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投稿者:石川
※追記
とおりすがりさん、ローラ・オーエンズはずいぶん前に書いた文章で恥ずかしいですが、読んでいただけてうれしいです。ありがとうございます。
投稿者:石川
とおりすがりさんに向けてではありませんが、レスポンスです。
僕が危惧しているのは、日本において人が、美術が、他者にたいして「耳を傾けなくなる」事です。
なるほど、強行にやらなければ政治はできない。小泉・竹中が行おうとした事は、とおりすがりさんが言われたとおりだと思います。けれども結果ははたしてどうだったのか。そして彼らが強行に推し進めたやり方はどう捉えるべきなのか(ファシズムと手本にするようなやり方と批判されていた事は今や忘却の彼方です)。僕はこれが文化的にはかなりまずい影響を与えたと思います。
日本の現代美術のギャラリーにも同じことが言えると思います。何人かの意識の高いギャラリスト・作家が、小泉・竹中同様に志を持ち日本の美術界を変えようとしたと思う。政治と一緒でそこで生まれる犠牲は仕方ない。しかし、はたして結果はどうなのか?彼らが思い描いたような状況にはなっていないと思います。マーケットだけで美術は成り立たないし、マーケットが多少の広がりを見せたって、結局美術の可能性はぜんぜん広がならないじゃないか!ということが明確になってきた。
アメリカのようにヒステリックに政治に反応する必要はないけれど、なぜ日本には小泉(ブッシュ)のあとにオバマのような人物が出てこないんでしょうか。
少なくとも美術においてこの問題意識が生まれなければ、とおりすがりさんが言うように、ここ十年くらいの美術の状況がなにもなかったことになってしまう。作家やギャラリーがバブルの崩壊で消える事で問題は解消しないし、僕はそれを望んでもいません。そんな事ではなく、犠牲にしてはいけないものを犠牲にしたことに対する見直しです。
そういった中で、松井みどり氏が提唱したマイクロ・ポップは、マイナー性以前に美術の「隠遁化」を急速に推し進めてしまった。作家が社会や観客や歴史に対して背を向けて制作をすること、それが美術における支配的な態度となりつつある。カフカが観客や社会に背を向けて小説を書いていたように思えるか、そんなはずないでしょと強く言わなければならない。
カウンターカルチャーが登場しなければ、いろいろな問題はうやむやなまま、今の状況が築いてきた良い部分まで消えてしまいます。
投稿者:とおりすがり
言い忘れましたが、初めてここを覗いたのはローラ・オーエンズへのコメントが検索で引っかかったためです。あの文章はなかなか秀逸でした。ありがとう。
投稿者:とおりすがり
先日は挨拶もせず書き込みしまして申し訳ありません。

過去の例に倣うまでもなく大方の作家やギャラリーなどは景気の落ち込みにより雲散霧消してしまうでしょう。それでも活動を続ける強靭な精神と作品をウォッチしなければなりませんね。

さて格差ですがこの日本という国か弱者に世界一やさしい環境であることは確かです。社会主義が個人の闘争心をなしくずしにしたような印象です。実際、低所得層への過剰な公共サービスや緩和されたとはいえ規制に守られた脆弱な産業分野の庇護で国の財政は悲鳴をあげているのが実情です。犠牲は仕方ありませんが、何によっての犠牲かというと高コストの公共部門の犠牲でしょう。金持ちもある種犠牲者で、ここ数年で彼らの富は国外へ逃避しているという事実もあります。これらはグルーバル化した国際金融の産物ですが、我々は後にも前にも進めない状態です。下の人間という言葉は好きではありませんが、黙って従うのではなく大声出して競争に参加すべきだと思っています。これまでの日本は幼稚園のような国家でしたから。
投稿者:石川
とおりすがりさん、コメントありがとうございます。反応があってうれしいです。

“アート作品が市場でもてはやされる問題はいったん無視して考えると、やりがいの搾取とはアーティスト個人の問題でだめになるようなアーティストはもともとダメなんじゃないのかな。”

そのとおりだと思います!
それでだめになってはだめですよ。作家はタフじゃないといけない。
それと同時に、我々が今感じている違和感をうやむやにしてはまずい。
美術は少なくとも成功する/しないだけで成り立つものではないでしょう。
ボードレールは少なくとも当時の芸術において一体どのようなものが成功する/しないのかという資本の原理をしっかりと理解した上で、それに対して批判を加えさらに自分の態度を示しています。それが美術や詩の制作態度に大きく関わっているわけです。
自分は美術をサバイバルするという目的だけで美術をしているのでないとすれば、問題は、もう少し広いものとして捉えなければならない。
作家とは複数の階級を見ることができないといけないと僕は思っています。
そうじゃなきゃ長いスパンで意味のある美術を作れないのではない。
そのような考えを想像することが難しくなっている、それに関しては断固として抵抗したいんですね。美術はもっと豊かだ。
もともと芸術において雇用と被雇用の問題が非常に曖昧な世界です。とはいえ、そこでは様々な政治的な問題があるのではないですか?そういった問題が美術の問題と関係ないと思いますか?80年代であれば美術ではそういった問題は当然でした。

ちなみに、小泉以前に戻れるわけありませんね。しかし小泉時代に戻りたいとは絶対に僕は思わないこれは政治的立場の違いなのでもう少し話し合っていきたいです。
格差を隠匿できないから、格差に開き直っていいのか?あなたは犠牲は仕方ないという意見ですか?だとするなら下の人間は黙って従えということですか?


投稿者:とおりすがり
私は美術に携わる者ですが小泉以前の状況には戻りたいとは思いません。外交を除き小泉支持で竹中の政策にも賛同。格差を隠匿していた戦後政治に限界がきたと考えています。

アート作品が市場でもてはやされる問題はいったん無視して考えると、やりがいの搾取とはアーティスト個人の問題でだめになるようなアーティストはもともとダメなんじゃないのかな。
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