2011/3/23

目黒区美術館「原爆を視る1945-1970」展中止  館外展・関連企画

昨日は休館日でしたが、夕方に4月9日より5月29日まで目黒区美術館で開催予定だった「原爆を視る1945-1970」展が急遽中止になったとの連絡が入りました。
予定では、本日朝一番に丸木美術館から《原爆の図》などが集荷されるはずだったのですが、その直前でまさか中止になるとは、にわかに信じられない思いでした。

その理由として、「イメージ的に、この度の大惨事や福島原発の事故と重なる部分がある」ために被災者の方々の気持ちを逆なですることにならないか、また、展覧会自体を忌避される方がいるのではないかという点が挙げられたそうです。
今回の「原爆を視る」展は、絵画、彫刻、建築、写真、グラフィックデザイン、漫画など500点に及ぶ作品によって、表現者たちが“原爆”という未曽有の出来事から何を感じ、どのように想像力を広げていったのかを歴史的に問い直すという、非常に重要な意味を持つ展覧会でした。
丸木美術館としても企画の立ち上げ段階から協力し、準備を進めてきただけに、本当に残念でなりません。

刊行されるはずだった図録には、これまで丸木夫妻が手がけてきた《原爆の図》15部連作をはじめ、国内各地に残されている《原爆の図》と題する丸木夫妻の共同制作のすべての画像を集め、そのほかに、「原爆の図のためのデッサン」を約100点、丸木俊、丸木スマの原爆を題材にした絵画作品、丸木位里が撮影した被爆直後の広島の焼け跡の写真、さらに、これまで刊行されたすべての『原爆の図』画集のデータを収録する予定でした。
また、ここ数年調査が進んだ1950年代前半、とりわけ米軍占領下の時代の「原爆の図」全国巡回展の動向を、当時展覧会を担った方やご覧になった方々の証言をもとに、全国の図書館の協力を得て、可能な限り掘り起こした資料も掲載する予定でした。
今後、世代を超えて《原爆の図》を継承していくための非常に貴重なデータベースになるはずだったのです。
「ようやく、あのときのことを話せるときがきた」と、60年前の記憶を鮮明に語って下さった多くの方の情熱が形になって社会に出る機会が失われたことを思うと、やり場のない口惜しさがこみ上げてきます。

   *   *   *

5月5日(木/祝)の丸木美術館開館記念日には、展覧会を企画された目黒区美術館の正木基学芸員をお迎えして、「『原爆を視る』展を考える」と題する講演が行われる予定でした。
今回、目黒区美術館の展覧会は中止となりましたが、5月5日には予定通り正木学芸員をお迎えして、「原爆を視る」展の内容を語って下さることになっています。
中止を余儀なくされた“幻の原爆展”がどのようなものだったのか。
ぜひ多くの方に、丸木美術館で確かめていただきたいと思っています。

(追記3/24)
2011年3月24日付の『中国新聞』朝刊に“東京の原爆美術展中止”との記事が掲載されています。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201103240075.html

以下は、原爆展中止に至る経緯と、関係者の反応を記事より一部抜粋。
中止決定に際しては、「被爆からどう復興してきたかを知る意味でも意義は大きい」という館長の意見が通らなかったようです。

 田中晴久館長によると、事故を受けて財団で対応を協議。財団理事でもある館長は「被爆からどう復興してきたかを知る意味でも意義は大きい」と開催を主張した。これに対し、他の理事からは「放射能汚染に敏感になっており、鑑賞に来る気になるのか」という意見が多く、この日の理事会で正式に中止を決めた。
 東京都原爆被害者団体協議会(東友会)の飯田マリ子会長(79)は「放射能の恐ろしさを考える機会として、今こそ意義も反響も大きいはず」と疑問を示す。
 洋画家福井芳郎が残した被爆直後のスケッチなど、資料70点余りを貸し出す予定だった原爆資料館(広島市中区)の杉浦信人副館長は「企画書によると大変充実した内容で、期待していた。時期をずらしてでも開催してほしい」と残念がった。
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