2012/4/13

『西日本新聞』“「原爆文学」以後 研究会次への議論”掲載  掲載雑誌・新聞

2012年4月12日、13日の『西日本新聞』に、“「原爆文学」以後 研究会 次への議論”と題する大矢和世記者の記事が2日間にわたって掲載されました。

昨年末に設立10年を記念して福岡で開催された原爆文学研究会のワークショップに参加したことは、丸木美術館学芸員日誌にも記しました。

http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1785.html

また、2012年3月発行の「原爆文学研究会会報」にも、ほとんど似たような内容ですが、報告記事を書かせて頂いています。

http://www.genbunken.net/kaihou/37.pdf

このときのワークショップには大矢記者も参加され、その様子を4月12日の「上」編で次のように詳しく報告しています。(以下、記事からの一部抜粋)

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■既存の構図

 被爆国の住人だからこそ、放射能について正確な知識があり冷静な判断ができるのか。原発事故が突き付けたのは「そうとは限らない」という現実だった。むしろ放射能にまつわる根拠のないうわさは、原爆による“見えない恐怖”の記憶が増幅させたようにも映る。ワークショップで、長野秀樹・長崎純心大教授は「白血病や被爆2世…原爆文学は『被ばく』への差別やステレオタイプ化に大きく貢献してきた」と“功罪”を指摘した。定型的な構図を覆す作品もあるが「量としては(ステレオタイプの方が)圧倒的」とする。
 原子力平和利用の名の下、1950年代から原発の建設推進が加速する一方、長く原爆文学=反核という文脈があったこともワークショップで話題に上った。文芸評論家黒子一夫さんは著書『原爆文学論』で〈どうしたら《反核》を意識の深層に植え付けることができるのか。(略)すぐれた《原爆文学》に接することは、その最も良い方法の一つである〉と記している。
 川口隆行・広島大准教授は、原爆文学=反核の図式に「直接的で違和感がある」としつつ、「(原子力の平和利用とされた)原発を、原爆と結び付けて考えようとした。反核としての文学が切り開いたものもあったのでは」と一定の評価をする。一方、中野和典・福岡大講師は、原文研が英米文学や映画、漫画なども対象にしてきたことを踏まえ「新しい表現を論じるのだから、論じる側もプロレタリア文学研究での視点のような“紋切り型”を抜け出さないといけない」と訴えた。原爆がステレオタイプ化し、イデオロギーと結び付きやすい題材であるだけに、既存の構図を揺さぶる視点を置き続ける原文研の立ち位置を強調した。

■海外の視点

 原文研の取り組みで近年顕著なのは、広島と長崎の原爆だけではない「被ばく」についての考察だ。ワークショップでは米国の先住民が多く住む地域のウラン鉱と、台湾の原子力関連の問題が報告された。このうち台湾について李文茹・淡江大助理教授(台湾)は、昨年「台湾被爆者の会」が結成されたばかりの台湾人被爆者の問題、日本企業が技術提供した原発、そして先住民族の島に建てられた放射性廃棄物貯蔵場に言及した。「台湾にとって原爆は、植民地支配からの解放を意味してきた。しかし被ばく者への想像力が足りなかったのでは」と李助理教授が話すと、東大大学院の中尾麻伊香さん(科学史)は「韓国でも原爆によって解放されたという視点があったと思う」。海外でも、日本の“平和利用”に通じるいびつさがうかがえた。


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時間の経過とともに、被爆者以外の人びとにとって記号化されていった「原爆」への認識が3.11以後ぐらついている、と指摘する大矢記者は、「原発や放射性廃棄物が中央ではなく、地方や先住民の居住地などへ追いやられるさま」、「「原子力の平和利用だ」と原発計画を進める意志に、どこか戦争被害や被支配を見返そうとする意趣返しが潜んでいるさま」が国境を越えて奇妙に符合しているとし、当事者と第三者との境界は無きに等しく、「誰もが“当事者”としての自覚が求められていると実感する。」と記しました。

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そんな状況の中で、「核」を身近に迫るものとして扱った作品も現れはじめています。
それらの表現に言及しているのが、4月13日の「下」編の記事。丸木美術館のChim↑Pom展についても、取材を受けました。

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■震災後の表現

 若手美術家集団「チン↑ポム」が昨年末、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で作品展を開いた。彼らはこれまで原爆をテーマにした作品を発表してきたが、手法で物議を醸すことも多い。同美術館の岡村幸宣学芸員は「もともと追体験や痛みに寄り添うこととは違う、リアリティーのなさから出発している表現」と説明する。
 だが今回の作品展は、メンバーが福島第1原発の作業員として働いたり、被災者と共に映像作品を作ったりしたことで「彼らの表現が大きく変わり、リアリティーが生まれた」とし、「依然、マスメディアでは『彼らを積極的には評価できない』という空気が占める中、多くの若者が作品展に訪れた。これは何なのかと、突きつけられている」と直面した問いを示した。
 震災後に出てきた表現については、対照的な意見があった。起きた事象から間を置かずに出たものが必ずしも優れているとは言えず「見るべきものはもっと遅れて出てくる」という声。一方、自らも低線量での被ばく者になっているかもしれないという自覚から「何か、伝わってくるものがある」とする擁護の声。双方にうなずける部分はある。ただ、身構えるにしても受け止めるにしても、同時代の「リアリティー」が発生していることは確かだ。作り手側にしてみても、今日に「核」を扱うということはリアリティーに端を発する着想の部分もあるだろう。このときに、留意すべき視点は何か。
 文芸評論家の陣野俊史さんは近著『世界史の中のフクシマ』でアナロジー(類推)の質に注意する必要がある〉と指摘する。〈大震災に遭遇し、今の状況を説明する参照枠が欲しくなったとき、人は必ず過去を振り返る〉と続けている。現に震災後「日本は戦後の廃墟から立ち上がった。震災でも被災地を必ず復興させる」といった、戦後と震災を重ねる風潮が表れた。
 この風潮に関連し、深津謙一郎・共立女子大准教授は、終戦から戦後復興期にかけて復興の“物語”が原爆の暴力性から目をそらし、復興にまい進するための「共感の共同体」として働いたことに着目する。震災でもまた、美談やスローガン的な言葉が飛び交ったことを「(放射能という)可視化できない不安を物語化することでやわらげ、揺らいだアイデンティティーを確認するための物語が取り巻いている」ととらえる。
 深津洵教授は、そうした風潮と一線を画す重要性を語り、「『絆』と盛んに言われているが、むしろ差異が強烈に表れている現状がある。(絆に)誰が入って誰が入っていないのか、差異に注目することが、(双方の)共存の可能性を探る足がかりになる」。「絆」という言葉だけが震災復興の「共感の共同体」になる危うさを指摘する。


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その後、大矢記者は、再び原爆文学の問題に戻り、当時の文学がなぜ「原爆」のステレオタイプ化の助長にも寄与してしまったかを考えます。
原爆症の兆候におびえる、あるいは無念のうちに生涯を終える被爆者像が普遍化していく過程で、マスメディアや多くの受け手が、半ばステレオタイプ的に“あるべき被爆者像”を描いてしまったのではないか。それでは被爆者たちの「差異」をなきものにし、一人一人の内面に渦巻いているあらゆる感情や困難を覆い隠してしまう。

このあたりは、3.11後の現在における、すべての表現を考える際に、非常に重要な問題だと思います。
Chim↑Pomの表現に多くの人びとが反応したのも、彼らが(表現形式の倫理的な問題はともあれ)既存の「ステレオタイプ」の表現から逸脱し、自分たちなりのリアリティを模索しようとしている姿勢が、心に響いたのかも知れません。

記事の最後は、次のように結ばれています。

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 日本で、今リアリティーを帯び始めた「核」を考える時、ステレオタイプの原爆文学ではなく、原文研が活動を通し、地域や国境、表現手法…絶えず揺さぶってきた広い意味での「原爆文学」の方に、重点を置く必要があるのではないか。
 これから生まれる震災後の表現もまた、とことん「差異に注目」して、作品として示すことも、ひとつの在り方なのかもしれない。無責任な言い方をしてしまえば“つくられるべき”作品などなく、どんな作品でも生まれていいと言える。まさに今も、さまざまな実作者が模索しているし、これからも格闘を続けるだろう。そしていずれ、「原爆文学」以後の作品が、原文研の研究対象に挙がる日も来るのだと思う。
 (大矢和世)


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