NSA愛知支部長、ASU理事など、若い時から現在まで、サーフィンに対する熱い想いをずっと抱き続けている、サーフショップ“maniac”の奈須さんとの昔話(80年代)☆
「若い頃の苦労は、買ってでもせよ」という言葉通り、彼の内に秘められたエネルギーを感じた対談でした!
三回に渡ってお届けいたします。どうぞお楽しみください!!
吉川(以下Y): じゃぁ〜、すいません、宜しくお願いしま〜す。
maniac奈須さん(以下奈須さん): はい。
Y: えぇっとぉ、奈須さんがぁ、サーフィンに出合ったきっかけ?
奈須さん: 出合ったきっかけ。
Y: いくつの時で?
奈須さん: 18で。
Y: たとえばぁ〜。
奈須さん: アルバイト先の、あのぉ〜。。。今安城にある「いずみ製菓」って。あぁ〜、「いずみ庵」って。
Y: あぁ〜!あのうどん屋さんの?
奈須さん: あの「いずみ素麺」っていう。
Y: はい。
奈須さん: そこの直営店の、本店で。友達のぉ、友達が海外旅行に行くからぁ、その間のバイトの?「代わりをやってくんないか?」って言われて。で、そのバイトの代わりに入ったんです。
Y: いずみ製菓で?
奈須さん: えぇ、いずみで。製菓って言ってもその、うどん屋の店の方の。
Y: うん、分かる分かる。行ったことあるもん。
奈須さん: でそこの、本店の中に入って、最初は厨房でバイトをやっててぇ。その子の代わりだったから、一週間。そしたらそこの店長にすぐ気に入られて。でぇ、それから「今度中が忙しいから。」っていうことで、で調理場の中に入って。
Y: うん。
奈須さん: その時に、そこでえぇ〜っと、社員で働いてたぁ調理師の人がぁ、蒲郡の人で。でその人がぁ、「お前サーフィン、やったことある?」って言われてぇ。
Y: うーん。
奈須さん: 「いや、ない。」って。「やいたい?」「やりたい!」って。「でもサーフボードって。。。」って。その頃、どこでサーフボードが手に入るとか。
Y: あぁ〜ん。
奈須さん: 全然分かんなかったからぁ。だから今からもぉ、何年、30年前?!
Y: 30年前!70年代の終わりだもん。
奈須さん: ねぇ〜。30年前。でその時に「俺、実はサーフボード持ってんだ。」って。「え?じゃぁ〜。。。できるんですか?」「いや、俺もできねーから一緒に行こうよ。」って言われてぇ。えぇっと、それがねぇ〜、夏の。8月のぉ〜、確か14日か15日。お盆の日、だったような気がするんですよ。
Y: うん。
奈須さん: で、伊古部に行って、でぇ〜その人と、えぇっとぉ〜。。。名前が出てこない。名前、忘れちゃったけど、その人がぁ、その時ハコスカのスカイライン?
Y: うんうん。
奈須さん: だったんですよ。
Y: ウフフフフ。
奈須さん: その上にぃ、借りてきたサーフボードをぉ、自転車のあのぉ、ゴムの。
Y: チューブで!
奈須さん: チューブで巻いてぇ、で、その時に俺も一人じゃあれだったからってことで、同級生の友達を一人連れてぇ、三人で。で伊古部に行ってぇ、初めてやったのが、一番最初の始まり。
Y: その人がきかっけだ!
奈須さん: その人がきっかけです。
Y: じゃぁ、そぉやってバイトにももし行かんかったらぁ。
奈須さん: あぁ〜!でもどぉだろぉ?多分なかったかも知れない。。。
Y: なかったかもだねぇ〜。
奈須さん: しれない、けどぉ、その三年後ぐらいにぃ、ある程度サーフィンの事が大体分かってきたりして、で、どこにショップがあってって、分かって来出した時には、自分の直の先輩。
Y: うん。
奈須さん: 達がぁ、何人か安城でもやってるっつぅのが、後からになって分かったからぁ。
Y: 元々、奈須クンは安城の出?
奈須さん: いや、じゃないです。オレ生まれは九州、宮崎。
Y: で、子供の頃に引っ越して来てるの?
奈須さん: そぉですそぉです。あのぉ〜、中学校一年に安城に引っ越して来て。
Y: あなるほど。で、こっちで中学校入ってぇ〜。
奈須さん: だから小学校の時に、日向のカネガ浜っていうところでぇ。
Y: へぇ〜。
奈須さん: あのぉ〜、家から結構近いんですけど。
Y: 宮崎だ?
奈須さん: えぇ、宮崎です。カネガ浜でぇ、そのぉ〜、あれですよ。昔の。加山雄三の、若大将シリーズの撮影をやるって聞いてぇ。
Y: うんうん。
奈須さん: それは親に連れられて一緒に行ってぇ。
Y: はいはい。
奈須さん: その時にチラっと見たのが初めてでぇ〜。でその頃って、ショートボードってほとんどなくって。何かぁ〜、それを見たのが小学校二年生ぐらいの時なんですよ。
Y: あぁ〜、じゃぁあれだ。潜在意識の中にはあったんだぁ〜。
奈須さん: そぉです、だから潜在意識の中にそれがあってぇ〜、でその年のぉ、海に行った時にはぁ、もぉその時には日向の海の小倉ヶ浜の海に向かって左側にあるイソガ浜っていう海水浴場があるんですけど。
Y: うん。
奈須さん: もぉ自分がガキの頃はみんなそこだったんですけど。でそこでぇ、板っきれを持ってきてぇ、落ちてた板を持ってぇ〜。
Y: あぁ〜。
奈須さん: あのぉ〜、ボディーボードまがい?サーフィンじゃないけどぉ、ボディーボードまがいのぉ、要はそれを見た潜在意識の中でぇ、見よう見まねでマネをしたことだけは、覚えてます。
Y: あぁ〜!「イタコ」だね!
奈須さん: それだけは、覚えてるんです。
Y: なぁるほどねぇ〜!
奈須さん: だけど周りでやってた人もいなかったしぃ。だからその時に多分カネガ浜でもぉちょっと、ねぇ?しっかり見てたりとかぁ、そこで逆に海入ってればぁ、また違ったあれにはなってたのかなぁ〜?って。
Y: そっかぁ〜。で、18で出会って行くようになってぇ。
奈須さん: はい。その時はまだ自分は道具を持ってないからぁ〜。
Y: うん。
奈須さん: でぇ〜、色んな人から聞いたら、じゃぁ岡崎に「BALI」さん。
Y: 佳山クンところね。
奈須さん: はい。まだその時は「Sea Life」っていう名前だったんですよ、「BALI」じゃなくって。「Sea Life」っていう名前で。
Y: あぁ〜。
奈須さん: スキューバを一緒にやってた時。
Y: はいはい。
奈須さん: 佳山クンは雇われ店長でやってた、そん時に行ってぇ。で、いきなり行った時にバーンって、「いくらお金があれば出来ますか?」って聞いたらぁ、「ま、とりあえず20万持って来い」って。
Y: うーん。
奈須さん: その当時で。「20万持って来れば出来るよ。」って言われて。「全部ですか?」って聞いたら「全部。」って言って。「現金で?」「現金で。」って。
Y: なぁるほどぉ〜!
奈須さん: で、何とか20万貯めなくちゃ!って思ってぇ。
Y: あぁあぁ。
奈須さん: それからもっとアルバイト増やして、20万まで足りなかったんだけど、18万ぐらい持ってぇ、で、佳山クンとこ行ったのがぁ、えぇ〜、その年のぉ、冬です。12月。
Y: ふぅ〜ん。
奈須さん: 冬に行ってぇ、で結局はサーフボードはぁ買えたんだけど、ウェットスーツがなくて。で、最初に買ったのが「Rip Curl」のウェットスーツだったんですよ。けど合わなかったから、「サイズ調整するから。」ってことで、待って、でウェットスーツが来て、初めて海入ったのがその次の年の、1月か2月でしたね。その時に入った海がぁ、あのぉ〜、ボンヤリしか覚えてないんですけど、多分ねぇ、「久美原」だと思うんですよ。
Y: はぁ〜い。あの久美原板金上がってったところ。
奈須さん: えぇ、あそこを上がって行ったところ、断崖絶壁で。道が途中までしかなくて。
Y: うんうん。
奈須さん: 昔あれ、道無かったですもんね?
Y: 無かったなかった。
奈須さん: 歩いて降りていくしかなかったからぁ〜。
Y: よく車上狙いにあう場所って言われてた。
奈須さん: そぉですそぉです。確かあそこだったと思うんですよ。そこでぇ、一人で海入ったのを記憶してますね。
Y: うぅ〜ん。
奈須さん: それがぁ〜、今だに。印象に残ってますね。
Y: じゃぁさぁ、そっから何年かやってって、要は普通のサーファーじゃんね。趣味だったわけじゃん。
奈須さん: はいはい。
Y: 他に仕事をしながらの、趣味じゃん。みんな最初はそぉなんだけどさぁ。
奈須さん: はい。
Y: 何となく店をやってみよっかなぁ〜、と思ったのは、あれいくつぐらいん時?20いくつだったと思ったけど。
奈須さん: 22ぃ〜か、そんなもんすねぇ。
Y: はぁはぁ〜。
奈須さん: でそれから、まぁ「BALI」さん行ってて、「BALI」から今度は、先輩に誘われるがままに今度は、豊田の「ドゥービー」って、ヨッチン。
Y: はいはい、ヨッチンね。
奈須さん: 「ドゥービー」に誘われて行って、で、「ドゥービー」でやってる時に、まぁ、マサシ君とかぁ、色んな人達と知り合って。
Y: うん。
奈須さん: その頃ターザンとも会ったんですよ。でぇ〜、その頃ヒロアキとも会ったんですよ。実は。
Y: ヒロアキ君、だってその頃はまだターザンとこでぇ。
奈須さん: はい。
Y: シェイプしてたと思う。
奈須さん: あのぉ〜、下働き。
Y: 下働き。
奈須さん: まだぁ、始まったばっかりだったんですよ。でその時に、ヨッチンとターザンとオレとヒロアキとぉ、四人でぇ、豊田のぉ、その「ドゥービー」の近くのぉ、あの居酒屋でぇ、とりあえずまだ、顔と名前と、「知り合いになっとけ。」って言われてぇ、集まったのは覚えてますね。
Y: ふぅ〜ん。
奈須さん: で、それからすぐしてですよ。
Y: やり出したの?
奈須さん: いや、「お前〜、店やる気ない?」っつって、ヨッチンから言われたんですよ。
Y: あっ、そぉなんだぁ〜!
奈須さん: はい。
Y: へぇぇ〜。
奈須さん: 「お前ぇ〜、このまま「ドゥービー」って名前で、せぇへん?」って、「継がねぇ?」みたいに言われて。
Y: なるほど、引こうと思っとったんだ。
奈須さん: でぇ〜、「でもやるとしたら豊田ですよね?」って「いや、モチロン。そっくりそのまま、お前これやれよ。」
Y: おぉ〜ん。
奈須さん: 言われたんすよ。で、もぉ〜、やっぱり、別にお金がどぉのこぉのじゃなかったんですけどぉ。。。でもやっぱり、遠いじゃないですか?
Y: うーん。
奈須さん: で自分はもぉずっと安城だしぃ〜。友達もみんな安城の周りにいるしぃ〜。「やぁるんだったら、オレは安城ですねぇ。。。」って言ったら、「いや、安城なら安城でもイイヨ。」って。
Y: うん。
奈須さん: 「だったらぁ、今「ドゥービー」にいる連中のあれもぉ、全部引き継いでくれ。」って。やっぱ最初に言われたんですよ。
Y: じゃ、ヨッチンが引く時と同時ぐらい?
奈須さん: いや、それからぁ、えっとそれから三年後ですよ。で、オレが「マリン・プラス・オアシス」って、「オアシス愛知」で最初スタートした、大山でスタートした時。
Y: えぇ。
奈須さん: と、、同時です、ヨッチンが止めたのは。
Y: あっ、そぉなんだぁ〜。
奈須さん: で、その時オレが26ですからぁ、それから4年後ですよ。
Y: なるほど。
奈須さん: うん。
Y: そぉだよね、最初「オアシス」って名前でやっとったもんね。でグレン・ウィントンの削った板やっとったもん。
奈須さん: そぉですそぉです。そん時の、あのぉ〜、グレンもそぉですし、サイモン・アンダーソンが削った板もやってました。
Y: あぁあぁ〜。
奈須さん: その時の板、ツインフィンからトライ、トライからフォーフィン、ツインスタビとか色々出てきてぇ。で、サイモンがその時に、あのぉ〜、言ったの覚えてるのは、「しまったぁ〜。」っつって。「特許取っとけば良かった。」って。
Y: スラスター!
奈須さん: スラスターの。取っとけば良かったっつって。
Y: えぇえぇえぇ。
奈須さん: それがまぁ〜、ねぇ、その時自分もまだ若かったから、意味が全然分からなかったんですけど。
Y: うん。
奈須さん: 世界特許取っとけばぁ、今頃、まぁ、サイモンも削ってるけど。
Y: いや、もし取ってたらぁ、サイモンはもぉそれだけでぇ。
奈須さん: すぅごいですよねぇ〜。
Y: 何にもしんでも良かったんじゃない?
奈須さん: 今だにぃ。
Y: スラスターね。
奈須さん: あれはねぇ、サイモンから直接聞きましたね。
Y: なるほどねぇ〜。
奈須さん: だからそれは、自分が店をやり始めてから、サイモンと会う機会があったのでぇ。
Y: うん。
奈須さん: その時には、ねぇ、「マリン・プラス・オアシス」のぉ〜。「オアシス愛知」って名前で。メインボードがだから、「オアシス」っていう板だったんですよね。
Y: 「オアシス」。それは僕も覚えてる。
奈須さん: で、そこのライダーで、サイモン、グレン・ウィントンとぉ、えーっと、ディビット・ケネディーと、グラハム・ウィルソン。
Y: あぁ〜!はい。
奈須さん: それとあともう一人。死んじゃったけど。。。あっ、死んじゃったあれはもぉちょっと後です。えぇ〜っと、マーク・センズ・バリー。
Y: はい。
奈須さん: 一番最初にフローターをやったヤツ。
Y: うん。
奈須さん: オーストラリアで、ジュニアオープンか何かの大会で。でぇ、あいつ、ちょっと、ドラッグで死んじゃったんですけどぉ。
Y: ニッキー・ウッドと一緒だね、ね?
奈須さん: そぉですそぉです!そぉなんすよねぇ〜。
Y: あの時代はねぇ〜。
奈須さん: それからもぉちょっと前ですもん、マーク・センズ・バリーが来たのが。ニッキー・ウッドもそぉでしたしぃ〜。でも死んじゃったんすよ。でそん時にぃ、うーん、あの、オーストラリアのビル・シリアとかを紹介されてぇ、で、「今度からオーストラリアのシェイパーとして、ビルがオアシスの板を削るから。じゃぁお前ちょっと、もしあれなら、オーストラリア行ってきてくれ。」って言われてぇ。
Y: へぇ〜。
奈須さん: で、オーストラリア行って会って。
Y: じゃぁ結構最初の頃から繋がりが深かったのは、オーストラリアのエリアが深かったってこと?
奈須さん: そぉですね。
Y: カリフォルニア、ハワイ、オーストラリア、ってこの三大国のどっかをみんなつまんでくるんだぁ、大体みんな。流れを見とると。
奈須さん: オーストラリア、ですね。
Y: ね。
奈須さん: その時にあのぉ〜、サイモン、ビル・シリア、それとグレッグ・ウェーバー。この三人とオーストラリア行って。英語が出来ないのにイキナリ行っちゃって。
Y: アッハハハハ、みんなそぉだよ。
奈須さん: 英語も何にも出来ないのにイキナリ行っちゃって、タクシー乗って、どこ行きゃいいのか訳分かんないのに、もらった紙だけ持って。
Y: えぇ〜。
奈須さん: でタクシー乗ったのはいいけど、すぐ近くかと思ったら、四時間もタクシーかかって!!
Y: ガッハハハハハ!!
奈須さん: 「いぃくら払うんだぁぁ〜?!」みたいな、ねぇ。こりゃ帰りも大変なことになるぞと思ったらぁ、その時にちょぉど、あのぉ〜、ロス・クラーク・ジョーンズ。今じゃぁもぉ、あんなビックウェーバーになっちゃった、ロス・クラーク・ジョーンズがいてぇ。
Y: うん。
奈須さん: だからあの、「マッド・マックス」って一大流行った。
Y: あぁ、映画の。
奈須さん: あれが出る前ですよ。全然まだ、一ライダーとしていた時のロス・クラーク・ジョーンズが、「じゃぁ俺が送ってってやるよ。」って。その代わり、近くの駅までだったんですけど。近くの駅っていっても、一時間くらいありましたけどねぇ。
Y: その頃の写真って、ある?
奈須さん: それがねぇ、一枚あったんすけどぉ、あのぉ〜、ビルと一緒に撮ってた、とマークと一緒に撮ってたやつが。それがどこ行っちゃったか。。。引越しの時に無くなっちゃって。
Y: あぁ、ホントぉ。
奈須さん: えぇ。
Y: ちょっと後で、色々この歳になるまでのぉ、繋ぎ繋ぎでもイィもんでぇ、写真集めてって頼むと思うから。数枚でもいいから。
奈須さん: あぁ〜、そぉですかぁ〜。
Y: ぜひまた探してください。
奈須さん: 分かりました。
Y: で、「オアシス愛知」をぉ、あのケンタッキー入ったとこで始めてぇ。
奈須さん: そぉです。
Y: あれ、80〜7、8年だったでしょぉ?
奈須さん: そぉですねぇ、86年。
Y: 86年。僕ねぇ、今だから言える話なんだけどぉ。
奈須さん: はい。
Y: ちょぉどあの時ぃ、「MAXIM」のウェットスーツをぉ、僕んとこのが早かったの。僕、「RASH」の流れでぇ。
奈須さん: だから僕、電話入れたじゃないですか。
Y: 知ってる知ってる。で。
奈須さん: 「やっていいですか?」って。
Y: 電話あったかどぉかは忘れちゃったんだけどぉ〜、ぶっちゃけ言って。
奈須さん: はい。
Y: 相馬から電話かかってきてぇ、「で、こぉやってやるんだけどぉ」って言った時にぃ、当時って、「あそこでやるな。」「ここでやるな。」っていうのがあったんだけどぉ。
奈須さん: ありましたねぇ〜。
Y: 今だから言う話だよ。僕はぁ、あの時相馬に返したのは、「もぉ全く距離が離れとるしぃ、三河エリアだしぃ、でこっちだけでお前んとこが全部こぉ、ターザンみたいにぃ、やれんからぁ、もぉ全然いいから。」っていう話を相馬にしてぇ〜。
奈須さん: あぁ〜。
Y: で、そっちはそっちで頑張ってくれて、こっちはこっちでってすると、同じエリアで海入るんだけど、やっぱりお客さんもその、ちょっとずつ違うから。でも海で入ってて、見たらぁ、相乗効果が絶対起きるからぁ、「全然いいと思うよ。」って相馬に返したのが、覚えある。
奈須さん: だから、同じ事を僕にも言ってくれたじゃないですか。・・・覚えてないですかね?
Y: オレ、相馬には言ったの覚えてるけど。
奈須さん: ちゃ、そぉやって言ってくれたのはぁ〜、別にこれは、今吉川さんからインタビュー受けてるからじゃなくて、吉川さんだけだったんっすよ。
Y: あっ、そぉ〜。
奈須さん: そぉなんっすよ。で、ウチはそん時ぃ、ボディーボードでぇ、マンタとかぁ、やりたいブランドとかってあったんですよ。でぇ。。。言っちゃってイイっすか?
Y: いいよ、いいよ(笑)。
奈須さん: そん時にぃ、知立の○○さんがすぐ近くだったんすよ。
Y: あぁ〜。
奈須さん: まぁ、元々知立と安城と同じ市だったから。
Y: えぇ。
奈須さん: で、そこでウチはやっぱりマンタがやりたい、と。ウチもボディーボードの子達がいたから、どぉしてもまぁ、マンタ取りたい、と。オーストラリアの板だし、ってことで。
Y: うん。
奈須さん: あったんですよ。したらぁ、やっぱりそん時に、○○さんにお願いをしたんすよ。メーカーに電話する前に。
Y: うん。
奈須さん: したら、「お前それは。。。なぁ?」って。
Y: うーん、なるほど。
奈須さん: でしたねぇ〜。
Y: まだ若かったんだって、○○さんも。
奈須さん: そぃでぇ、やっぱりぃ、その時に、ウェットスーツもぉ、ウチもビクトリーばっかじゃつまんねぇしぃ〜、って。ビクトリーとも何かその辺でガチャガチャしてたもんですから、だったらやっぱり、あのぉ〜、「Rip Curl」も頼んだんっすよ。そしたら断られてぇ、それでぇその時にぃ、何でですかね?その時に相馬さんとこに電話したのは。
Y: いや、それは分からん。
奈須さん: 何でだったかなぁ〜。。。?そこはちょっとアヤフヤで覚えてないんすけど、それでもやっぱり、「断りとして、愛知県だったら吉川さんとこだから、一回電話を自分から入れるように。」って、相馬さんから言われたんですよ。
Y: へぇぇぇ〜。
奈須さん: そいで一回まぁ、電話を入れてぇ、やっぱそん時にさっきと同じことを言われたんすよ。「あっ!すっげぇありがてぇなぁ〜!」ってやっぱ、そん時自分もまだ若かったですけど。で、その後に、調子に乗ってじゃないですけど、すぐじゃぁ、○○さんに電話入れてぇ、タカシ君とこにも電話入れたんすけどぉ。そしたら「やっぱりぃ、商売やってる以上、「じゃ、敵か味方か?」って言ったら、な?」って、やっぱ言われたんすよ。
Y: うーん、あの頃はねぇ〜。
奈須さん: はぁ〜い。
Y: でも何となく、そぉいうのはあった。
奈須さん: だからぁ、「何なんだろぉ?この違いは??」っていうのは、一番最初に思いましたね。
Y: いや、あの時代はねぇ。80年ぐらいはまだ、みんな“ヤッちゃん“みたいだったからね。
奈須さん: ですねぇ?
Y: フッハハハハハ。
奈須さん: オレはぁ、「Selection」のタカシ君とロングビーチで初めて会った時にぃ、ぶつかったんっすよ。で確かにぃ、オレの方が悪かったと思うんっすけど。そん時は。
Y: うん。
奈須さん: もぉ〜、そん時はすぅーごかったですもん!!
Y: フッハハハハハ!
奈須さん: それが一番最初の始まりでしたもん。
Y: タカシ君?
奈須さん: 「オミャァよぉ〜っ!!??」ってきちゃったもんだから(苦笑)!
Y: ヒヒヒヒヒ。
奈須さん: 名古屋の人だとは思ったんすけどぉ。その時に確かねぇ〜、タカシ君と。ちょうど二人しかいなかったんすよねぇ〜。センターで、丁度トイレの正面くらい。あ、昔のトイレの正面。
Y: はいはい。
奈須さん: 正面ぐらいでやっててぇ、でぇ、確かぶつかってぇ。今思い出しても、それはオレが悪かったのは覚えてます。悪かったんだけどぉ、そしたらもぉ、乗させんよぉにタカシ君がっ!
Y: ガッハハハハ!
奈須さん: しつこいぐらいぃ、パドルでくっついて来るんですよ!
Y: アッハハハハ。
奈須さん: リーシュコード引っ張ったりとかはなかったですけどね。
Y: うん。
奈須さん: そぉれがすぅごいインパクトに残って、印象的で、「スッッゲー人がいるっ!!」って思ってぇ。
Y: フハハハハ。
奈須さん: 絶ぇっ対もぉ、この辺とは話できないしぃ、顔合わせねぇ方がいいな、とは思ったんですよね。
Y: うん。
奈須さん: その頃はやっぱり、昔の流れで、ホンダ君やなんかがぁ。
Y: はいはいはいはい。
奈須さん: ホンダ君とか、ホリケンさんとかがぁ、いっつもあのロングビーチの岩場んところで入ってたもんだからぁ、あの昔の「BALI」のチーム員の流れで。
Y: そぉだよね。だってホリケンさんももともと佳山クンとこだもんね。藤田クンとかも、みんなそぉだもんねぇ。
奈須さん: そぉです。
Y: うーん。
奈須さん: だから、ロングビーチがやっぱり、なんか一番メインみたいな。そぉいう時代だったじゃないですか?「ロングビーチ入れんかったら、サーファーじゃねぇ。」みたいなの。台風きたら、先端の一番奥の、って。
Y: 今みたいになる前だからね。
奈須さん: えぇ〜。やっぱそぉいうのがあったからぁ。そぉこで、「何かスゥゴイ人に会っちゃったなぁ〜。」みたいな感じ、でしたね。
Y: そぉかぁ〜、それが小林タカシ君との出会いだったんだぁ。
奈須さん: ファースト・コンタクトはそれでした。
Y: 面白いなぁ〜♪
奈須さん: ホォントに、ちょっとヤバかったですね。その頃、板もロッカーも全然無いよぉな、ボテっとした。
Y: うん、ボテっとしとったね。
奈須さん: トライなのか、ツインなのかよく分かんないよぉな形でしたもんねぇ。
Y: そぉかそぉか。あの頃はだって、トライフィンが出てきて、その前にツインがあったでしょぉ?
奈須さん: そぉですね。
Y: で、店の人達はぁ、わざとぉ、センターを付けてトライフィンにして、売ったんだもんね。
奈須さん: あぁ〜!
Y: オンフィンだったでしょ?
奈須さん: はいはい。
Y: で、ツインだと、もぉ流行が流れちゃってて、マイク・リチャーズから変わってってぇ、こぉトライフィンが出てきたときにぃ、みんなが「三本、三本!」ってなってった時にぃ、ツインは売れんくなったの。

34