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2010/7/27

稲城フェスティバルの南多摩弾薬庫跡  ちょっとお出かけ

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 旧日本軍の多摩弾薬庫跡で、現在は米軍多摩レクリエーションセンターです。稲城フェスティバルの機会に中に入ってきました。

行こうと思い立った理由は、過去記事に。

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イベントの中心はアマチュアバンドのステージ。

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せっかく来たので、名物肉だけハンバーガーを食べ、メイド・イン・ホンジュラスの安いTシャツを買いました。販売の男の子曰く「洗うと縮みますよ(笑)」。

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 ここはいかにもアメリカ的な周囲とは雰囲気が違いました。この階段の手前には説明看板があり読むとどうやらこの奥には祠があるそうです。

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日本の工場では幸運と安全の守り神として祠を置く習慣があること、
ここには火防の神様である静岡県の秋葉神社を勧請したこと、
その記念としてスモウ・レスリング大会が催され、以後終戦まで
たくさんの競技会や公的な集会が開催されたこと(これは本当か?)、
神社前の男坂、女坂のこと、
などが書かれています。


 この階段前には、他の場所にあるような立入禁止の柵がなかったため、近くにいた係員の男性(日本人)に、
「ここは入れるんですか?」
と聞くと、すまなそうに
「申し訳ございません、こちらも立ち入りはご遠慮いただいております」
と丁寧な日本語で断られました。米軍関係者の日本人とは思えない、真っ当な日本語。若い人はだんだんそうなっているのですね。

 一方、ゲート前のテント内にいた私と同年代の女性は、私たちの前にいた老夫婦との短いやり取りの後、急に声を荒げて、
「ここは軍ですからっ、軍の規則に従っていただきますっっ!」
と剣呑な態度。そうそうこれこれ、米軍周辺にいる日本人によく見られる高飛車な態度です。でも若い人は違ったから世の中変わってきているのかもしれません。

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 東京の市部とは思えないほど、深い森。もし高度経済成長期に返還されていたら、あっさりこの森は姿を消し、殺風景な団地が並んでいたでしょう。それを考えると複雑ですが、都側が要求しているように、せめて都民もレクリエーションに使えるようになると良いと思います。火薬工場を日本の歴史遺産として残す権利を持っているのは、誰なのでしょう。

 横浜市の田奈弾薬庫は昭和30年代と早々に返還されたのに、こちらは現在に至っても返還されないのは一体なぜなのか?・・・それは・・・、というおとぎ話(?)が、小説「日輪の遺産」には書かれています。

 大体想像した通りの空気でした。終戦直前で、季節もちょうど今頃の暑かったとき。異常な時代を精一杯真面目に生きていた若者たちの心を思い、しみじみとしていました。


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