2010/11/14

1952年原爆の図銚子展の証言  1950年代原爆の図展調査

午前中、かつて千葉県銚子市で原爆の図展を企画したというKさんが来館されました。
Kさんは早稲田大学在学時の1952年に、同じ銚子市から早稲田大学に進学したYさんとともに、市の公民館を借りて原爆の図の展覧会を行ったという体験をお持ちの方で、当時の証言をして下さいました。

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展覧会開催当時(1952年7月12日)の会場写真です。
最前列左から、Kさん、濱田善秀、赤松俊子(丸木俊)、Yさん。
濱田善秀とは当時丸木夫妻のアトリエに出入りしていた画家で、《原爆の図》の模写/再制作版を手伝った方です。
Kさんは市長にお願いして消防署の広報車を借り、市内から周辺市町までくまなく宣伝をしてまわったことや、俊といっしょに会場へ向かう途中、女学生と話しているような若く明るい話しぶりに胸が高鳴ったことなど、さまざまな思い出を話して下さいました。

また、利根川畔のアグリ船(イワシ漁船)を描いた俊のスケッチのコピーも見せてくださいました。

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Kさんによれば、展覧会そのものは友人のYさんが企画されたとのことで、詳しい状況はYさんに聞いて欲しいとのことでしたが、実はそのYさんからも以前にお手紙を頂いていました。

Yさんの手紙には、1952年5月に教育大学在学中の友人により大学際に招かれ、《原爆の図》の展示を見たことから、「この事実を銚子の市民に報らせなければと一途に思い立ち、その場で担当者に申入れ」たと記されていました。会期は1952年7月11日から3日間。4,000人を超える入場者となり、同じ年の冬に開催された大山郁夫講演会の影響も重なって、1953年には「銚子平和を守る会が超党派で結成され、原水爆禁止市民大会が開催されるなど、以後、銚子の平和と民主主義擁護運動の原動力となった」とのことです。

1952年7月といえば、先日証言をお聞きしたばかりの都立大学生による原爆の図巡回展と同じ時期です。
その前の6月には、愛知大学の学生主催による「原爆の図展」が岡崎でも行われています。
作曲家の林光さんが、東京藝術大学の藝術祭で展示された《原爆の図》の前で「原爆カンタータ」を作曲・演奏したと証言しているのも、この年の秋のことです(東京藝術大学に問い合わせたところ、展示されたという確かな記録はないが、藝術祭の日程は11月21日から23日とのこと)。

サンフランシスコ講話条約発効(1952年4月)後のこの時期、各地で大学生主導による「原爆の図展」が盛んに行われていたことを、あらためて考えさせられます。

   *   *   *

午後には、《原爆の図》研究で知られる近現代史研究者のKさんが、早稲田大学の学生数名を連れて来館して下さいました。

美術館の館内は、少しずつ冷え込む時期になっています。
これから冬にかけてご来館されるかたは、くれぐれも温かい服装でおいでください。
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