最近、タモリの面白さ・企画とはメディウムスペシフィックだ、とふと思った。
『タモリ倶楽部』をはじめとする、あの退屈さ、くだらなさの発見とはテレビでしかなしえなかったと思う。ラジオでも、ネットでも、活字でもできない。あの脱力と興奮はテレビでしか無理なのだ。それを活かしきる技術、タモリにはその絶妙なエスプリがある。似たような番組は多く企画されているが、どうしても番組の小ささや、企画者、出演者の自意識の押し付け、内輪の閉じた感じなどが見えてしまう。そういった番組の多くには伸びやかな広がりが見えないのである。とはいえ、このタモリの発見と技術こそが、タモリ自身のマンネリズムを導き出しており、もっとも批判される場所ともなっている。しかし現在においてそのタモリへの批判は、テレビというメディアそのものに対する一つの批判にもなりえるようになった気がする。
さて話は変わって、柳沢慎吾のものまねはなぜ何度見ても飽きることなく惹きつけられるのだろうか。何をものまねしてもあの変わらぬテンション。あのテンションに持っていかれる感覚こそが快感なんだろうか。