2008/7/8
大山昭子先生遺作展
彫刻家大山昭子先生の遺作展に行ってきた。伯母が若い頃弟子入りしていて、連れられてよくご自宅に遊びに行きかわいがって頂いた。
生きていらしたら、今年80歳でそれを記念に個展を開く予定で沢山の作品たちが出番を待っていた。残念ながら昨年末他界されて今回の遺作展となった。
もう一回「あんた大きくなったな〜」とメガネ
の中の優しい目で見つめて欲しかった。

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生きていらしたら、今年80歳でそれを記念に個展を開く予定で沢山の作品たちが出番を待っていた。残念ながら昨年末他界されて今回の遺作展となった。
もう一回「あんた大きくなったな〜」とメガネ


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2012/2/12 2:49
投稿者:tipo243
2011/1/24 17:52
投稿者:越智勝代
30年以上カリフオルニアに住んでいました。5年前に夫の母が高齢になり世話をしに神戸に戻りました。昔々中学生の頃から高校まで心斎橋の教室で昭子先生に木彫を教わっていました。木彫ばかりではなく多感なころの私に大きな影響をあたえ生きていく上での大切なことを沢山教わりました。ようやく久々の日本の生活にも慣れふとまた会いたくなって姪に話しましたらこれを探してくれました。
残念残念!!この写真を見せていただいてたら昔の昭子先生のお声やもの言いが私の中でよみがえるようです。ありがとう。
残念残念!!この写真を見せていただいてたら昔の昭子先生のお声やもの言いが私の中でよみがえるようです。ありがとう。
2010/10/8 10:10
投稿者:NY齋藤隆生
この大山さんの旦那様はクラシックカーコレクターのYouji Ooyamaさんでしょうか? 実は御夫妻の古い友人であるニューヨークに住まわれているMaril Iharaさんが、連絡先を探されておられます。 もし御存じでしたらお知らせください。
2008/9/6 22:25
投稿者:sonoko
Jumboさんへ>
ようこそいらっしゃいまし!
昭子先生は昨年末に膵臓癌で他界されました。
三番街のお店は「ココロ」でしたよね〜。
先生が「今度店開くから来てね」と声を掛けて頂いたのを子供心に覚えています。
今回の遺作展でも遠方からの方もいらして改めて昭子先生の偉大さに気づきました。
ハンカチとブローチいつまでも大切になさってくださいね!
http://fine.ap.teacup.com/sonoko/
ようこそいらっしゃいまし!
昭子先生は昨年末に膵臓癌で他界されました。
三番街のお店は「ココロ」でしたよね〜。
先生が「今度店開くから来てね」と声を掛けて頂いたのを子供心に覚えています。
今回の遺作展でも遠方からの方もいらして改めて昭子先生の偉大さに気づきました。
ハンカチとブローチいつまでも大切になさってくださいね!
http://fine.ap.teacup.com/sonoko/
2008/9/6 15:26
投稿者:jumbo
突然の訪問失礼します。
大山昭子さん、お亡くなりになったのですか・・・。
その昔、大阪に住んでいた頃、阪急三番街(?)だったでしょうか、偶然入ったお店が大山昭子さんのお店で、少しお話もできて、すっかり気に入って、でもお金が無くて猫のハンカチ2枚しか買えませんでした。いまでも愛用してます。30年くらい前なんですよ。
その後1980年に新潟に転勤し出張の際に訪問し妻のために木彫りのブローチを何点か購入しました。
さきほど、何気なくそのブローチを眺めていて、大山さんどうしてるかなあと思い検索したら・・・。
遺作展、行きたかったです。
でも、大山さんの作品に触れることができたことを感謝してます。
http://blogs.yahoo.co.jp/jumbo4015
大山昭子さん、お亡くなりになったのですか・・・。
その昔、大阪に住んでいた頃、阪急三番街(?)だったでしょうか、偶然入ったお店が大山昭子さんのお店で、少しお話もできて、すっかり気に入って、でもお金が無くて猫のハンカチ2枚しか買えませんでした。いまでも愛用してます。30年くらい前なんですよ。
その後1980年に新潟に転勤し出張の際に訪問し妻のために木彫りのブローチを何点か購入しました。
さきほど、何気なくそのブローチを眺めていて、大山さんどうしてるかなあと思い検索したら・・・。
遺作展、行きたかったです。
でも、大山さんの作品に触れることができたことを感謝してます。
http://blogs.yahoo.co.jp/jumbo4015
突然の訪問失礼します。
昭子さん、お亡くなりになったことを、ここで初めて知りました。
25年ほど前、ご主人の、車のメンテでよくご自宅にお邪魔しましたし、ご夫妻と一緒に、クラッシクカーイベントに、サーキット走行に、複数お持ちの赤い1台を与えられて、ドライバーとして、何度か参加させていただきました。当時、昭子さんが私のことを、「一番程度の悪い息子」と、言ってました。
当時、お弟子さんって、確かキミチャン(だったと思う)という方がおられて、お昼ご飯を私の分も作ってくれて、一緒に頂いたことを覚えています。
ご主人が車入れ替えで、私がメンテしていた車を手放されてから、ずっとお会いしてなくて。。。。。知りませんでした。
あの日、昭子さんが1冊づつ、くださった自叙伝の本、これからも大切にします。