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2013/8/16

旧新橋停車場とその周辺  ちょっとお出かけ

新橋。

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この新橋の欄干と、↓旧新橋停車場の雰囲気がよく似ていると思いました。白っぽい色で直線的なところ。二つセットだったのでしょうか。

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旧新橋停車場はアメリカ人の設計で明治4年5月に着工、同年12月に完成。なんて突貫工事でしょう。明治4年5月といえば廃藩置県の前、八重さんの時代ですよ。ほとんどの人が日本髪を結い和服を着ていた時代に、この建物。

まだ陸運より水運が盛んだった時代、今の歌舞伎座すぐ横の道路は広い運河でした。海から入って銀座の街中を通り、新橋で直角に曲がる手前、その視界の先にこの建物どーん。

ううーん、偉容を誇るというか、異様な眺め?どうも私は、新しい時代の既成事実を作りたいという新政府のあせりを感じてしまうのですが。

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本物の旧新橋停車場の建物は関東大震災で焼失、今建っているのは平成8年、汐留の再開発に伴って再建されたものです。やはり絵画よりも、実物大の物体は想像力をかき立てる力が段違いに大きいですね。


茂木健一郎さんの著書で、脳は外から入った情報を approach か avoid かに瞬時に分ける、といった意味の文章を読みました。すべてのことは、近づきたいか遠ざけたいかのどちらか。

自分が明治4年に生きていた江戸の人間だったら、この建物に対して approach/avoid どちらを思い、どういう行動をし、でも結局そこにあるものと受け入れたんだろうけど、などとその過程を想像して楽しみます。

もう一つ興味があるのは、明治初期はアメリカに傾倒していたようですが、明治後期以降の東京はヨーロッパ調が色濃くなってきます(近衛師団司令部庁舎とか東京駅とか)。その切り替わりの過程に、当時の政治家・官僚たちのどういう approach/avoid があったのかな、ということです。これについては、ゆっくり調べていこうと思います。


さてこの当日、フェイスブックの方にテッポウユリがきれいと、ここの写真をアップしましたが、タカサゴユリの間違いでした。

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葉の形が違うのです。この細い葉はタカサゴユリでした。ごめんなさい。


以前来たときの記事(2010.5.24)
http://fine.ap.teacup.com/1yo1yo2/1925.html
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