
Michelangelo『The Pietà 』(1499)
Michelangelo(ミケランジェロ)の彫刻作品の中で、最も有名な作品の一つであるサン・ピエトロ大聖堂にある『The Pietà』(ピエタ)。十字架から降ろされ、すでに亡骸となって聖母マリアに抱かれているイエス・キリストは完全に力を失っている。キリストの身体は下に落ちそうでもあるし、前方にずり落ちそうでもある。それをマリアはやわらかく抱えている。そのやわらかさとは、キリストの脇を抱えるマリアの右手と、背中を持ち上げ支えているマリアの右足の部分は亡骸の重さを伝えながらも、マリアの左手はキリストの膝をまったく抱えていないところにある。キリストの重心はそれによって、マリアの両腿の間(キリストの腰部)に集中される(もちろん実際の重心は見る時の感覚とは落差がある事は大前提)。
また、マリアの右手に抱えられているキリストの脇は、筋肉の盛り上がりと布の食い込みによって、うなだれている頭部とともに身体のやわらかさを伝えている。そしてグッタリとした身体は、心臓が停止し、自らの血流を止め重力に抵抗することのない血液を感じさせる。このやわらかく弛緩した肉体と自らの力で流れる事のない血液としての亡骸は、半分布化し、半分液体化しているように見える。
やわらかく抱かれ、不安定に置かれたその亡骸が、両腿の間に重心を置き落ちそうな危うい感覚の中にあり、両腿の間に布の襞によってできた空間はその不安定さをさらに掻きたてるが、その空間は何かとても意味深いもののように思える。
なぜならその空間は、マリアがキリストを胎内回帰として、子宮に再び戻してゆくこと(つまり復活の意味あい)が示唆づけられているように思えるからだ。前に滑り落ちそうなキリストを右腕と両足で支えながら、ゆっくりと両腿の間へと落としこんでいくような感覚。そう感じるのはマリアがキリストの顔や、死から引き起こされるであろう感情に、一切の関心を示すことなく、キリストの重心その一点を見つめているからかもしれない。少なくともその襞によってできた空間は、見る者に物理的な不安定さをエフェクトとして強調するのみならず、衣服よって隠された両腿の奥行き(マリアの身体)を鑑賞者に対し示している。
キリストのゆっくりと沈んでいくかのような感覚は、あくまでも重力という非人為的なものによって引き起こされるのである。それをもし胎内回帰と考えるのであれば、無原罪懐胎と同様に神の思し召しであり、マリアの左手のポーズは、その動きに対する非介入としての身振りとなっているといえるだろう。
キリストは死んでいるとはいえ、顔は明らかに天を仰いでおり、母親であるマリアも、神の思し召しとして胎内回帰(身体の沈下)を誘いながら見守っている。つまりキリストとマリアは、目線を合わせることもなく、上と下とまったく対称的な方向を見ているが、見ているものは同じ神の御心ではないだろうか。その意味でこの半分布化し、半分液体化したキリストの亡骸の表現はきわめて巧みにその感覚を作り出している。
マリアの垂直性とキリストの水平性、股の間に示される奥行き(空間)。また、キリストの身体が半分液体化し、半分布化している感覚と重力、マリアのやわらかに抱えるポーズ。これらの要素は、宗教的なものは関係がないにせよ、Morris Louis(モーリス・ルイス)の作品・制作過程と共通した問題意識があるはずだ。このマリアの両手の感覚こそ、Louisが問題にした飛躍と緊張ではないだろうか。

Morris Louis 『Alpha-Pi』(1960)
Acrylic on canvas(260.4 x 449.6 cm)