2012/3/16

銀座ニコンサロン「新井卓写真展」/ギャラリー志門「安藤栄作展」など  他館企画など

午前中に美術館でこのところたまっていた雑事を片付け、午後1時過ぎにNHKさいたま局のSキャスターと3月21日(水)に出演するFMラジオ番組の打ち合わせをしたあと、都内に出て銀座のギャラリーをまわりました。

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最初に訪れたのは、銀座ニコンサロンの新井卓写真展「Here and There ―明日の島」。

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新井卓さんは写真黎明期の技法ダゲレオタイプ(銀板写真)を用いて作品を撮り続けている写真家で、今年夏に丸木美術館でも個展を開催する予定です。
銀板を完全な鏡面に磨きあげ、直接カメラに入れて撮影し、水銀蒸気で現像するという手間のかかる手法から生まれる複製不可能な「記憶装置」としての写真。
今回の展示では、この1年のあいだに新井さんが福島の被災地などをまわりながら撮影した15点の作品が会場にならんでいました。

飯館村のヤマユリや南相馬の犬、ポニー牧場、池に飛来する白鳥、川内村の検問所、三春滝桜、飯館村から福島市に避難している母子、伊達市の仮設住宅前の男性など……

鏡面に映るやや不鮮明な風景を見ながら、情報としてすぐに消費されてしまうのではない、長期的な“記憶”と結びつく映像について考えさせられました。
撮影に時間がかかるというダゲレオタイプの短所とも思える特徴は、逆に、それぞれの場所のかけがえのない光や空気を鏡面に注ぎ、刻み込んでいるとも考えられ、今回のような忘れてはならない記憶を定着させる上で、とても大きな意味を持っているように感じます。

会場では、新井さんが1年間に記した『日誌「拾日録」より』が400円で販売されていて(60部限定)、この文章も非常に良かったです。
たとえば、2011年7月13日の日記。

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 震災から4ヶ月が経ち、東京や横浜の街々はぼんやりとした日常に戻りつつあるように見える。でも、本当はみな、分厚いアクリルの水槽に閉じこめられた魚たちのようにどこかうつろな目をしていて、熱く澱んだ空気の底で呼吸が苦しそうだ。
 忘れてはいけない、忘れたくない、と思っても結局私たちは忘れてしまう。それは生存本能の一つなのだからしようがない、では、広島やトリニティサイトに建てられた謎めいたモニュメントは、永く私たちの忘却をおしとどめてくれるだろうか?(フィンランドのオンカロ、プルトニウムの最終処分場にやがて建てられるであろう、奇妙なオベリスクも)
 必要とされるのは暗号でも神話でもない一個の肉体、ある光景が繰り広げられたまさにその場所で、その場所の光によって刻み目を受けた手負いの肉体そのものだ。傷口を永遠に向かって運ぶために求められる、不死の第五福竜丸。第五福竜丸のダゲレオタイプ。

 
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新井さんの作品は、3月14日発売の『ニューズウィーク』日本版(2012年3月21日号)でも4頁にわたって掲載されています。丸木美術館の個展もちょっとだけ紹介されています。

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続いて、ギャラリー志門の「安藤栄作 ドローイング&彫刻展」に足を運びました。

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安藤栄作さんは、福島県で活動されていた彫刻家で、2008年に埼玉県立近代美術館で「丸木スマ展」が開催されたときに、“世代を越えて共演”という趣旨で素晴らしい木彫作品を出品して下さったのです。しかし、昨年3月11日の大震災後の津波によってアトリエがすべて流され、現在は、奈良に移住して制作を続けています。

たまたま展示を見ているうちに安藤さんも会場に来られて、お元気そうな姿を見られたので良かったです。
さらに偶然、大学時代の恩師であるO先生が会場に来られて、こちらはかれこれ15年ぶりくらいでしょうか。思いもよらない場所での再会に、驚きつつも近況報告など話が弾みました。

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午後6時半からは、新宿ニコンサロンに移動して、シンポジウム「写真とことば―記録の先にあるもの」に参加しました。講師は作家の池澤夏樹さん、写真家の鷲尾和彦さん、新井卓さん。司会進行は写真批評家でニコンサロン選考委員の竹内万里子さんです。
池澤さんと鷲尾さんは、昨年9月に中央公論社から『春を恨んだりはしない―震災をめぐって考えたこと』を出版されており、今回、新宿ニコンサロンでは鷲尾さんの写真展も開催されているのです。
会場には、第五福竜丸展示館学芸員のYさん、Iさんも来られていました。

非常に興味深い内容のシンポジウムでしたが、とりわけ、「目に見えないものをどう撮るかが作家のオリジナリティの要素だと思う」という新井さんの発言を受けた池澤さんが、新井さんのダゲレオタイプ(銀板写真)について、「今の写真が追求している方向から見れば決して鮮明な画像ではないが、人がものを見るというのは心の奥と関わるもの。いろんなものをそぎ落として、自分にとって大切なものを拾い出す作業を、ダゲレオタイプはやってくれている。ものを見るというのはこういうことだと感じる」と語られていたことが深く印象に残りました。

司会の竹内さんがシンポジウムの冒頭に語られていたこと―「3.11以後、何かが決定的に変わったという言い方には違和感がある。そうではなくて、深く問われることになったのだと思う。その結果、引き続き深化される可能性もあり、変化する可能性もある」という言葉も、折に触れて思い出すことになりそうです。
大切なのは、竹内さんもおっしゃっていたように、「何かを見る、書くという行為を往還しながら考え、悩み、小さな声に耳を傾ける」ということなのでしょう。
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