2012/4/28

茨城県近代美術館「小川芋銭展」  他館企画など

東松山市の職員のKさんといっしょに、茨城県近代美術館で開催中の「小川芋銭展 ―震災後の眼で、いま―」を観に行きました。

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小川芋銭(1868-1938)は、茨城県南部の牛久沼の畔で暮らし、農村の風物や水辺の生き物を描いた画家です。特に河童を好んで描いたことで知られ、「河童の芋銭」という異名でも親しまれました。
また、幸徳秋水ら当時の社会運動家とも親交があり、『平民新聞』や後続紙の『直言』、『光』の挿絵を手がけるなど、自由思想・社会主義思想にも深く共鳴していました。
小川芋銭と大逆事件については、2010年4月20日付『毎日新聞』夕刊に、日本近現代美術史研究者の足立元さんが興味深い論考を書かれています。
http://dl.dropbox.com/u/980030/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%85%83%E3%80%8C%E5%A4%A7%E9%80%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%A8%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%80%8D%E3%80%8E%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%80%8F2010%E5%B9%B44%E6%9C%8820%E6%97%A5%E5%A4%95%E5%88%8A4%E9%9D%A2.pdf

そんな芋銭の絵を、丸木位里は次のように評価しています。

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 わしは日本画だから日本画のことをいうが、小川芋銭とか村上華岳というのが割合好きなんだ。ほかには好きなのいないね。むろん横山大観は大嫌いだしね。絵はまあうまくかいとるないう絵はあるがね、考え方のはっきりしたのは極端にいえば一人もいないんだよ。
 いまいう芋銭だ華岳だいうのは、割合に待遇を受けずにずっときておるし、だれもやらんようないわゆる自分の絵をかいた人だろうと思うね。


 (『閃きの芸術・流々人生 丸木位里・俊の遺言』p.61)

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自由闊達で飄々とした画風や、「芋を買う銭さえあればいい」という些事にとらわれない生き方は、二人の画家に共通しているような気がします。

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展覧会には、愛知県美術館の木村定三コレクションと茨城県近代美術館の二大コレクションを中心に、100点近い作品がならんでいました。

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「震災後の眼で、いま」という展覧会の副題は、関東大震災を体験した芋銭がその後に描いた、枝葉を失ってもなお生きる意思を持っている木を表した《寒根生意》などの作品を通じて、彼の自然観、人生観をあらためて今このときに感じ取る、という意図を込めているそうです。

会場を巡りながら目を惹かれたのは、やはり「河童百図」のシリーズなどの河童の絵でした。辺境の地で、世間の喧騒とは無縁に、自然に溶け込むように生きる異形の精。河童は、芋銭そのものの自画像のようにも思えます。
あるいは、国家という枠組みに取り込まれることのない、前近代的な存在としての河童に、芋銭は精神の根底にあるアナーキズムをひそませたのかも知れません。

ちなみに、位里の河童の絵は見たことはありませんが、芋銭と世代の近い位里の母・丸木スマ(1875-1956)の河童の絵は見事です。芋銭やスマの時代の人びとは、本当に河童とともに生き、同じ世界を観ていたのだということを、つくづく感じます。

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小川芋銭《水魅戯(すいみたわむる)》1923年、再興第10回日本美術院展出品

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こちらは、丸木スマ《河童》制作年不詳(1950年代)

河童とは、得体の知れない大きな力に飼いならされる以前の人間が持ち合わせていた精神の“野生”の象徴ではないかと、芋銭の絵を観ながらふと考えたのでした。
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