遥か昔のこと、、信州大学付属小学校の抽選で外れてしまった私は、松本市立旭町小学校に入学しました。 その年、新任と伺いましたが、、汲田甫先生。 子供心に「良い先生だな〜」と思ったものでした。 低学年ということもあり、又、自然が豊かということもあって、何の授業だったのか、、 よくみんなで散歩を致しました。
小学校3年生からは東京の学校に転校、、 クラスのみんなが松本城の絵を描いて送ってくれたり、送別会をしてくれたり、、(昔のこと、よく覚えているものだわ) その先生、奥様も先生と伺いましたが、私の誕生日には家に来て下さったな〜 「あの子だけ特別扱いしている」とか、そんな風に言われることもなく、先生が思う通り力を発揮できた時代だったのかもしれません。
私の両親とも、よく話をしていて、風の便りに、お子様が私と同じ教室でピアノを習われているとか、、 一度、松本で、先生親子をお見かけしたような気がしたのですが、私も今のように積極的でなくて、声をかけることを躊躇してしまって、、
そんな先生と、いつかお会いしたいと思いつつ、、 ずっと年賀状はお出ししていたのですが、、 ある年、先生が亡くなられた、、と、返信がきました。 その時、すぐに伺えばよかったものを、まだ子供に手がかかって動けない時でしたので、そのままにしてしまいました。
最近・・というか、もう5〜6年の間、そのことが気がかりで、、 ご住所だけは暗記している程なのですが、手紙は返ってきてしまうし、、
人生で3つの大きな後悔、、そのひとつが、このことです。 もっと早くにお尋ねしていればよかったな、、 もっとも、こんなことを思うようになったのは、私も歳をとった、、ということかもしれませんが、、 笑)
高校1年の頃まで、私が「小学校の先生になりたい」と思っていたのは、この先生の影響です。 小さい子供にとって、先生の影響は大ですね、、 一言にも、小さな行動にも、ちょっと気をつけなければ、、と、先生を思い出しながら考える昨今です。
↑ 私の送別会をして下さった時の写真。 ここに書き込めば、ひょっとして、先生を知る方が現れて下さるかも、、と、微かな期待を込めて、、