今日は昨夜からずっと風の強い雨降りの一日でした。桜はどこに?
今日は3月に「自治会だより」に載せた
「古道を歩こう」の様子を紹介しますね。
私の住むの地域は昭和39年完成の城山ダムにより、
一部が湖底に沈むなどして、それまで使われて
いた道が不要のものとなり、だれも足を踏み入れ
ることもなくなったり、又新道が建設されて、
道も景色も大分様変わりしました。
道は昔も今も人の生活の主要な部分であります。
特に車のない昔は一歩一歩自力で歩まねば
ならない道でありました。先人が喜びや悲しみを
いだきながら歩んだ道は、又石仏と共に歴史を
秘めた道でもあります。江戸時代、厳しい年貢の
取り立ての中、なけなしの金をはたいて道ばたに
石仏を建て安心立命を願ったのです。
この地域には数多く古道がありますが、中でも東方の
隣村から西方の隣村へ、対岸の他村へと続く道は
この地域のメインストリートでありました。
峰の薬師下方の岳雲沢(ガクモザワ)からの道の一部は
新道建設により変わっています。
石仏群はこの写真のように、
近くの峰の薬師参道の端にまとめられました。
今ではこのように石仏が壊れて石の破片のように
なってしまっているものもあります。
ではメインストリートをどんどん歩いてみます。
大乗妙典六十六部供養塔
薬師堂
オオヒキ石(この辺りに繭の乾燥小屋があった。蚕の繭が上手く「ひけ」るように)とみんなでこのオオヒキ石にお参りをした。
徳本上人の碑(中央)と蚕蛹供養塔(右)と馬頭観音(手前左)
どんどんと歩いていこう。
この辺りは「なかみち」と呼ばれています。(私の家はこの近く)
この地域の一番のにぎわった所と思われます。
かつてはどんど焼きが行われました。
さらに西へ、と進みますが、ここからはもう誰も歩かない道に。
けもの道のようになってしまっています。蜘蛛の巣が顔に触れるほど。
左側すぐ下には津久井湖が・・・。すべらないように気をつけて。
この先に三猿の庚申塔があるというので、
そこまではと、がまんして歩きました。
すると、ありました。
どなたかがお正月飾りを祀りにきたようです。
この先はもっと道が険しそうなので、引き返しました。
全長のうちの約半分くらいの距離を歩いたことになります。
古道は
重い荷を負い、愛馬の手綱をとり、愛馬と語らいながら
歩んだ道、
狐に化かされたなど奇異なる現象に出会った道、
学校帰りのこどもたちが道草を食った道、
そして、ついこの間までは、自治会住民が協力して
道普請を行ったりもした道。
先人たちの生活に密着した古道を後世に大切に
伝え残していきたいものと思いました。