毎月1回の幼稚園の元園長先生からのお便りから、
素敵なエッセイを送ってくださいますので、先生にお断りをして
ここに紹介します。
私は昔から、よく夢を見る方だ。
今はそれほどでもないが、幼稚園の現職時代は、本当にその夢がよく当たった。勿論、重大な夢もあれば、他愛もない夢もある。いずれにしろ私の見る夢は、前もって何かを知らせてくれる。それで、夢を見たときは忘れないうちに、同僚に話すようにしていた。その名残で、今は同居の妹が「今朝こんな夢を見たのよ」の聞き役になっている。
ところで、2月11日の朝、次のような夢を見た
まあるい卵4個を取り出して、水が入った鍋に入れ、青いインクを注ぎ、青いゆで卵を作ろうとしていた。「あ、青じゃない。ピンクだった。」と慌てて、今度は、卵2個を鍋に入れ、食紅を注いだ。「『卵がわれないように茹でるには、針のような物で、刺しておくといい』と妹が言っていたっけ。針、針、針。どこにあるのかなあ・・・」そして「ピンクになんかしなくってもいいんだった。サンドイッチに入れる為だけのゆで卵だもの・・・」そこで、目が覚めた。「どうしてかしらね。ゆで卵を作ろうとしている夢を見たわ」と妹に話した。
翌12日は、本当にゆで卵を必要とする日だった。
東京の清瀬にある「聖ヨゼフ老人ホーム」にお世話になっておられる、89歳の米国人宣教師を見舞う日で、その時、必ず「卵サンド」を持って行くのが習わしになっている。
いつもゆで卵は妹が作ってくれる。私は、まあるい卵と、玉葱少々をみじん切りにしてさらし、マヨネーズで合わせ、チーズと共にパンに挟むだけだ。この方法は、昔教会で働いていたMさんに習ったもので、今でも出かけるときは私の弁当になっている。
エリック師が施設に入られてから、見舞うのに、自分の為の弁当で、この卵サンドを持って行ったら「おいしい」と召し上がったので、それからは、必ず持って行くようになってもう4年になる。
クリスマスに持っていったら、大切なミサのことが心配であんまり召し上がらなかった。「もう食べ物のことは、あまり興味がなくなられたようね」と言いながら、それでも、いつものように、卵サンドとまあるいアルミ皿に、りんごケーキを焼いて持って行ってみた。
施設の玄関で「エリック師は今、足が痛くて部屋から出ることは出来ませんが、お部屋にはどうぞ。」とのこと。
部屋にはいると、私もよく存じ上げている信徒のご婦人三人の先客があった。
「あら、来てくださってたの。」と挨拶すると、
「もう足をどうしたらいいか、分からないでおられます。」
それでも「先生が見えたら、少し元気になられたようです。」と言ってくださった。
「神父様、りんごケーキを作って持ってきたのですが、召し上がりますか。」と見せると、眼鏡を外した澄んだ大きな目が輝いた。日頃、手作りを持って行くと「ホームメイドですね」と喜ばれる。きっと、お母様の手作りと重なるのかも知れない。
卵サンドも出すと「私だけ食べてすみません」と幾つか召し上がった。元気な時は、必ず「そんな粗末な物をお客様に出して恥ずかしい」と思うような物でも、分けて召し上がる方だった。みんなは、ほんの一時でも食べ物で痛さを忘れられることに、ほっとした思いだった。
言葉もほとんど意味がわからなくなってきて、その上、英語が主になった。
「神父様。お母様が亡くなられたのは幾つでしたか?」と尋ねると、即「82」と返事があった。そのお母様に会われるのもそう遠いことではないだろう。
歯の調子が悪いらしく、むかしからの知り合いの信徒の歯科医に電話してほしいというようなことを申されるのだが、はっきりしないので「神父様、英語でなく、日本語でおっしゃってください」と言うと、「大丈夫です。その人は日本語が分かります。」
2月11日は、1841年にフランスのルルドに、マリア様が出現された日で、そこから湧き出した泉の水で、今でも沢山の人達が癒されている。
「昨日はルルドのマリア様の日でしたね。」と言うと「祈りましょう」とのこと。この時が一番心が通い合う至福の時だ。最後に、アヴェー、アヴェー、アヴェマリアーとルルドのマリア様の歌でお別れした。
さて、夢の行方は?4個の卵はエリック師と三人のご婦人。二個の卵は私達姉妹。計六人で祈ることを意味していたと、私は解釈した。