尽に奪われた命描く
 六十年前の八月六日午前八時十五分、広島に世界で最初の原子爆弾が落とされた。広島の街は巨大な火球に包まれた後、一瞬にして焼け野原となり、二十万人を越える人たちの命が奪われた。
 広島出身の水墨画家・丸木位里と、妻の洋画家・赤松俊子(丸木俊)は、被爆直後の広島にかけつけ、その様子を目に焼きつけた。それから五年後の一九五〇年に、夫婦共同制作で発表されたのが、原爆の図第一部「幽霊」である。
 当時、米軍占領下にあった社会状況を考慮して「八月六日」という題で発表されたこの作品には、広島市郊外の三滝町から爆心地に近い土橋へ建物疎開の勤労奉仕に赴いた百名の女性たちの姿が描かれている。全身に火傷を負い、手を半ばあげて、指先から皮膚が垂れ下がった状態で泣きながら歩いていく人びとの様子が、まるで幽霊の行列のように見えたという証言から、丸木夫妻は作品の構想を練ったという。
 原爆というと、きのこ雲や原爆ドームなどが連想されるが、丸木夫妻の「原爆の図」には、そうした背景的な事物は、いっさい現れない。二人が生涯をかけて描き続けたのは、きのこ雲の下で理不尽に命を奪われていった人間たちの姿だった。
 二十世紀の人類が犯した原爆という大きな過ちを主題にしながらも、水墨による独特の線描の重なりと滲みの美しい優れた芸術作品であり、何より、殺されていった人間たちに対する夫妻の温かな視線が、画面の隅ずみにあふれている「原爆の図」。埼玉県東松山市の都幾川のほとりにある小さな美術館で、今も多くの人の心を打ち、愛され続けている奥行きの深い作品である。
 (岡村幸宣・原爆の図丸木美術館学芸員)
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2005/9/30

掲載誌案内  掲載雑誌・新聞

クレヨンハウス発行の月刊クーヨン11月号に、「遅咲きの花を咲かせた女性たち」という小さな紹介欄で丸木スマさんが紹介されています。
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2005/9/30

TV放送案内(再放送)  TV・ラジオ放送

9月25日(日)午前5時からNHK教育テレビで放送された「心の時代」(長野県松本市浅間温泉神宮寺の「原爆の図」展を紹介)が、10月2日(日)午後2時に再放送されます。初回放送を見逃した方はぜひご覧下さい。
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2005/9/30

9月29日(木)  学芸員実習

【今日の入館者】12名

東京新聞「さいたま宝物」連載
東京新聞埼玉版の「さいたま宝物」欄に連載することになった丸木美術館の作品紹介の第2回目、原爆の図第2部「火」の記事を執筆。掲載は10月7日(金)の予定。

実習生リポートから
9月1日から11日まで学芸員実習を行った東京国際大学の斉藤玲奈さんから、実習リポートが送られてきた。彼女は「自分で美術館を創るなら」という視点から、丸木美術館での実習に取り組んできた。少々長い引用になるが、丸木美術館と関わりのある興味深い箇所を、本人の承諾を得て抜粋する。

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私が丸木美術館で学んだことは3つあります。
まず一つめは「ないならないなりに工夫する」という選択肢を持つこと。独立法人としてどこの博物館も生き残るために必死ではあると思うが、果たすべき役割があるにせよ、時には妥協し、広い意味での“持続可能な発展”のための工夫をしていくべきだという考えを持つことができた。そこには様々な専門的知識や経験が必要になってくると思うが、美術館が生き残ること、時代の流れや社会のニーズをキャッチすること、そして自然と共存することもとても大事な事である。
二つめは、「人から人へ」というふうに繋がりを大切にし、この美術館自体がそれを実践しているということ。丸木美術館がこの東松山市に建てられ、夫妻がいた頃は画学生がたくさんお世話になっていたり、今でもそのような夫妻の想いが美術館とともに守られている。様々なイベントでも、地域の方や友の会からのボランティアの力は大きく、これはここの美術館の大きな特徴であると思った。ここへ来るとホッとするような暖かさを感じるのは、周りに残された自然と人との繋がりのある空間が古き良き日本の雰囲気を思わせるからで、リピーターをつくる一つの要因でもあると感じた。
そして三つめは、絵画が持つメッセージ性。また、それを発信していき、返信(来場者の意見)の機会が豊富にあることである。
『原爆の図』は、被害にあった人が多くを語りたがらないけれど人類が知らなければならない「事実」。歴史を勉強した大人でも、まだ幼い子供、そして学生でもそれぞれに何かを感じ、考えさせるような作品である。夫妻が制作していた頃から海外へも足を運んでいたこともあって、絵を通して戦争を行った国同士が接点を持ち、対話を通して“人間”としての交流を行っていたことにとても大きな意味を感じた。このようなメッセージ性があるからこそ大変な役割があり、日本が守っていかなければならないものであると思った。しかし“戦争”を扱うテーマのものとなると、どうしても政治とは切り離して考えることはできない。非常に難しい問題であるが、この美術館から一つの考え方を学ぶことができた。丸木美術館はいろんな支えの中で、国立の中国美術館へ作品を出品したり、様々な企画展を催したり、地域でのイベントを開くなどの活動をしているが、行政が関わっていなくてもこれだけの活動ができて、関わる人たちに“信念”があるから、伝わる何かがある。館内にもノートがいたるところに置かれ、来館者が自由に感想を書き込めるようになっている。ノートは何十冊もあり、たくさんの感想で埋まっている。そこに書いてあることからも、ここへ来た多くの人が、この絵を前にして「自分はどう感じるのか」という事を考えていることが見えてきた。この絵を前にしている時だけではなく、身の周りのすべてのモノ・出来事や社会に対して「自分はどう思うのか」という視点を忘れてはならない。学芸員の方がおっしゃっていた言葉で、「学芸員とは自分の方向性を磨いていくこと」というのがあったが、これは全ての人に対して言えることであるし、とても好きな言葉だな、と思った。
そういった、沢山の刺激を受けて学びの多い実習となった。
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2005/9/29

9月28日(水)  作品・資料

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▲丸木位里「洞庭湖」(寄贈作品)

【今日の入館者】7人(友の会1人)

位里作品3点寄贈
山形市のKさんから、丸木位里の水墨画「洞庭湖」「無錫」「久米島」(いずれも10号)が寄贈された。丸木美術館の所蔵作品は「原爆の図」をはじめとする丸木夫妻の共同制作が主であるため、こうした個人制作の寄贈はたいへん有難い。今回の寄贈作品も、位里さんの水墨の面白さがとても良く表れている作品ばかりなので、ぜひ企画展などで紹介していきたいと思っている。

「原爆の図」4点寄託
東京都葛飾区青戸の鶴林山勝養寺の住職ご夫妻が、所蔵する丸木夫妻の「原爆の図」4点(「幽霊」「火」「水」「夜」)を丸木美術館に寄託したいとの申し出のため来館した。詳細については今後詰めていくが、10月下旬には丸木美術館に到着する予定。勝養寺所蔵の「原爆の図」はいずれも1982年に制作され、同年3月の第8回从展に出品された作品。「幽霊」のみ縦189cm横245cmの大きさで、他の3点は縦212cm横267cmの大作。勝養寺さんの話によると、お寺の建て替え工事を機により多くの人に見てもらえる丸木美術館に寄託しようと思い立ったとのこと。展示スペースの都合で常設は難しいが、機会を見て展示し紹介していきたい作品である。
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2005/9/28

9月27日(火)  その他

【今日の入館者】15人

快復傾向
昨日の休館日も一日自宅で静養して、体調は少しずつ快復傾向。今日は実家の両親が家を新築するので地鎮祭に参加するため美術館を休ませてもらった。一家三人そろって咳をする風邪っ引き家族になってしまった。
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2005/9/28

9月25日(日)  来客・取材

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▲展示を見る福島瑞穂さん

【今日の入館者】34人

「ホタルの里の展覧会」打ち上げ 病欠
夕方5時30分から東松山市内の日本料理店で「ホタルの里の展覧会」打ち上げが行われたが、私は体調不良のため朝から美術館を休んでいたため欠席した。昨夜からの熱が38.7度まで上がって、一日じゅう寝込んでしまった。打ち上げに出席したN事務局長の話では出席者は8名とのこと。

来 客
閉館前に社民党の福島瑞穂さんが来館。鳩山町での講演の帰りに立ち寄り、40分ほど丁寧に館内を見ていかれたとのこと。
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2005/9/28

9月24日(土)  その他

【今日の入館者】34人

夏の疲れ
ここ1ヶ月ほど体調を崩していた妻が病院に検査結果を聞きに行くため、美術館を休ませてもらって午前中は息子と家で留守番。さいわい妻に大事はなかったが、午後からこちらの体調が悪くなり、微熱が出る。夏の疲れが出たのかもしれない。
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2005/9/23

9月23日(金・祝)  来客・取材

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▲中国美術館の陳履生さん(中央)、中国大使館の欧陽安さん(右端)と記念撮影

【今日の入館者】35人(招待2人)

中国美術館陳履生氏来館
北京の中国美術館で展示されていた『原爆の図』6点が丸木美術館に無事帰還。中国美術館の陳履生さんと、中国大使館の欧陽安さんも来館し、館内を見学される。その後、丸木家に挨拶し、丸木美術館のK理事とともに東松山市内の日本料理屋で昼食。
今回の中国の展覧会は丸木美術館にとってとてもありがたいものだった。陳履生さんは、今後もぜひ丸木夫妻の中国の作品を展示する機会を持ちたい、と言って下さる。また、丸木夫妻の中国のスケッチを出版したいという話もいただいた。ともに今後時間をかけて実現を探っていくという話ではあるが、丸木夫妻の作品をとても大切に思っていただいていることが伝わってきた。最後に、みんなで記念撮影をする。
『原爆の図』展示を手伝ってくれたJさんにも感謝。とても助かった。
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2005/9/22

9月22日(木)  執筆原稿

【今日の入館者】77人(団体71人)

雨ふり
朝から霧雨の降る一日。朝いちばんに東京杉並区のS中学校が団体来館し、館内説明をしたが、その他はお客さんが少なく静かな一日だった。N事務局長が北京から帰り、簡単な報告を聞く。その他、日韓五世代の対話展に関する細々とした仕事を行う。

東京新聞「さいたま宝物」連載記事
今月末から年末まで7〜8回(毎月奇数週の金曜日掲載予定)、東京新聞埼玉版の「さいたま宝物」欄に丸木美術館の所蔵作品の紹介を連載することになっている。今日はその第1回目の締切り日なので、原爆の図第1部「幽霊」についての文章と画像データを送付した。掲載は9月30日の予定。
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2005/9/22

9月21日(水)  その他

【今日の入館者】7人

静かな一日
久しぶりに静かな一日。午後、山の上のE子さんがJさんの車で来て下さる。ワゴン車の車検のためDさんも来館し、結局いつものメンバーが顔をそろえる。ゆっくりと話をできるような時間があったのは、本当に7月以来ではなかったか。この間の日常業務も含めて、仕事はまだまだ山積みではあるけれども、とりあえず、束の間の休息のような一日だった。N事務局長も無事に中国から帰国した様子で、今日は休養日。
個人的には日韓五世代の対話展の小図録を作成し、近日中に販売できる目途が立った。
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2005/9/21

9月19日(月・祝)  館外展・関連企画

【今日の入館者】20人(友の会1人)

銀座松坂屋丸木スマ展最終日
午後6時に銀座松坂屋の丸木スマ展が終了。作品撤去のため美術館から職員2名(Y子さんと私)、ボランティアのDさん、Jさんがワゴン車に乗って午後2時30分頃銀座を目指して出発。アルバイトのM子さんと監事のWさんが留守番に来てくれる。展覧会はなかなかの盛況だった様子で、松坂屋のK課長から「今後も定期的に展覧会をしましょうか」とのお言葉をいただく。6日間の入場者は約3,700人。物品の売上も130万円まで伸びたとのこと。丸木美術館としては多くの人の目に触れる場所で丸木スマさんの作品を見ていただける機会があったのはとても嬉しいが、(松坂屋さんにとっても良い展覧会になるのだろうか?)という点が少々気懸かりだったので、喜んでいただけたのを見て安心した。
東松山に帰って作品を美術館の収蔵庫に戻し、完全に作業が終わったのは午後10時30分過ぎ。思ったより早く終わって、人間的な時間に帰宅できたのでありがたかった。ボランティアのみなさんに感謝。この夏とても忙しかったイベントが次々と終焉を迎えて、散らかったおもちゃをひとつひとつ片付けていくような感慨にふけるこの頃。
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