2005/6/29

6月29日(水)  分類なし

【今日の入館者】2人

○午前中は小雨。メールの応対などに追われる。ブログの公開について、数人の役員や大学時代の友人たちから反応がある。とりあえず好評でひと安心。その日の入館者を公表するというのはちょっと勇気がいるけれども(特に少ないときには)、現実をそのまま知ってもらうのは悪いことではないと思う。お客さんにはたくさん来て欲しい。

○午後、東松山市役所のKさんとYさんが来館。7月10日の「子ども獅子舞」の打ち合わせなど。ここにきて「ホタルの里の展覧会」の客足は今ひとつではあるけれど、それでも地域の人たちと顔見知りになれたことは大きい。来年、再来年につながるように、子どもたちにも丸木美術館をよく知ってもらえるように、この展覧会を無駄にしてはいけないとあらためて思う。

○江戸川に住む理事のGさんから「ブログというものを初めて見ました」との連絡がある。丸木美術館が多くの人に愛される場所であって欲しいというぼくの意見に共感して、Gさんが初めて丸木美術館を訪れたときのことを書いた文章をFAXで送ってくださるとのこと。しばらくして届いた文章は、Gさんらしいとても品のある丁寧な文章で「囲炉裏のある古い日本家屋」で「山羊の乳からつくったチーズと焼きたてのパンに山羊のミルクをご馳走になった」と書かれていた。今は鶏も山羊もいなくて、丸木夫妻のようにあたたかいもてなしをすることは難しいけれども、せめて来館者にはそうした歴史の一端を感じてもらえたらと思う。

○一日の終わりに日誌を書くことが、ある種の気晴らしになっていることに気づく。できるだけその日に見つけた「いいこと」を記しておきたい。弱音を吐いたり、愚痴を書いたりはしない、というルールを決めることにする。
0

2005/6/28

6月28日(火)  分類なし

【今日の入館者】5人(招待3人)

○昨日あたりから急に蒸し暑くなり、事務室に扇風機が入る。丸木美術館は空調のない美術館なので、館内はこれから次第に蒸し風呂のようになっていく。そういう事情で、7月9日の工作教室は、急遽予定を変更して「うちわ作り」になった。入館者にも子どもたちの作った手作りうちわを使ってもらう予定。

○今日の入館者は少なかった(一週間のなかで、火曜日は多分一番入館者が少ない)が、電話などが多く、やはりあわただしい一日になる。午前中に東松山市役所のKさんが、造形作家の三橋国民氏を連れて来館(事務局長のNさんが応接)。ボランティアのDさんとJさんも来館。木曜日の夜にNさんの新居でたこ焼きパーティをしようという話。事務局が大変なのを心配していろいろ気を使ってくれている様子。その他、ニュースの広告原稿の作成や、日曜日の再生プロジェクトの報告、学芸員出張授業についての問い合わせ、美術館支援のための呼びかけ文の最終調整、次回企画展「今日の反戦展」出品作家との連絡、針生館長のチラシ原稿の入力などさまざまな仕事の対応に追われる。頭の中がごちゃごちゃになって、イライラしながら仕事をしないように気をつけてはいるが、どうしても余裕がなくなるこの頃。これではいけない。

○丸木美術館の将来構想については、さまざまな人がそれぞれに思い描いているので簡単に一本化することはできない。僕が願うのは、地域の人たちがふらっと立ち寄ることができて、何となく居心地の良さを感じることのできる美術館――ひっそりと自然のなかに溶け込みながら、根源的な優しさを感じることのできる美術館である。たとえば今日も、近所のおじさんが犬を連れて散歩にやってきた。このおじさんは犬の散歩の途中で丸木美術館に寄って、僕たちに声をかけていくのが日課になっている。あるいは、Dさんが仕事の空き時間に美術館の前のあずまや「八怪堂」で2時間くらい昼寝をしていった。丸木美術館は、ふつうの美術館と違って、そういう人がとても多い場所である。現場の人間としては、丸木美術館がいつまでもこうした人たちに愛される空間であって欲しいと願うのだ。
1

2005/6/26

6月26日(日)  分類なし

【今日の入館者】41人
○大阪より評議員のYさんが来る。午後の「美術館再生プロジェクト会議」に参加するため。昨夜はNさんの家に泊まったとのこと。午前中は美術館で庭掃きなどをして下さった。会議の会場に行く途中の電車のなかで、美術館の近況を含めた話をする。Yさんと二人だけでゆっくり話したのは初めてではなかったか。

○Yさんは大阪で小学校の先生をしている。そのため、学校や子どもたちの話が中心になる。Yさんは「子どもたちにはな、自分を叱って他人を褒め、言うとるんや。それが平和やねん。自分を褒めて他人を叱るから戦争になるんや」と言った。「これはな、大人でもようできん」。まったくその通りだと思う。自分のことも反省して、胸が痛くなる。

○「丸木美術館にいると、知らず知らずのうちにそういうことに気づいていくんですよね。それが、この美術館のいいところだと思うし、僕たちが受け継いでいかなければならないことだと思うんですよね」と言うと、Yさんは「そうなんや。それから、わしらがなんで丸木美術館に関わるようになったか言うたら、美術館が居心地のいい場所やったからや。来るものは拒まずっちゅう、丸木夫妻の精神もあるな。わしらは丸木夫妻にからめとられたんや」と笑った。「僕は、丸木夫妻とはほとんど会っていないけれども、そのかわりSさん(前の事務局長)やNさんにからめとられました」と言って笑う。Yさんは「8月になったら、一週間くらいこっちに泊まりに来て、Wくんといっしょに竪穴住居を整備したり、いろいろ美術館のことを手伝うでえ」と言って下さった。なんだかとてもありがたく、励まされた気がした。

○本郷三丁目の駅を降りて、近くのおにぎり屋さんに入ったら、ばったりYWCAのSさんに会ったので、三人で昼食をとる。その後コーヒーを飲んで、道を歩いていたら、ずっと先の方に黒い日傘を差して真っ赤な花柄の黒いドレスを着たMさんが見えた。Mさんは(何か面白いものはないかしら)とあちこちきょろきょろしながら歩いていて、すぐに僕たち三人に気づいたので、「Mさぁん!」と手を振ると、Mさんも満面の笑顔で手を振ってくれた。そして、結局四人で会議の会場まで歩いて行った。会議の中身については省略。
0

2005/6/26

6月25日(土)  分類なし

【今日の入館者】238人(団体206人、招待・友の会4人)
○午前中と午後の2回に分けて都内の女子中学校が団体入館。午前中は僕が、午後はNさんが館内説明をする。今日は週末ということもあって事務局への来客も多かった。評議員のSさん(新聞切抜きのため)、いつもボランティアをしてくれるDさん、Jさん(サッカー話で盛り上がる)。午後にはWさんも貸スペースでの写真展の打ち合わせのために来館する。

○今日はニュース編集作業の追い込み。新作Tシャツの写真を掲載するために、いつも遊びに来る近所のRちゃんとYくんにお願いしてTシャツを着てもらった。小学校にあがったばかりのYくんは、一番小さなサイズのTシャツでもかなりぶかぶかで、「写真は撮らない!」とふくれていたのだが、みんなに「かっこいいよ」と褒められて最後は笑顔で写真に写っていた。

○今号の美術館ニュースには新しい試みとして「表紙の絵」というコラム記事を作ってみた。今回は丸木スマの『ピカのとき』を取り上げている。以下はそのコラム記事の全文。こうした試みが、関係者の間にどのような反応を呼ぶのかは正直不安もあるけれども、恐れずに新しいことに挑んでいきたいという気持ちが今は強い。

表紙の絵 『ピカのとき』丸木スマ

「市民の手で原爆の絵を残そう」という呼びかけにより、被爆者の描いた原爆の絵の一般募集がはじめられたのは、被爆からおよそ30年が過ぎた後のことでした。当時の生々しい様子が描かれたそれらの絵からは、被爆者に刻み込まれた「あの日」の記憶が、長い歳月を経ても決して消え去るものではないことが感じられます。
 丸木スマの『ピカのとき』は、1950年制作です。被爆者の絵としてはかなり早い時期に描かれたものと言えるでしょう。しかし俊の文章によると、スマは原爆の絵を描いていたことを周囲の人には話さなかったようです。
 原爆に夫を奪われた彼女は、まわりの人が「運命だからあきらめましょう」と言うのを聞いて、「これは山崩れや地震たァちがいます。ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」と言ったそうです。
 そんな気丈さと洞察力を備えたスマにとっても、自らの体験を描くことは、とても辛いことだったのでしょう。
 近づこうとしても、私たちの想像のはるか彼方にある原爆の記憶。けれども、残された一枚の絵は、私たちにとって「あの日」を追体験するための貴重な道標でもあるのです。
0

2005/6/25

6月24日(金)  分類なし

【今日の入館者】9人

○今日も一日じゅう美術館ニュースの編集作業。すぐに新しい試みをしたがる僕に対し、慎重派のNさんは常にブレーキをかけて錨のような役割をしている。事務的な連絡事項を漏らさず掲載しようとするNさんに、内心(回覧板じゃないんだから!)と思いながら「もうこれ以上思いつかないでくださいね」と軽口を叩くと、ムッとした顔で「思いついてるんじゃなくて、必要なことを洗い出してるんだ」と言われてしまった。

○夕方7時より銀座のGallery58にて「池田龍雄と、語る夕べ。―現代美術の今とむかし―」に参加。第2回の今日は「現代美術成立のころ」というテーマ。聞き手は松涛美術館のM学芸員。針生一郎ら戦後の新しい批評家たちが概念を提示して若い作家を集め、日本の現代美術を作りあげた(と言えなくもないですね、と池田さんは言っていた)1950年代についての証言。アンデパンダン展からルポルタージュ絵画、リアリズム論争、新具象などが話題となる。「芸術を通じて社会を変革する」という時代のなかで、シュルレアリスムの影響を受けていた池田さんは写生のような表現には同調できず、「人間の内面(意識下の世界)に眼を向けることで混沌とした社会の正体を暴き出そうとした」とのこと。池田さんの論理的な思考と細部における記憶の確かさに感心する。

○トークの後で、偶然会場で作家のKさんを見かけ、初対面ではあったが挨拶をした。Kさんは丸木美術館の次回企画展「今日の反戦展」に出品する予定なので、オープニングのパフォーマンスにもぜひ参加して下さいと声をかけてみた。その後、松涛美術館のM学芸員とも名刺を交換する。以前あるシンポジウムでパネラーをされていたMさんが、「美術館の仕事は、世間の大多数の意見に与さず、常に少数派の立場で物事を見ていくことに意味がある」というような主旨の発言をされていたことがあって、それ以来いつか話をする機会があればと思っていた。ほんの挨拶程度ではあったが、Mさんが丸木美術館にも何度か来られている(昨年のヨシダ・ヨシエ講演会など)ことを知って、とても嬉しく思った。
0

2005/6/23

6月23日(木)  分類なし

丸木美術館で起きていること、あるいは個人的に考えていることを、毎日少しずつ記録しておきたい。そんなふうに考えたのは、現在の当たり前のような日常が、けっして堅固ではなく、非常に移ろいやすく壊れやすいものだという実感を、最近立て続けに感じているせいなのかもしれない。
仕事は日ごとに忙しくなり、また美術館を取り巻く状況が厳しくなる一方で、この混乱と平穏のるつぼのような(様々な意味で)稀有な美術館に惹かれていく自分がいる。
その理由が一体何なのか、自分の中で整理ができればと思っている。
そして、一学芸員としてのささやかな日誌ではあるけれども、日常のなかの「記憶」を「記録」として残すことで、そこに何らかの意味が生まれてくることを願っている。

【今日の入館者】28人(団体20人)
【新聞掲載記事】朝日新聞朝刊36面「沖縄戦語る重さ、今も」―丸木夫妻の「沖縄戦 読谷三部作」制作時の聞き取りの様子について
【書籍】訪ねてみよう 戦争を学ぶミュージアム/メモリアル([記憶と表現]研究会著 岩波ジュニア新書 2005.6.21発行)

○岩波書店から『戦争を学ぶミュージアム/メモリアル』が届く。しばらく前に佐倉の国立歴史民俗博物館の外来研究員のT氏が調査に来られていたが、丸木美術館の紹介記事を読んで、その内容と着眼点の鋭さに感動する。特に、丸木美術館が『原爆の図』を収めるミュージアムでありながら、単なる美術館ではなく、丸木夫妻の生活と表現活動が渾然一体になった雰囲気が残っている空間であること、そして、二人の魅力にひかれて多くの人が集まり、その中で自然に生まれていったのが『原爆の図』であって、その輪の中で人から人へと伝わっていったからこそ『原爆の図』は大きな影響力を持ち得たという指摘からは、丁寧な調査ぶりが感じられた。事務局長のNさんと「これはいい本だねぇ」と話す。高橋哲哉氏の序文や各章ごとのコラム記事など、本当にしっかりと作られた内容の深い書籍で、人に勧めたくなる一冊。

○友の会会員のHさんが来館。Hさんは企画展のたびに毎回観に来て下さっている熱心なリピーター。今回の「ホタルの里の展覧会」のミニ図録も買って下さった。いつも本当にありがたい。

○美術館ニュースの発行が近いので、一日じゅう編集作業。ニュースの表紙には丸木スマさんの『ピカのとき』を選んだ。被爆60年の8月6日を見据えた号なので、スマさんの「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」という言葉とともに紹介する予定。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ