2011/6/14

俊作品の修復調査と“謎の戦争画”  作品・資料

午後、いつも絵画の修復をお願いしている株式会社ディヴォートのOさんが来館。
今年度予算で承認された丸木俊作品の修復に向けて、作品の状態調査を行って下さいました。

もともと、今年は俊の油彩画3点修復という枠で予算を取っていたのですが、このところ俊の作品の寄贈が相次ぎ、そのなかには早めの処置が必要とされる状態のものもあったので、Oさんに相談した結果、寄贈作品から2点、従来の所蔵作品のうち絵具の損傷がひどい油彩画1点を修復することに決めました。

来年は丸木俊生誕100年を迎えるので、2月11日より丸木美術館で開催する記念展では、新たに修復された作品をご紹介したいと思っています。

   *   *   *

作品調査のあと、Oさんと雑談をしているなかで、作者不詳の油彩画《弾痕光華門外》についての興味深い話をお聞きしました。

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この油彩画は住友資料館の収蔵品で、1937年12月に日本軍が南京に攻め込んだ際、激戦の舞台になった光華門の陥落直後の風景を描いたものと思われます。
画面には、門内の隧道を馬を連れて歩く人影(Oさんの話では中国人)や、日の丸の旗なども見られます。城壁の生々しい弾痕や、門の上の謎の木札?(Oさんの話では日本人が建てた供養塔)なども印象に残ります。

Oさんによると、画面右下には「国四郎」と署名があるのですが、その隣には他の作者名を塗りつぶしたような痕跡が見られるそうです。
「国四郎」とは満谷国四郎を意味すると思われますが、満谷は1936年、南京攻略の前年に亡くなっているため、南京陥落後の絵を描くはずはありません。Oさんの言葉を借りれば、「後年の不届きと言っていい署名の書き直し」と思われます。
南京大虐殺が国際的な問題となったり、戦後に戦争記録画の責任が問われたりしたために、あるいは南京を描いた事実を隠すため署名を書き変えた、ということもあったのかも知れません。

南京光華門を描いた油彩画は、ほかに猪熊弦一郎や佐藤敬らが手がけているそうですが、いったい誰がこの《弾痕光華門外》を描いたのか、かならずしも戦意高揚の絵とは言えないもの悲しい雰囲気を感じることもあって、なかなか興味深いところです。

この作品については、「戦時下に描かれた絵画(2)―「弾痕光華門外」―」という研究発表がPDF版で公開されています。
Oさんの調査研究は、「戦時下に描かれた絵画(I)−女流画家・長谷川春子「少婦國を防ぐ」調査と周辺」も興味深い内容ですので、ぜひご覧下さい。

ちなみに、ディボートさんのHPのトップで紹介されている修復作業中の作品は、丸木スマの《ひまわり》です。
http://www.tokyoconservation.com/research.html
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