2012/1/8

林光さんの訃報  その他

1月5日に作曲家の林光さんが亡くなられたそうです。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0107/TKY201201060748.html

林さんといえば、私は『第五福竜丸』や『裸の島』など新藤兼人監督の映画音楽を思い浮かべます。『原爆小景』などの林さんが作曲・編曲された数々の合唱曲も、林さんご自身が指揮するコンサートなどでたびたびお聴きしていました。
昨年、80歳のバースデーコンサートの直前に倒れられたという話を人づてに聞いて心配していたのですが、本当に残念に思います。

林さんの著作『私の戦後音楽史 楽士の席から』(平凡社、2004年)には、東京藝術大学在学時の《原爆の図》との興味深い接点が回想されています。
1952年秋の芸術祭(大学祭)に美術学部平和委員会が《原爆の図》展示を企画したことを聞きつけた林さんは、友人の間宮芳生氏、外山雄三氏、寺島尚彦氏の3人を誘って、絵の前で「原爆カンタータ」の作曲演奏を行ったそうです。
テクストは原民喜の『原爆小景』と峠三吉の『原爆詩集』から4篇の詩が選ばれ、峠の「序詩」を間宮氏が、原の「水ヲ下サイ」を寺島氏が、「碑銘」を外山氏が、「永遠のみどり」を林さんが担当して作曲したとのこと。
男声2パート、女声2パートに各2人ずつ、8人の歌い手を集めて絵の前で行われた演奏を、林さんは次のようにユーモラスに記されています。

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 はじめて接する『原爆の図』の凄惨な部分が思わず目にはいってドギマギして、その気持ちがおちつく間もなく、演奏をはじめなくてはならなかった。だれが指揮をしたのか、各自が自作を振ったわけではなかったと思う。外山と私が分担して指揮したのかもしれない。振りながらも、歌い手たちの立っているすきまの向うに、燃える腕だの絶叫する顔だのがチラチラ見えかくれする。歌い手たちは、反対側の、つまり指揮している私たちの背中の側の絵が、これまたいやでも目にはいっているらしい。
 たぶん、ひどいことになっているんだろうなあと思いながら、私たちは夢中で演奏し終った。
 さて反響がどうだったか、いっこうに思い出せない。思い出せるのは、『原爆の図』にかこまれての『原爆』カンタータの演奏、などというロマンチックな空想はみじんに打ちくだかれた、苦しい数分間であったということだけだ。
 名画にかこまれた貴族の館でひらかれるバロック室内楽の午後、なんていう、優雅な七〇年代の音楽雑誌のカラー口絵写真を見ると、この「原爆」カンタータ始末を思い出す。
 そして思う。その絵が、ほんとうに生きていて、私たちに語りかけてくるとき、そんなものたちにかこまれて音楽をのんきにやっているわけにはとてもいかないだろうと。


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もっとも、会場を訪れた声楽家の関鑑子氏は、演奏が終わると大粒の涙を流したそうです。
林さんはこの後も原爆を主題に取り組み続け、1959年には映画『第五福竜丸』(大映、新藤兼人監督)の音楽を担当、さらに1958年より合唱曲『原爆小景』を発表し、2001年に最終4楽章を完成させています。

林さんによれば、生前の丸木俊さんに当時の思い出を話したところ、「いつか東松山の丸木美術館で、『原爆の図』にかこまれて『原爆小景』を演奏してみたいですね」という声をかけられたそうです。
《原爆の図》の前で“再演”して頂く機会をとうとう逸してしまったことが、悔やまれてなりません。
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