ご来訪ありがとうございます。当ブログ管理人は引き続き別ブログを更新しております。よろしければそちらもご覧ください。 「hitomiのたから箱 」http://1yo1yo2haiku.blog16.fc2.com/

2011/6/18

高遠・絵島屋敷と杉本苑子「絵島疑獄」  旅行

絵島は、六代将軍徳川家宣の側室お喜代の方に仕えていた大奥の女中、若くして大年寄となった歴史上の人物であるが、正室一派の罠にはまり罪人として生涯を終えている。

クリックすると元のサイズで表示します

絵島が永遠流の罪で幽閉されていた家屋を昭和42年に再建築したのが、現在の長野県伊那市高遠にあるこの絵島屋敷である。


クリックすると元のサイズで表示します

江戸から流されて最初の囲み屋敷は非持村(伊那市長谷)にあった。現在はそこに建物はないが、それと示す石碑が置かれている。伊那の市街地からかなり離れ、急坂を登った先にある現在でもうら寂しいところだった。

小説の中では、絵島の模範囚的生活からせめてもう少しましな場所でと、預かっていた内藤家が警護の家来の負担を理由に屋敷の移設を江戸に打診し、高遠城の近くに移される。そこが現存する絵島囲み屋敷の場所である。

クリックすると元のサイズで表示します

写真を撮り損ねたが、この屋敷の見所は建物よりも周囲を囲む高さ八尺の板塀、その上に三尺の忍び返しがついた、牢獄らしいものものしさである。座敷から外の景色を眺めることは一切できない。

同時に処分された人々が遠流を解かれて江戸に戻る頃と前後し、絵島はここで61歳の生涯を閉じる。

クリックすると元のサイズで表示します

正徳4年七草を過ぎたある日、将軍家の菩提寺である増上寺の墓参りの後、芝居見物をし、帰城が門限を過ぎたというだけの罪で、死罪を含め1500人の処分がなされたのが「絵島事件」である。

その後、幼少で没した七代将軍(家宣と側室お喜代の方の子)の次に、家宣と対立する紀州家の吉宗が八代将軍となる。

それゆえ公的に残る書類は、すべて絵島を罠にはめた正室派に都合の良いよう作られたであろうし、後年この事件は歌舞伎の題材になり、それには絵島と歌舞伎役者が恋仲であったと脚色されたらしい。時代は絵島を悪女としたかったのだ。

歴史上そういうことと人々の記憶に片付けられていたものを、検証し直した小説が「絵島疑獄」である。史実と創作を読み分けなければ思いつつ、創作の世界を信じ込んで浸りこむ夢想感の魅力には抗い切れない。


私は、この小説を読んでいると京都人の陰険さ、老獪さ、底意地の悪さにはほとほと嫌悪感を覚える。長い歴史の中に積重ねられた京都人の、人を嵌めることも厭わない悪辣な想念が、後年都を一地方へと転化させる原動力となっていったのではないか。社会とは人の心が動かすものだから。

・・・などと書くと、杉本苑子のいう
「元来がいささか深謀に欠ける江戸女、思慮の浅い単純性格」
そのままとなってしまいそうだが。


絵島囲み屋敷
長野県伊那市高遠町東高遠457 伊那市立高遠町歴史博物館内

絵島疑獄 上・下
杉本苑子著
講談社文庫
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ