日本を代表するシェーパーで、世界でもその名を知られる“YU”!
ロペスとの出会いから、シェーパーとして、また、サーフボードメーカーとしての考え方を、懐かし〜い昔話を交えながら対談いたしました!!
全三回に分けてお送りいたします☆
吉川(以下Y): よろしくお願いいたしまぁす。
植田さん: どぉも〜。
Y: まずは、ジェリー・ロペスさんとの出会いから。
植田さん: まずは、サーファーマガジンでのロペス。そして、出会いはマーボーが日本によんだ時かな。
Y: はい。
植田さん: そんな時、ジェリーが来て。当時、マーボーの奥さんのマリコさんの板を、シェイプして。マリコさんは全日本チャンピオンだったんだ。
Y: はい。
植田さん: マリコさんを負かせる女の子は誰もいなかった。
Y: はい、いなかったですね。
植田さん: だから、何年もチャンピオンだったんですけども、そのマリコさんの板を、ジェリーが「作ってあげるよ〜」みたいな話で、「わぁ〜!ジェリーが削るんだぁ〜!」と思って、私はワクワクしてそれを見てて。
Y: はい。
植田さん: みんなお昼だから出てっちゃったんですよ、工場の人達は。
Y: えぇえぇ。
植田さん: その頃、いつも、近場の定食屋にお昼に出かけて行くスタイルだったんですよ。
Y: それ、何かの雑誌で読んだ!何かのインタビューで。
植田さん: そそ。その時、私は、あの頃お昼を抜くのって、若くて辛かったんだけど、「後んなって食ってもいいや」と思って、こぉれは見てなきゃ!と思って。だってジェリーが休み時間、僕達のお昼の時を使って削るってなったから、「そぉれ見てなきゃ!」と思ってさ。
Y: えぇ。
植田さん: それ、見てたんですけどね。だから当時、まだスキルのプレーナーが日本に無い頃。大きいマキタのプレーナーと、日立の小っちゃいのと、二つ使って。テンプレートも自分のが無いし、ほぼフリーハンドで書きながら。ドンドンそこに到達していくっていうのを、ジェリーの削ってるのを見てて。ジェリーも実は、その時の事は覚えてるんですよ。
Y: へぇぇ〜。
植田さん: その時が、二人で過ごした初めての時間だったんです。
Y: はい、はい。
植田さん: その後結局、マーボーのところからライトニングボルト・ジャパンという形に変わって、そのまま私が付き合い上受ける形で、お付き合いがそのまんま。
Y: そぉするとあれですか?先生とは、35年ぐらいの付き合いですか?
植田さん: そぉですねぇ〜。
Y: ぐらいですよね。
植田さん: そぉ〜かもしんない。違う違う、今私が54だから、19歳ぐらいの時から。。。
Y: そぉすると。
植田さん: そぉだよねぇ、35年は経つのかぁ〜。
Y: そぉですよね。初めてロペス先生にパッと会った時の第一印象。植田さんはどぉだったんですか?僕はぁ、ここで最初に会って握手した時はぁ、「も!手洗わんとこ!」と思ったけど(笑)。
植田さん: それはすでに、パイプラインの映画でしか観れてない。その時点では超〜有名だったから。
Y: もぉ、今のケリースレーターじゃないけど、スターだったわけじゃないですか。
植田さん: そぉですねぇ。そりゃぁもぉ、居るだけでドキドキですよぉ〜。
Y: そぉですよねぇ。
植田さん: そりゃずっと続きますよ、そのドキドキは。
Y: そぉですよねぇ?
植田さん: それはねぇ、ジェリーがもぉ普通に、全然慣れてきて、私のこと普通に「ヨシ」って呼んでくれる時でも、ドキドキしてましたよぉ〜!(笑)
Y: グハハハハハ♪植田さん、だってあれでしょ?ファンでしょ?俗に言うと。
植田さん: そりゃぁそぉですよー!
Y: 今すごい親交があるにしてもぉ。
植田さん: そりゃぁ、もちろん、ある意味わかりやすく言えば、ファンから始まり、近くでジェリーさんのホントのライフスタイルそのものを見させて頂いた上で、また言わせてもらえば、知れば知るほどに、「素晴らしい人だ」という意味では、単なるファンという領域を超えましたね。こぉいう人は、出会いたくてもそう出会えない人だな、と。
Y: えぇえぇ。
植田さん: 知れば知るほどに、いつも感じさせて頂いております。
Y: そぉですかぁ、なるほど。
植田さん: こないだも、ハワイでちょっと一緒に過ごしましたけども、優しかったですもん、また相変わらず。
Y: はい。
植田さん: 「大好き♪ジェリー」って、そぉいう感じ。
Y: ねぇ〜。
植田さん: 優しいんだもん、もぉホォントに。
Y: じゃぁ、僕からの質問!質問ですけど、ボルトの時代にも、シェイパーは他の方もみえたじゃないですか?まぁ、あえて名前は言いませんけども、僕知ってるだけでも、植田さん以外でも4人ぐらいみえましたよ、あの時代。でぇ、じゃぁロペスさんはぁ、最終的にどぉして植田さんにぃ、自分のマークを使って、板を?
植田さん: いやいや、ライトニングボルトの最後の頃は、私が日本のヘッドシェイパーで、ジェリーとも何度かシェイプルームでも時間を過ごしてましたし。単なる僕が、ポジション的に。
Y: はい。
植田さん: あの頃、ジェリーがライトニングボルトを去った後で、ロペスのサインのみのロゴだった時です。丸いロゴがまだ入ってない時。
Y: あぁ、筆記体の文字だけの!
植田さん: その時に、マウイへ行って、ロペスサーフボードとしての相談をしたんです。そしてジェリーが、「ずっとライトニングボルトをやってて、それを任せてきてるのだから。」って、私にLopezサーフボードを作らせてくれてた訳ですよ。ライトニングボルトの関係の延長として始まった、ということです。
Y: そぉなんですね。いや、他の人達もいたのに、僕はぁ、単純に外から見てて、どぉしてこぉYUと、そぉなったんだろぉなぁ?っていうのが。
植田さん: マウイに「来い、来い!」って言ってくれて。
Y: 他の人も、ボルトの板削ってたじゃないですか、あの時。
植田さん: 日本では、私がヘッドでやっていましたから。だからそれこそ、マウイ行ったの、覚えてますけど、こないだライフに出てた、黒いトランクスでライトニングボルトチームと一緒に撮った写真集の紹介で。
Y: えぇえぇ。
植田さん: 写真集が、何か出たじゃない。あの中になんか、入ってる写真。あの年よ。あの年、マウイへ行って、ジェリーに会って、その話決めてきたの。だからまだ、ライトニングボルトだったの。ライトニングボルトの板を削ってた。そぉそぉ、今でも覚えがある、マイク・フーの家を借りてティーム・ボルトで居て、で、私の誕生日。12月17日が私の誕生日で、だからボルトチームで誕生日やってくれるっていうんで、ボビー・オーエンスなんかも来てくれて、みんなで私を待っててくれたのに、マウイから飛んでくる便がちょっと遅くなって、あんまり遅くなっちゃって、結局最終便になっちゃったから、結局みんな待ちきれなくて、ボビー・オーエンスが帰っちゃった、みたいになっちゃって。「それは悪いことしたな。。。」みたいのがありました。覚えてますねぇ〜。
Y: それじゃぁ、やっぱりあれですか。シェイパーとしてはぁ、ジェリーさんのシェイピングにぃ、やっぱり一番影響されたんですか?例えば、YUがこぉ、そのぉ、マーさんがボルトをやめた後に、皆さん独立されたじゃないですか。で、ここにもリンデンだとか、マック・クリスタルとか色んなシェイパーが来たり、サイモンもそぉだけどぉ、そぉいう中でぇ、やっぱり当然、削った人のシェイピングした板とか、見るわけじゃないですか?
植田さん: はい。
Y: ちょっとずつ、料理方法がみんな違うはずだからぁ。それでもやっぱり、流れとしては。
植田さん: だってほら、さっき、「全てがノースショアで評価される時代だったんですよ」って言ったでしょ?
Y: はい。
植田さん: で、その時は私にとって若くて一番、気持ち的にも何て言うんでしょ。色んな体験を、自分のモノにしていきたい時だったし。やっぱり自分自身もノースショアは欠かせないとこだと思って行ってたし。
Y: はい。
植田さん: それと同時に、自分が乗る板も含め、そしてティームのガンも沢山削ったんですよ。
Y: はい。
植田さん:言うならば、ガン。削るのが好きだったですし、いわゆるそぉいうルーツの発端に、やっぱりジェリーはいるじゃないですか。
Y: うん。
植田さん: で、それはもちろん、ブリューワーの流派がジェリーに流れていますし。
Y: はい。
植田さん: そして私はマーボーの家に居る時に、リノ・ハワイも手がけてるんですよ。マーボーがほら、リノ・ハワイってやってたでしょ?マーク・リチャーズの。
Y: えぇえぇ。
植田さん: あの時に、マーボーがリノ・ハワイを始めるから、ハワイ行ってちょっとリノから教わって、リノ・ハワイのそれ削れるよぉになってどぉのこぉのって、まぁ、ラッキー☆みたいな調子で。ある夏、ハワイへ行って、それでリノ・アベリラに会って。ノースショアのシェイピングルームの中に入って、二日間ぐらい何時間も、結構神経質なシェイプでさぁ、それをずっと張り付いて見せてもらったりして、リノが言う、自分のポリシーはあぁいう感じだ、こぉいう感じだっていうことも、色々聞いたり、あとやってるとこ見て。だから、ジェリーのも見てれば、リノのも見てるわけ。でも、二人ともブリューワーからの枝葉なわけですよ。
Y: うーん。
植田さん: なんだけど、二人とも全然シェイプも違うわけ。好きな、削る板も。それは、サーフィンスタイルによって、形が違うわけなんですよね。
Y: はい。
植田さん: で、こぉいう事をもぉ、私はあの時代の現場の生を、だからホントに、ものすごい環境を、今思えばね。チャンスを、ジェリーもくれたし、また、マーボーの家であぁやって、やってた事によって、リノからも学べたし。まぁ、貴重な時間をもらえました。
Y: はい。
植田さん: 見ることも出来たし、教わることも出来たし。当時の、70年代のどんどん、ショートボード進化が始まった時を、ある意味ライブで、最も濃い部分を知ることができました。
Y: はい。
植田さん: で同時に、節目節目でそぉいう、名の在る人達とセッションというか、習うこと、見ること、っていう。
Y: まぁ、ラッキーというか、縁が良かったというかですねぇ。
植田さん: そぉですね、それがずぅっとそのまんま。ジェリーはいつも良くしてくれますし。
Y: お兄さんみたいな人ですね?違った見方をすると。ジェリーさんの方がちょっと上だからね。
植田さん: えぇ。
Y: はぁ〜、いいっすねぇ。ハハハ?いいよねぇ?だって、板削る側だとすると、そぉ思うでしょ?
植田さん: そりゃぁそりゃぁ、ジェリーさんのお陰で数々の、素晴らしい、歴史上なかなか会えない人達と、普通〜に私はお会いできてますから。
Y: えぇ〜。
植田さん: 例えば、クラークフォームのゴードン・クラークをはじめ、クラークフォームに型を削る、チャンスもあったり。
Y: だって、植田さんだけでしょ?あれ、あるの、多分。僕が知ってる限りでは、ないはずですけどぉ。
植田さん: そぉですね。あれもやらせてくれたし。あの時はグラビーのところに行って、泊まって、ホビーの工場使って削って、それを型にして。で、それをやってる時に、それこそ、ジェフ・ハックマンが迎えに来て、ジェフ・ハックマンと、グラービーとジェリーと、四人でトラッスルズで、サーフィンした思い出とか。うん、そぉいう意味ではだから、「濃いぃ〜」なんてもんじゃないですよ。
Y: すごいねぇ〜。
植田さん: G-LANDからバリに戻った時も、「ディナー行くよ〜」みたいな感じで。「ちょっと友達待たせてるから」って、友達誰かな?と思えば、テリフィッツ・ジェラルド。
Y: あぁ〜!
植田さん: 今の、カイフィッツ・ジェラルドとか息子達なんてのは、まだ小さい子供だった頃。あと、ジェフ・クラッフードのファミリーとか。あと、マーク・ウォーレン。
Y: あぁー!
植田さん: マーク・ウォーレンとか、そぉいう何か、また普段、別のコネクションでしか会えないような、そのオージーの人達とも、そぉいうテーブルを一緒に囲んで。でそういうとこでも紹介されて、「日本から来たシェイパーのヨシだ」とかって言ってくれて。こぉ、褒めた言葉も付け加えて紹介してくれたりするから、そぉするとまた、次会う時も「あ、ジェリーと一緒にいたヨシだ」ってことになって、みんなも良くしてくれるし。
Y: はい。
植田さん: そぉいう意味では、本っ当〜に、ジェリーさんにはね、私は全てお世話になってます。「ジェりーさんあってこその、YUあり」、という。
Y: そぉですね。ありがとうございます。あとですね、ライダーについて。僕は、植田さんと知り合って、もぉ20〜そぉだなぁ、もぉ25年近くなるんですけど、実は。なんだかんだ言って。
植田さん: はい。
Y: 干支が二回りぐらい経っちゃったんですけどぉ、いいライダーが多いんですよ。YUの板とか乗ってきた人達は。
植田さん: いやぁ〜、そぉですかねぇ?ありがとうございます。
Y: いや、人間性は知りませんよ。でもぉ、技術的なところで見るとぉ、みんなだって、ランキングに入るよぉな、まぁ特に、日本人で見たとしてもぉ。
植田さん: まぁ数々の、そりゃあれですよ。選手をあげたらキリがないですよ。それこそ、ライトニングボルトの時からですから、渡辺フミヨシとかね、あの時は浜松の斉藤もそぉだし。千葉公平さんだってそぉだしね。
Y: 植田さんの板に乗ってきた人っていうのはぁ、プロサーファーになる人は一杯いる中でもぉ、ベスト10っていうか、極端に言うと、片手に入った人が結構いるからぁ。
植田さん: まぁ、そぉですねぇ。
Y: それはあれですか?あんまり雑誌では言ってないだろぉけど、声をかけるんですか?向こうから来るんですか?
植田さん: あんまり声をかけるのも。まぁ、出会いですよねぇ〜。
Y: 結局は?
植田さん: 結局は。あまり声かけて云々っていうことは、そんなにないですね。
Y: 例えば、分かんないけど、古い話ではぁ、サトシいるじゃないですか?
植田さん: えぇ。
Y: サトシ、イガグリ頭の頃から知ってるけど、昔はだってあいつ、モス乗ってましたよ。
植田さん: モス、乗ってた。
Y: でぇ、YUの板乗るようになってから、イキナリまた、変わったもん!
植田さん: そそ、違うの。彼らはモス乗ってて、それで〜、何しろオーストラリアへ行ったんですよ、一年間。
Y: えぇ、行きました。
植田さん: その前だったかなぁ、その前にも作ってあげたりしただかで。いや、あの頃もぉ、生意気で、「よく外人とか、色んなシェイパーの板乗ったりすんしぃ〜」みたいな、そんなノリで。
Y: えぇえぇ、えぇえぇ。
植田さん: だから、そぉいうこともやりたいって、私のところに頼んできて、「試した方がイィでしょ、一応これもぉ〜」って、生意気なガキだったから!ハハハハハ。あの、ミツノブと二人で。作ってあげたら、「まぁまぁだねぇ〜!」って。
Y: そぉそぉそぉそぉ!(笑)
植田さん: 「まぁま、イケてんでしょー」みたいに。そいで、作ってあげたトライフィン、まだあの頃、トライフィンの始まりの頃だよね。それこそね、フーに作ってあげたり、意外とトライフィンの印象が、多分あったと思うんだよね。だから彼ら、私のトライフィン、ちょっと乗ってみたいと思ったんですよ。それで、そのトライフィン作ってあげたら、それでプロクラスのトライアルを。
Y: えぇ。
植田さん: ダントツでパスしたの。それで、オーストラリア行ったのかな。
Y: はい。
植田さん: その、作ってたフォーチャンネルかなんかの。それで、帰って来たら、「ま、軽くスポンサーの話とか、してもイィしぃ〜」みたいな事を言って、また生意気なことを〜、みたいな(笑)。
Y: ワハハハ!なるほどねぇ!いや、だって、板がダメだと技術も全部、生きないと思うからぁ〜。
植田さん: まぁ、それは私もよく言ってますよ。やっぱり、“武士の刀”に当たりますから。ねぇ、それは、大切なものですから。変な話、「どんなお金くれたって、変な板に乗りたくない」って思って欲しいですよね。
Y: はい。
植田さん: ホントに、サーフィン好きで。
Y: いや、だって、ジーッと色々観察してると、俺結構好きだから思うけどぉ、小川直久クンもぉ、昔はインサイト乗ってたんですよ。
植田さん: いや、ナオも、これまた違って。
Y: YUの板乗ったら、急に成績出るようになってぇ、パイプラインで10叩いてぇ、「じゃ、何でそぉなってくんだろぉな?」みたいな。
植田さん: ナオはほら、セキヤと千葉で仲良くて。私なんか、ノースショアで最初にだって、ミッキーさんが14ぐらいで一回目、連れて来てる時のナオも、よぉく知ってるしぃ。
Y: えぇ。
植田さん: 始めはパイプライン用の板を、セキヤ経由で頼まれて、それで「ウチのライダーじゃないから、お金貰うけど」って感じで、作ってあげて、そしたら結局「調子イイ!」ってことで、それでナオがプロになった時、「つきましては、スポンサーの話、できませんか?」って、ハワイで、今でも覚えてますけど、パイプラインハウスをジェリーから借りてる時に、ハワイで言ってきたの。で、でもその時、「インサイトからも誘われてるんじゃないの?オレ、何か聞いたよ」って、「はい、誘われててぇ、スゴクいい話きてます」って、数字も大きいって、「じゃぁ、いくらなの?」って聞いたら、大きい数字だったわけ。
Y: はい。
植田さん: とても高額だったから、「ウチはそんなお金、とてもないから。そこ、行った方がイイと思うよ」って。「でも板は、パイプラインの板もスゴイ気に入ってるし、YUさんのでイキたいから、ホントォはぁ、いきたいなと思ってるんですけど」って言ってくれたけど、「でもウチ、お金がそんな払えないから、インサイトいきな」って言ったの。
Y: それで、インサイトにいったんだ。
植田さん: いったんだけど、なかなか板がマッチしなかったみたいで。結局だから、また板を頼んできて。だからその間、パイプラインの板はずっと作ってあげて、板乗ってたんですよ、パイプでは。で、そぉいうあれもあったから、そしたらナオの方がほら、サロモンが決まって。洋服屋さんからボーンと、かなりのお金を貰えるようになったから、その時ナオは、板大事だから、お金の問題じゃないからって、「やっぱりウチ来たい」って言ってくれて、その時ハワイ行ってて、はじめはリアム経由でそう言われて。
Y: はい。
植田さん: 「ナオがぁ、何かぁ、ヒーガッタグッドクロージングスポンサーだからぁ、あのぉ〜板、そんなにお金がでなくてもぉ〜、なんか、ダイジョウブデス!」みたいな。なんでリアムがそんな事言うわけぇ〜?って。「ナオもその気でいるんだけど」って。で、「そっかぁ、そぉなの?」ってナオと話して。
Y: 見てて、俺なんか売る側じゃないですか、店だから。作る側じゃなくって、役割分担があると思うとぉ。その、サーファーがいて、シェイパーがいて、いいサーファーでもぉ、上がってこない人がいるの。でやっぱり、板とその人の関係が、絶対あると思うもん。昔から思う。うん。例えばムッチャムチャ上手いサーファーがいたとしてもぉ、なんか変な、ヘンチクリンな板に乗っちゃうとぉ、そんでぇ、消えてった人って、雑誌30年開くとよぉく分かる。でもこおはぁ、例えばあの、ロペス、ミツノブが最初に乗った頃もぉ、アイツは最初あそこまで無かったんですよ。それ乗るようになってから、急にミヨォ〜ンとくるよぉんなったし。でさっき言った、小川直久クンもみんなそぉだけどぉ。こぉ、フューチャーされるの。広告じゃなくってぇ、カメラマンとかなんかが、やたら撮るよぉになってって、雑誌に勝手に載ってきてぇ、名が売れてくるよぉになるの。
植田さん: そんな事はないですよ。
Y: いや、蚊帳の外だから、逆に分かる! だって植田さん、あれじゃないですか。外人からも「削ってくれ」って、ディケールが入ってないにしてもぉ、やっぱりスポンサーの絡みがあるから。っていうぅ、日本人のシェイパー、俺そんなに居ないと思いますよ。5人、居ないと思う!
Degu: ずーっともぉ、10月、11月、ノース行って削ってましたもんね。
植田さん: チームのが折れちゃうじゃない、ほら。それと、力の有る分は、チーム以外も削ったしね。
Y: えぇえぇ。
植田さん: 10月ぐらいにいつも行って、ノースショアで削るの。その時に、実はリアムやギャレット以外にも、みんな「削ってくれ」「削ってくれ」って、よく言われ、それこそデリック・ホーにも削ったし、ロス・ウィリアムやアンディ・アイアンにも削ったし。
Y: えぇえぇ。

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