1年ぶりに Fさん母娘に誘われて ブルーノートに行きました。
なんと、今回は FRANK SINATRA Jr。
お父さん(現役時代それほどは見てませんが 写真等と比べても)に 顔も声もそっくり。
外人の観客も多く、当然満席で 懐かし歌には大拍手。
久しぶりにジャズに浸った満足な夜でした。
以下 ブルーノートのホームページから引用。
「マイ・ウェイ」、「ニューヨーク・ニューヨーク」、「夜のストレンジャー」等、数多くの名曲で知られる最高峰のエンタテイナー、フランク・シナトラ。そのDNAを受け継ぎ、ショウ・ビジネス界の王道を歩み続けるフランク・シナトラJr.が、奇跡のクラブ初出演を果たす! ナンシー・シナトラの弟である彼は少年時代から芸能界で活躍し、19歳でサム・ドナヒュー楽団に参加。テレビ・ショウの司会や俳優としても名声を高め、作曲家、指揮者としても評価を集めている。そんな彼が偉大なフランク・シナトラへの思いを込めて、超一流のミュージシャンと繰り広げる本公演。父譲りの深みのある歌声で、不滅のシナトラ・ナンバーが鮮やかに蘇る。
フランク・シナトラJr.-FRANK SINATRA Jr.
●1944年1月10日、ニュージャージー州ジャージー・シティ生まれ。本名はフランクリン・ウェイン・エマニュエル・シナトラ。20世紀を代表する大歌手、大俳優フランク・シナトラの第三子で長男。長女は父親と同じ道で大成したナンシー。5歳でヴァイオリン、ピアノ、作詞作曲、歌を学び始める。アリゾナのプラヴェート・スクールで学ぶ間、次第に歌や作曲に傾倒していった。歌手の道に進んだのは’63年、名を伏せたままトミー・ドーシー楽団の残り組に参加。何もかも父親譲りはすぐに話題に上り、この年の暮れには誘拐事件に巻き込まれるが、幸いにも事なきを得て音楽活動に専念。’65年に『Young Love For Sale』でメジャー・デビューを飾る。人気TV番組『ディーン・マーティン・ショウ』のホスト役から、自身の『フランク・シナトラJr.ウィズ・ファミリー&フレンズ』を持つまでになり、’70年公開の日本映画『ある兵士の賭け』では三船敏郎と共演。それでも、年に300回以上のステージを消化するタフな実戦マナーで、全米の隅々まで駆け巡った。その甲斐あって、RCA傘下のレーベルから発表した『Spice』と『His Way』では、ネルソン・リドルの名編曲も得て各方面から手放しの賛辞を浴びた。’77年にカントリー&ウェスタン調のアルバム『It's Alright』を出してから、レコーディング・アーティストとしては低迷を続けるが、’88年、父親直々の命を受け、ミュージカル・ディレクター兼コンダクターに就任。そこから約5年に及ぶ献身が実を結び、シナトラ・シニアの大作『デュエッツU』の録音に歌手として参加。アントニオ・カルロス・ジョビン、スティーヴィー・ワンダー、リナ・ホーンなど斯界のトップに混じって〈マイ・カインド・オブ・タウン〉を父子でデュエット。アルバムが’95年のグラミーに輝くことで、持ち場を大きく広げることに。名門レーベルのエンジェルから19年ぶりのアルバム『As I Remember It』を発表した’96年は、“ウォズ・ノット・ウォズ”の『What Up Dog』にカメオ出演するほか、人気TVシリーズ『スタートレック』でもお茶の間をわかせた。父フランクが他界したのは、’98年5月14日のこと。心中では力を落としても、エンターティナーぶりを崩さず、ラスベガスを拠点に精力的に活動。シナトラ・ファミリーただひとりの男声二世歌手として、その系譜を今に伸ばしてきた。最新作は、父親の持ち歌などスタンダード・ソングを軸にした『That Face!』(Rhino/海外盤)。ブルーノート東京に出演するのは初めて。

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