昨日、原発事故の調査委員会が100年後の評価にも耐えられるようにと立ち上がったけれど、委員長の畑村洋太郎氏は、日立製作所のOBでもあるという、、 大丈夫なのか?
原子炉を冷やす以外にもベント等の全ての作業は電源がないと出来ない状態だったという、、 報道を見ている私達は(どうしてベントを早くしないのかな)と思っていたけれど、電源の失われた現場では、懐中電灯の明かりの中、設計図を持ち出して手作業で一から考えたとか(NHK特集より)、、
「長期的に電源が失われる事を考える必要はない」 この原子力安全委員会の指針が事故の一番の問題だったんだろうな〜
事故の際の住民非難の要となるオフサイトセンターも停電の為に100%機能しなかったとか、、 非常時には電源がなくなることは充分考えられる。 ホテルや住宅にある非常灯は非常時の為の懐中電灯。 国の非常時の対策に電源が失われる事を考えなかったとは、、 オフサイトセンターが原発から3キロ地点にあることも、これは実務的ではなくて知事のパフォーマンスではないのか、、と誰かが言っていた、、
原発反対とか、自然エネルギーが機動に乗るまで仕方ないとか、そういうことではなくて、現時点での安全を考えなくてはいけないのに、何だか他人事と思ってしまうよね、、
さて、「長期的な電源喪失を考えなくてよい」 これは、どこから出てきたのだろう、、とまたまた不思議に思った。 3月11日からの新聞を読み返して、どうもこれは建設当時の設計からでたものらしい、、 アメリカのゼネラル・エレクトリック社の設計を東芝と日立が買い受け、そのまま作った福島第一。 その辺りの詳細まで日立OBの畑村氏は追求してくれるのだろうか、、
又、もうひとつ問題があると思う。 これまで東電の中にも、津波、非常用の電源を建屋の中に置く等、対策を講じる声はあったらしい、、 それを実行するとなると大変な手続が必要であり、建設当時の対策を否定する事になる。 これと似たようなこと、色々な場面で聞くような気がする。 良いと思うことを実行するのに手続きが山のようにあること。 こういう仕組みを考え直さないと、なかなか前には進まないのではないかな。
レッスンに来る小学生の坊やが、いつも持ってくる色々なものを輪切りにした図が描いてある本。 彼はその本が大好きで、レッスンで待っている間、それを写し描いている。 そういえば、長男はいつも図鑑を眺めていて、マグロの回遊等の絵をよく描いていた。 好きであれば「どうして?」という疑問、「知りたいから調べてみよう」という向学心が生まれる。 大変な困難を前にしても安全を考えなくては、、という意思も貫けると思う。 ただ成績が良いだけの高学歴者では、これからの大変な日本の舵がとれるのかと疑問に思う。 子供達の能力、実行力を育てること、今の私達に出来る重要なことのひとつ。