【発言します】
和歌の浦フォーラム代表 多田道夫さん
【景観保全をどう進めますか】
◇名草山の景色守りたい◇
――和歌山市の和歌浦地区で景観保全に取り組む「和歌の浦フォーラム」はどんな活動をしているのですか。
「景観問題に取り組んでいたメンバーを中心に10人ほどが集まり、04年2月に立ち上げた。05年度に県の『手づくりのまちづくり推進モデル事業』に採択され、シンポジウム開催などの活動をしている。特に名草山など、和歌浦地区の東側に見える景観を守ることを目的としている」
――なぜ、その場所なのですか。
「本来の『和歌浦の景観』は、和歌浦地区そのものの景色ではなく、和歌浦から見た和歌川を挟んだ対岸の風景。山部赤人が詠んだアシやツルはもう見られないが、山の稜線(りょうせん)だけは古代のままで当時をしのばせる。水面と山が織りなす景色は人の目と心を引きつける」
――周辺の現状は。
「名草山のふもとにあたる布引地区は農地が多く、高い建物がないため、今でも稜線がきれいに見える。当面、大きく農地がへることはなく、大丈夫だろう。しかし、近くに県立医科大が移転し、マンションが建つなどしている」
――景観を守るにはどのような方策がありますか。
「フォーラム結成時は建築物の高さ制限で守りたいと考えていた。04年12月施行の景観法を用いれば、建築物の高さやデザインについて規制することができる。ただ、住民にも色々な考えの人がおり、新たな規制を設けるのは難しい面もある」
「農地の保全策をとることも考えられる。景観保全だけでなく、ヒートアイランド現象を防ぐなど、農地には多様な側面がある。行政にはそれを生かす施策を望みたい」
――相次ぐ埋め立てなどですでに景観は大きく損なわれているのでは。
「海南市沖や和歌山マリーナシティの埋め立てで、和歌浦の景観はだめになってしまったと言う人もいる。しかし、だからといって放ってはおけない。今、残されているものだけでも守らないといけない」
――和歌浦の景観保全を考えるようになったのはいつからですか。
「実家は和歌浦の呉服店。京都から着た問屋の人が『いいところに住んでいる』とよく言っていた。小さな頃は、なぜそう言われるのかわからなかった」
「和歌浦のすばらしさに目を開かされたのは30代半ばになってから。その後、景観を守らないといけないと思うようになった」
――長い間、和歌浦の景観を守る活動を続けてきました。
「あしべ橋建設の是非を問う裁判の際、作家の中上健次さんがメッセージを寄せてくれた。その中に『景観の破壊は、人の、文化の破壊です。棘々(とげとげ)しい時代の今、人心の荒(すさ)んだ今、景観の重大さが一層、明確になります』とあった」
「私も同感で、景観は詩や芸術と同様、心に欠けたものを埋め、安定をもたらすものだと思う」 (聞き手・大部智洋)
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和歌の浦フォーラム代表 多田道夫さん (79)

ただ・みちお 26年、和歌山市生まれ。東京大文学部卒。和歌山大教育学部で教鞭(きょうべん)を執る傍ら、和歌浦の景勝地にかかるあしべ橋の建設に反対して訴訟を起こすなど、景観保全に取り組んできた。現在、同大名誉教授。専門はボードレールをはじめとするフランス文学。

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