2010/12/8

高橋五山と教育紙芝居研究  来客・取材

以前、この日誌で、高橋五山と赤松俊子の紙芝居『おとなりさん』を紹介しました。
http://fine.ap.teacup.com/maruki-g/1312.html

本日、その高橋五山のご遺族の方から日誌にコメントをいただき、すぐに返信したところ、さっそく丸木美術館を訪れて下さいました。

高橋五山は1888年京都生まれ。本名は昇太郎といいます。
京都市立美術学校卒業後、東京美術学校図案科に進学。卒業後は幼年雑誌の編集に携わり、1931年に自ら全甲社という出版社を立ち上げます。
紙芝居の刊行をはじめたのは1935年のこと。街頭紙芝居の演じ手と聞き手の人間的な結びつきや、その場にいる皆で参加できる楽しさに着目しつつ、教育性や芸術性を盛り込んだ新しい教育紙芝居を発案しました。
当時、紙芝居は品のないもの、教育的でないものという偏見がありましたが、五山の手がけた新しい紙芝居は次第に教育の現場に普及していきました。
絵本に親しむことができたのは一部の裕福な家庭の子どもだけだったという時代に、紙芝居によって外国の童話に出会うことは、多くの子どもたちにとって新鮮な喜びだったことでしょう。
1938年には、英国の絵本ピーターラビットを翻訳した紙芝居『ピーター兎』を刊行しています。
これは日本語の書籍として最初に刊行されたことで知られる『世界新名作童話 ぴーたーうさぎのぼうけん』(光吉夏弥訳、1956年、光文社)をはるかに先がけるものでした。
生涯をかけて教育紙芝居の普及に尽力した五山の功績は大きく、現在はその名を冠した「高橋五山賞」も作られているほどです。

しかし、五山のご遺族の方のお話によれば、紙芝居という分野の研究は、これまでほとんどなされていないとのこと。
児童文学や絵本については数多くの研究者がいるにも関わらず、紙芝居は消耗品という偏見があるのか、研究の対象となっていないというのです。
たしかに、絵本を専門に収集している図書館や美術館は存在しますが、紙芝居を体系的に収集している施設は聞いたことがありません。
赤松俊子やいわさきちひろのように、絵本の世界で大きな業績を残している画家も、紙芝居の仕事を手がけています。
けれども、これまでの資料を見ても、紙芝居の仕事はまるで存在しなかったかのように、記録から抜け落ちているのです。

ご遺族の方は、五山の興した全甲社を再度立ち上げ、紙芝居の復刻に着手しつつ、五山の教育紙芝居の研究にも努められているそうです。
http://zenkosha.com/index.php?FrontPage

俊が手がけた紙芝居について、きちんと調査をしなくてはいけないという思いは前々から持っていたので、教育紙芝居研究の話は、私にとっても非常に興味深いものでした。
紙芝居の研究が進めば、あるいは、現在知られている絵本作家についても、また違った側面が見えてくるかもしれません。
ご遺族の方の熱意に感動しつつ、今後も注目し、応援していきたいと思いました。
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