サンデー時評:75歳以上を「隔離」する狙いは何だ
同じ老人でも、肥満老人は新年度をことのほか寒々とした気分で迎えたことだろう。メタボ健診制度と後期高齢者医療制度が同時にスタートしたからだ。
私がほぼそれに該当する。最近測ったことがないが、多分、腹囲百十数センチ、だれのせいでもない。半世紀以上も自堕落に飲酒を続けたのが原因であることは明白、自省するしかないが、いまさら節酒の決意をするつもりもなく、にもかかわらず腹囲測定なんて、という程度の不快感である。
矛盾したことを言うようだが、ひょっとして、ライフスタイルを切り替えるきっかけになるかもしれないので、近々健診を受けてみるつもりだ。ご報告する材料があれば、そのときに。
しかし、もう一つの制度は我慢ならない。
「現代のうば捨て山だ」
という怒りの声が早くから渦巻いている。同じ言葉を繰り返すつもりはないが、山に運ばれて捨てられるなら、極貧時代の老人悲劇という構図がはっきりしている。
だが、新制度の構図はまぎらわしい。運び、捨てる。もちろん、そんな野蛮な行為があるわけではない。しかし、この制度のために、七十五歳以上の後期高齢者たちの被害者意識、被差別意識は、高齢化が進むにつれて確実に深まっていく。言ってみれば、集団うば捨て的な末世状況になる。だれが悪いのか。制度か、いや制度を作った厚生労働省の役人と法律を成立させた政治家だ。
私もあと二年半で〈後期〉の仲間入りをする。ネーミングについての反発は制度の中身と同じくらい激しく、先日、民放テレビで同席した坂口力元厚労相は、
「厚労省という役所は名称をつけるのがへたなもんで……」
と苦りきっていた。しかし、へたなのでなく、名が体を表しているのだ。
知り合いの老女性がこんな体験を話していた。まだ制度発足前のことである。
「病院の受付で保険証を渡したところ、係の女性が大きな声で『えーと、まだコーキじゃないですね』と言うんです。瞬間、何のことかわからない。『えっ』とあいまいな返事をして、ひょっと振り返ると、イスに座っている老人たちが、いっせいに私のほうをにらんでいる。ぎょっとしました。あとで、あの人たち、みんな後期だったんだ、と気づいたんです。私ももう少しでそうなるんですが」
係の人は発足前から、その意識になっていて、老人たちも気にしていた。いやな光景である。高齢者の間に前期(六十五〜七十四歳)と後期の線が引かれたことによって、老人の間にも奇妙な空気が流れているのがわかる。
さすがにまずいと、福田康夫首相が、呼び名を〈後期高齢者〉から〈長寿〉に変えるよう指示したそうだが、それが新制度スタートの日というからあきれる。この人、何をやっても遅すぎる。
通称名を変えたところで内容が変わるわけではなく、では、前期はどう呼ぶのか。とにかく線引きの思想がよろしくない。
◇戦後築いた老人切り捨て年金財政の健全化図る!?
〈厚生〉の意味は、生活を健康で豊かなものにすること、と辞書にある。だが、厚労省という役所は、もはやそれを実現しようとしている役所ではない。後期高齢者医療制度だけでなく、すべての施策が〈厚生〉の本来の精神に逆行している、と私には思える。
新制度は〈後期〉の生活を健康で豊かなものにするために作られたのではない。では、どんな狙いなのか−。
一三〇〇万人といわれる〈後期〉の医療費が国民全体の医療費の三分の一を占める現状は確かだ。新制度はこれを改善し、財政負担の軽減を図るための措置、と説明されている。
それなら、これまで優遇されていた高齢者医療保険制度を徐々に廃止して、一般の保険制度に統一していくのが、常識的な方向と思われるが、唐突に〈前期〉と〈後期〉に分断し、〈後期〉だけに差別的な制度を導入したのだ。
一三〇〇万人は独立した医療制度に移し、全員から年金天引きの保険料を徴収する(全国平均で月額六〇〇〇円)ことによって、現役世代の負担を軽減する。そうしないと、医療全体が崩壊する、と厚労省や新制度を推進した丹羽雄哉元厚相らは言う。
第一の疑問は、医療保険会計の黒字化が目的なら、〈後期〉だけを扶養家族から切り離して天引き徴収するのでなく、すべての扶養家族から徴収するのが効果的なはずだ。なぜ〈後期〉に限定するのか、理由がわからない。
第二の疑問は、保険料未払い者に対しては、保険証取り上げ措置をとるというが、低所得の〈後期〉を見捨てることにならないか。体力の衰えが始まり、がん・脳梗塞・心筋梗塞などの高度医療を必要とする病気にかかりやすい七十五歳以上を、隔離して邪魔者扱いしていると勘ぐりたくなる。
また、〈かかりつけ医制度〉の義務付けも、人生の最終段階で医師選択の自由を奪いかねない。とにかく、疑問点が多すぎるのである。
恐ろしい指摘も聞いた。年齢別人口構成表を見れば一目瞭然だが、頭部にあたる〈後期〉の部分が膨らんで頭でっかちになっている。これを支える胴体や手足は少子化のせいで貧弱だ。
「そこで、医療会計と同時に社会保険庁を通じて『年金会計』をも所管する厚労省は、医療制度の改革という方法を用いて、頭部にあたる後期高齢者の年金受給人口を人為的に減らすほうが手っ取り早い、と考えたのかもしれない」
という一部の医療専門家による裏読みである。医療財政でなく、実は年金財政の健全化が真の狙いだった。
そんな国家犯罪みたいなことは信じたくないし、あってはならない。だが、隔離政策による〈後期〉の冷遇は歴然としている。
〈後期〉の多くは五十年以上も健康保険料を払い続け、その割に健常者として保険給付を受けることが少なく、保険制度に貢献した人たちである。しかも、戦後の日本を経済大国に押し上げた功労者だ。それを、感謝どころか、厄介者扱いするのでは、三等国以下になる。
<今週のひと言>
ガソリン料金は国家の大事ではない。
(サンデー毎日 2008年4月20日増大号)
2008年4月9日 毎日新聞
岩見 隆夫(いわみ・たかお)

毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。

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