梢の先で震えていた硬い芽の三月
自分の小ささを知った若葉の五月
世界はいつも遠く輝いていた
広げた葉脈で共にひかりを追った七月
その仲間との分かれを覚悟した九月
世界はいつも風に揺れざわめき
しかし今
わたしはその日々を思わない
まして明日を思うことなどしない
やがて大地に帰るだの再び巡り来る春だの
安い絵本のようなお話もいらない
わたしはある
ただそれだけでいい
ただひとつのかたちで
定められた箱に
風はやみ
あるべき位置も定まった
はるかなる十一月の空よ
あなたの永遠のもと
わたしはある (詩: 晴佐久 昌英)
息子達の幼稚園の時の副園長先生からの毎月のおたより、11月号が早くもとどきました。手作りのアップルパイも一緒に同封されていました。りんごの甘酸っぱさがほどよく、とても美味しかったです。
先々月(9月)のお便りは夏ばてをして・・・とあり、お疲れの様子がうかがえて少し心配をしていました。でも先月(10月)のおたよりでは、北海道余市に旅行した様子が書かれていて、「やっぱり先生はいつまでもお元気なんだ」と安心しました。そして今回、早めの11月のお便り、私達の企画した「11月10日のふれあいコンサート」に「熱心さにほだされて一期一会のしめくくりで伺います」と書かれてありました。そして「今年は身近な大切な方との別れがたくさんあり辛い年でした。11月はカトリックでは死者の月で、特に天へ旅立たれた方達のために祈る月となっております」
先生は私の母よりも3歳くらい若く、多分もうすぐ80歳になろうというお歳です。
ご自分の楽しみよりも相手の方の苦しみを和らげようと東に西に、北に南に、とどこにでも慰めに来てくださいます。「もうこれが最後になるかと思います」という自らの引退表現とも受け止められる文面に寂しさを禁じ得ません。11月10日のコンサートでは暖かな日でありますように。