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2011/8/31

小田原城の石垣  ちょっとお出かけ

小田原城は城を開いた北条氏がおよそ百年、その後徳川家康の家臣大久保氏から始まり、ちょくちょく城主が変わりながらも明治3年まで城として機能していました。

その間、地震で壊れること3度。
1.1703年 天守閣倒壊
2.1782年 天守閣が傾く
3.1853年 石垣が崩れる。
廃城後も、大正12年の関東大震災で石垣が崩壊。まずおっかないところに建っているもんだ。

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二の丸東掘にかかる学橋です。

関東大震災前には、橋を渡った先にある石垣は現在の倍の高さがあったようです。堀は広いし石垣は高いしで、立派な城ですなあ。



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本丸の外側の道を歩くと、崩れたらしい石垣が野積みにされたままです。きれいな形の岩だけど、どうみても庭として作ってある置き方じゃない、市立図書館前は不思議な景色でした。地震の爪痕ならば残しておくのも良いかもしれない。

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一枚目の写真の場所は標高12m。
「えっ、そんな低いの?」
とゾッとしました。その高さではもし今回の三陸と同規模の津波が来たら、まるっきり海の底。この間泥さらいをした大槌中学校と海との関係より、小田原城はずっと海に近いですよ。

でもこの城の600年に及ぶ歴史でも、津波の被害に会ったとは書かれていないので、相模湾って津波が起きない海なのでしょうか。

とはいえ、今までなかったからこれからもないとは言えないよね、と今年からは思います。


苦手な戦国時代の話しにつづく
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