2009/10/10  2:03

路上  出来事

 
 最近、前にも増して路上で歌うようになった。なったというか、無理やりそうしている気がする。今度の公演の宣伝のためでもあるけれど、何よりもやっぱりいい練習になるからだ。中杉ストンパーズという奇跡のジャグバンド時代から、阿佐ヶ谷、高円寺、中野、荻窪、西荻、吉祥寺、三鷹、新宿といういわゆる中央線沿線がほとんどだけれど、いろんな場所で歌ってきた。

 毎回の事だけれど、歌い始めが一番緊張する。だいたいいつも夜の8時頃から終電間際まで歌うのだけど、駅からまるで雪崩のように溢れ出てくる人々に向けて歌うのはそれなりのパワーがいる。

 人の欲が生む力というのは凄まじいと思う。どんな人でも必ず何かに向かって歩いている。帰りにたとえ何も考えずぼーっと歩いていたとしても、足はやっぱり家に向かっている。
 その視線の先はラーメン屋かもしれない。友人が居酒屋で待っているのかもしれない。恋人や家族が家で待っているかもしれない。見たいテレビ番組があるかもしれない。月に一度のキャバクラの日かもしれない。スーパーの見切り品が買いたくて走っているのかもしれない。次の日に重大な仕事があるのかもしれない。とにかくトイレかもしれない。そういう人々に向かって歌うのはやっぱり相当なことだと思う。
 中央線の路上ミュージシャンの顔と言っても過言ではない矢野忠さんは、若いころ朝の会社へ行く人々に向けて駅で歌っていたらしい。信じられない。ジャズピアニストの小林創さんはアップライトピアノをリアカーで家から運んできて駅前で弾いていたらしい。伝説です。(笑) どちらも一度でいいから見たかったなー。

 とにかく、路上は様々な欲で満ちている場所なんですね。そんな路上だから歌い始めは難しい。最初のうちは自分も頑張ってなんとか人の注意を引こうとする。けれど、こちらの欲が見えれば見えるほど人は離れていくんです。男と女の関係に少し似ているのかな。でも歌い出してしばらく経って、ちょっと自分でも疲れてきたぐらいの時に何故か一人立ち止まったりする。だから歌い続けるしかない。一人立ち止まるとまた一人、そしてまた一人と自然に増え始める。なんなんだろう。
 
 歌声や、声量、楽器の技術はもちろん大切だけれど、人が足を止める瞬間というのはそれ以上にその場の空気感とかが重要なのだと思う。自分が街を歩いていて誰かが何かを発信していてふと足を止めてしまう瞬間を想像すると、やはりそんな気がする。どんなに下手くそだって、「この人いいなーとか」とか、「あ、これ好きやな」って一瞬で思わせる何かがあればそれで十分なんだと思うのです。

 僕はそうありたいなぁと思います。おそらくそれはどんなアーティストや芸人にとっても一番大事な要素ではないかと思います。まあ好みの問題もあるけどね。

 路上とか大道芸ってのはふと現実を忘れて夢を見れる所なのかな。そうあるべきだと思います。自分にとっても道行く人にとっても一番気持ちイイところを作れなきゃいい路上の風景にはなりえないんですね。もっと自由に歌えるようになればいいと思う。ヤクザな世界の事情や役所の決まりもあるだろうけど、いい音楽やいいアートが街角にいつもあることのほうがよっぽどいい街づくりになると思う。あと、これ以上、どの駅も同じような風景にするのはやめてほしい。降りる駅を間違える。スターバックスとかもういらないから地元のお店を助けてほしい。下北の開発もどうなっていくのだろう。心配。

 考えるといろいろあるな。がんばろう。
 
 路上日記続きそうです。



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ