2011/3/16

大木茂写真集『汽罐車』  その他

東武東上線が運行していないので、とりあえず今日は自宅待機。
自宅も朝から「計画停電」があり、窓から差し込む朝日で静かに写真集を観ることにしました。

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3月3日に刊行されたばかりの大木茂写真集『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶 1963-72』(新宿書房)です。

大木茂さんは、映画のスチール写真や鉄道写真を撮影するカメラマンとして活躍されています。
近年では『北の零年』や『憑神』、『剱岳 点の記』などの映画の仕事を手がけているとのこと。
その大木さんが、若かりし頃、日本列島を縦横に旅しながら撮影した蒸気機関車の写真を集めた豪華写真集を刊行されたのです。

モノクロームの世界を駆け抜ける力強い蒸気機関車の姿。
そして今、沁みるように心に響くのは、鉄道を通して見えてくる、この列島の津々浦々に生きる人々の暮らしのぬくもりです。

実は、大木さんは、ボランティアで丸木美術館所蔵作品の撮影を請け負って下さっています。
経済的にゆとりのない丸木美術館にとっては、プロのカメラマンに作品写真を撮影していただけるのは、本当にありがたいことなのです。
その大木さんの原点が、こうした鉄道写真にひそんでいると思うと、なおのこと、頁をめくりながら胸が熱くなります。

 蒸気機関車とは考えてみるとなんとも不思議なものだ。本来効率を考えるなら垂直に設置するボイラーを横倒しにして車輪をつけて走らせてしまう。ずいぶんと無理をしてでき上がった機会なのだが、汗と涙と時には血を流して先人たちは苦労し工夫し使いこなしてきた。手間がかかるだけに注がれたものは大きく「人間に一番近い機械」とも言われ、鉄道の魅力の中心にいたのはたしかだ。
 しかし、非効率的な機械は淘汰されていった。無駄を省き安く大量に生産され、大量に消費される社会が生まれてきた。求められるのは目先が利き上手く立ち回れる人々だ。
 駆逐されたのはなにも蒸気機関車だけではなかった。愚直ではあるが真面目に生きてきた人々も、生活も、進歩効率化の名の下に箒で掃き捨てるように片隅に追いやられてしまった。僕にとっての蒸気機関車とは、使い捨て物質文明に潰されてしまった人々の優しい心根へのオマージュではないかと、今は考えている。

 (筆者「カメラと寝袋と機関車」より)

蒸気機関車のまわりで、走り、遊び、笑顔を見せる子どもたちの姿も、とてもまぶしく映ります。
原発事故の放射能汚染を危ぶみ「子どもを外で遊ばせてはいけない」と警告される現在。
そんな社会を生みだしてしまった大人の責任は重い、と思います。
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