裁判官も社会知ろう
エンジンブレーキというのは、どこについているんですか
【生活らしんばん】 法廷メモランダム
松本久さん-2-
京都地方裁判所第4民事部総括判事
48年静岡県生まれ。73年司法試験合格。主として民事裁判を担当。02年6月から現職。
2004年06月15日 asahi.com マイタウン 京都
私が任官した昭和50年代、ある交通事故の裁判で、運転者である被告が「エンジンブレーキを使って減速した」と表現したところ、裁判官がそのように尋ねて一瞬法廷が静まりかえったという話を聞いたことがある。世間知らずで非常識な裁判官の一例としてあげられるエピソードである。
今では、エンジンブレーキが何であるか知らないような裁判官はいないと思う。しかし、当時は、裁判官には社会経験より廉潔性、慎重さが今以上に強く求められていたように思われ、このような裁判官がいても不思議ではなかったと思われる。この裁判官も、日常生活で他人と争いを起こしたり、いわんや訴訟の当事者になるようなことがあってはいけないということに最大限の神経を使っていた人かもしれない。そして、自動車の運転は、事故や紛争に巻き込まれる可能性があるから絶対にしないという考えで、自動車に関心を持たなかったことから、冒頭のような発言に結びついたのかも知れない。
当時から、裁判官は社会経験が不足しているのではないかという指摘があった。しかし、一方では、自動車の運転ができなければ交通事件の裁判ができないのかという議論や、さらには裁判官が窃盗犯の気持ちを理解するためには窃盗の経験が必要なのかという極端な議論さえあり、当時若手だった私も、裁判官の社会経験の不足をどう克服すべきかについて真剣に考えていたことを思い起こす。ある大先輩の裁判官からは、「社会経験を云々(うんぬん)するよりも、まず謙虚に裁判記録から社会の実態や人間の行動を学ぶという姿勢を持つことが肝要である」と教えられ、それなりに納得できる部分もあった。しかし、他方では、裁判記録には犯罪や違法行為といった社会の病理現象に関するものが多いので、正常な社会実態を理解するには限界があるように感じた覚えがある。
現在行われている若手裁判官の民間企業への出向や他職経験制度の新設は、裁判官が社会経験を積むための貴重な機会であり、当時とは隔世の感があり、大いに活用するべきである。しかし、社会経験について裁判官の抱える問題はそれのみで解決するとは思えない。我々はもう少し、日常的に裁判以外で多くの人たちと接して、社会の動きなどを知る必要があるのかも知れない。もっとも、社会的紛争の種は裁判官の私生活の周りにもたくさんある。例えば、自分の所属する自治会で、ワンルームマンション建設に関する要望書を業者に提出することが話題になることもある。このような場合、現在のところ、多くの裁判官は仕事柄その中に安易に入り込めないと考えていると思う。しかし、今後は、裁判官として自己の行動に問題がないかを注意深く配慮しつつ、問題のないものについては幅広く市民としての活動にとけ込めるようになっていくべきであろうし、周囲の人たちにも裁判官の仕事や生活に理解を示してもらえるように努めるべきであろうと思う。

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