伊良湖サーフィンの大先輩の浜(パンダ)さん!
06’WLTを伊良湖で開催した際に、テントの中でエリック・サマーに「あの年配の人は上手いねぇ〜♪」と言わしめた方、パンダさんの軸のぶれないサーフィンは、技術だけではなく、精神面の中にもあるような気がしました。
そんな浜さんへのインタビューです★
浜さん:録音はするなよ、雑談雑談。
Y:じゃ、記憶でガンバリます!ではまず、パンダさんは何でサーフィンを始めたんですか?
浜さん:僕が最初にサーフィンを始めたのは、1968、9年頃だったと思う。当時、ナイト・ロードショーを見た後、明け方何気に「海を見よう」ってことになって、伊良湖まで行ったんだなぁ〜、スプリンターで!まだロングビーチが突き当たりで、植物園があったなぁ〜。上の方から、ガタガタ道を下まで歩いて行って、海を見てたら3〜4人の人がサーフィンしてた。夏の終わり頃だったなぁ。ジーっとみてるもんだから、「やってみる?」って、そのうちの一人がボードを貸してくれたのよ。
Y:それは、誰か分かりますか??
浜さん:全く誰か、今も分からん。そのボードでスープに押されて岸までいったけど、まぁったく立てんくてね、でもぉ、ただ気持ちいいと思ったね。よく覚えてないけど、それが初めてだな。
Y:そぉなんだぁ〜!リーシュなんてない頃ですよね?
浜さん:コードなんてないよ。ビーチも、その人達以外誰もいない。
Y:リーシュがない時代のサーフィンって、どうだったんですか?僕が始める頃は、チューブのなかにヒモが入ったやつがもうありましたからね。
浜さん:あの頃は、ワックスはロウみたいなやつでねぇ。リーシュなんてのはぁ勿論ない。だから、もしパーリングすれば、ボードは岸まで帰っていくってこと。それを取りに戻ってって、それの繰り返し。だからみんな、それがイヤだから、「落っこちないようにっ!」って考えながら、どうやってメイクするかを練習してたよ。いかにボードから落ちないか、また、落ちるときに早くボードをにぎれるかだな。
Y:えぇえぇ。
浜さん:ワイプアウトすれば、その後には大きな代償が待ってたからなぁ。今の人は、コードがつながってるから、すぐボードから落ちるだろぉ?その前の段階のぉ、落ちないバランス感覚を覚えてこそ、サーフィンは上達すると思うんだがなぁ。。。すぐボードを波の岸側に飛ばすクセがつくと、なかなかサーフィン上手くならん。
Y:まったくその通りですね!昔は大変でしたから!
浜さん:フィンの後ろに穴を開けて、そこに自転車の荷をしばるコードヒモをつけてたんだよね。だからボードは岸にいかないんだけど、ゴムのヒモだから、そのあとロケット弾みたいに自分に向かって戻ってくるから、危なくてしかたなかった!
Y:あぁ〜、その話はフランの兄さんや、カルロスさんからも聞きました。
浜さん:それから数カ月たって、会社の生協に行ったら、なんでか分からんのだが、そこにマリブのサーフボードがこぉやって壁にかかって売ってたんだな。当時の月給が一万三千円くらいだったと思う、その頃にその板は三万円くらいしてたかなぁ〜。それを月賦で買って、サーフィンを始めたのよ。はっきり覚えてないんだけども、どうしても欲しくってねぇ。
Y:なんで生協に売ってたんですかね?
浜さん:分からん。僕はもともと鹿児島県出身なの。18歳の時に豊田に来て、豊田自動車に就職したわけ。まだ田原市なんてない頃。
Y:じゃ、たまたま海へ行って、見て、その後マリブを手に入れて、そこから始まったんだ!もしその経験がなかったら、やってなかったんですかね、サーフィン?
浜さん:それは分からんねぇ。
Y:不思議ですね。
浜さん:その後、豊橋市のNTTのある辺りに、「ビッグ」ってサーフショップがあってね。そこのご夫婦には大変お世話になったなぁ〜!
Y:僕はまったく知りません、そのお店。当時、僕が知ってるのは、「ウェーブライン」と「オレンジ・サンシャイン」くらいです。。。。今はその方はどうされてるんですか?
浜さん:20歳くらいの頃は、そのビッグのオーナーさんが毎週末家に泊めてくれて、面倒をよく見てもらったんだけど、そこのご主人が病気で亡くなられたんだなぁ。奥さんはお腹の中に子供がいた。。。今はどぉしてるんだろぉなぁ。。。
Y:でもその方は、パンダさんにとっては恩人ですね。
浜さん:もちろん。一生忘れない。…それからボードが段々短くなっていって、海にサーフィンする人が増えていった。その頃、ターザンやヨシオ君、スーパー、ギャラン、フランやスー君、あと誰がいたかなぁ?思い出せんな(笑)色々いたよ。
Y:いや、スゴイ時代ですね!
浜さん:みんなで「大会をしよう!」ってことになって、でもその当時、何にも分からんくってねぇ。会社からテントを借りて来て、協賛を集めることになって、フランのイモノ屋の前の店にも行ったよ。ターザンのロコやエビンとかにも。。。70、何年だったかなぁ〜、みんな協賛してくれて、エントリー費は一人2000円くらいだったかなぁ?ジャッジはみんなで交替でして、残ったお金は夜みんなで飲んで消えちゃったなぁ。
Y:僕は前から聞きたいと思ってたんですけど、どうして浜さんは『パンダさん』っていうんですか?
浜さん:昔、上野動物園にパンダが来ただろぉ、昭和の40何年だったかなぁ。その頃僕は、海で波を見てる時に、まぶしいから目を細めてたの。僕の顔は、目の骨格の辺りが少し凹んでるから、そこだけ日焼けしなくってね。それを見たスーパーが、「お前の顔、パンダみたいだなぁ〜♪」って言ってから。みんながパンダって言うようになったんだよ。ハハハハ〜(笑)。
Y:やっぱり!僕は「ひょっとしたらそぉじゃないのかなぁ〜…」と思ってたんですよぉ。でもやっぱりほら、聞きにくいじゃないですかぁ。今日やっと、謎が解けました!
浜さん:あの頃は、みんなニックネーム(あだ名)で呼びあってたよ。
Y:マウンちゃん(後藤さん)は何でなんっすかね?
浜さん:分からん。マウンテンゴリラからじゃないのか?ハハハハハ。
Y:今度聞いてみよ。
浜さん:それから色々あって、当時僕はOSAの公認プロになったんだな。それからJSOを、NPSAとか、まだサーフィンの組織がバラバラだったなぁ〜。
Y:僕がサーフィンを始めたのは70年代後半だから、でも、何となく分かります、その辺の話は。
浜さん:あぁそぉ!でも忘れちゃったなぁ〜、古いから。でもサーフィンに大切なモノって、何か分かる?三つあると思うんだけど。
Y:う〜ん。。。波、道具?あとはぁ。。。
浜さん:人だな。まぁ、人と道具はまぁいい。でも問題なのは、波なんだなぁ。波が立たなくなってきてる!昔と比べたら。波が立たなくなったら、サーフィンできなくなるだろぉ?じゃぁ、何で波が立たなくなってきてると思う?
Y:いろいろあると思うけど、テトラ、海面の上昇、自然破壊。…ウムムム。
浜さん:昔、筑波大学の海岸浸食の問題の第一人者の先生のフォーラムがあったのよ。僕はその先生を、豊橋駅まで迎えに行って、一日半かけて伊良湖、浜松、御前崎、清水までズーッと回ったの。先生が言うには、それは天竜川のダム、そこで砂を止めてしまったから、海の砂がどんどん減っていく。60%は御前崎方面に流れて、40%は伊古部から赤羽根方面に流れる。これが、この辺りで波が立たなくなる原因だってことだった。
Y:難しい問題ですね。国がからむし、いろんな人の立場が交錯しますから。
浜さん:まぁ僕が一人だけでは何ともならんかもしれんけど、みんなが力を合わせれば何とかなるかもしれんなぁ。。。
Y:うぅ〜ん。。。
浜さん:あとは、サーフィンを始めたら、「波に惚れろ」ってことだな。信じて、信じて、信じぬいて、波にとことこん惚れろ!ってこと。これは何でも、男も女も、仕事も一緒だな。
Y:その通りですね!
浜さん:ただ、今日の波乗り。僕は4時間やったんだけど、息子のノブは5時間入ってたって!風呂に入る時に聞いたらそぉ言うから、1時間負けた、それがもぉ悔しくって悔しくって!そぉ思うでしょぉ?若い連中でも、とことん波に惚れて、信じろ。まぁまぁ、話はここまでにして、ビールでも飲め飲め(笑)。
Y:はい。今日はどうもありがとうございました!
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Y:パンダさんと、ゆっくり話ができたのは初めてで、“とても熱い人”というのが私の印象です。「薩摩の武士」を見た感じでした。帰りの車の中で、たまたまこの曲が流れていて、「なんかパンダさんの唄みたいだなぁ〜。。。」と思ったので、書き加えておきます。
♪♪♪
一度、決めたら二度とは変えぬ
これが、自分の生きる道
泣くな、迷うな、苦しみ抜いて
人は、望みを果たすのさ
♪♪♪
美空ひばり <人生一路>より

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