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2013/7/6

一ノ橋JCTの真下 麻布十番の古川  ちょっとお出かけ

先日書いた一ノ橋ジャンクションの下には、古川という川が流れています。現在とほぼ同じ形で、江戸の古地図にも載っている歴史のある川です。

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東京湾の竹芝桟橋の脇から内陸に入り、ほぼ直角に曲がるこの場所は、荷卸し場となっていたそう。江戸時代、この辺りは松平様の広大なお屋敷ばかり、さぞ日本中の貴重な物資が集まったことでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します 一之橋

この川は江戸時代から盛んに河川整備工事が行われていました。芝公園の方からこの一ノ橋までの工事と、白金方面からここまでの工事の2度、この辺りが十番工区となったことから、「じゅうばん」と呼ばれるようになりました。近くの馬場は十番馬場、近辺の住民で工事に参加した人を十番人工と呼んだそうです。

それが今の麻布十番という地名に引き継がれています。

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十番馬場はこの辺にあったらしい。

古川はこの先、渋谷区に入ると渋谷川という名前になり、渋谷駅のところで消えていますが(地下水路になっているのかもしれない)、江戸の地図ではさらに新宿区方向へ延び、玉川上水と繋がっていたようです。

渋谷のあの坂を思うと、海から遡って物資の運搬に使えたのは渋谷駅辺りの谷底につくまでで、そこから上流は農業水路としての役割だったのかと思います。地図では川の周囲にだけ田んぼがあり、少し離れると畑ばかりになります。棚田で苦労しながらも細々と稲作を続けていたことでしょう。

川瀬巴水の版画を見ていると、昭和初期までは物資の運搬に水路を使っていたようですから、水運が盛んな時代から、真上に高速道路が作られ、川がただの排水路のようになっていく変化を、つぶさに見ていた人もいるはずです。

社会を覆う新しい時代を歓迎するムードの一方、大事にしていたものが役割を失い、見捨てられていく側面もありました。
「ひでえことしやがる」
なんて老人の小さな嘆息が聞こえてきそうな、一ノ橋ジャンクションの下の眺めでした。

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