夕方、ウオーキング中のラジオに林望先生が出演、「相対で話すよりも“共視”の方がコミュニケーションが図れる。」と話されていた。運転席と助手席での会話、連れ立ってウオーキング中にお互いが前を向いて話す時などを例にその効用を解く。話をする時にはお互いの目を見て話すことを旨とし、「コミュニケーションはキャッチボール」と思っていた私には意外な話であった。
夕食時、家内にその話を切り出すと、えらい共感を得たようにすかさず返してきた。「おとうさんは仏前で手を合わす際、顔と声のどちらを思い浮かべる? 私は断然“声”が優先する。」という。(逆に私の場合は、どうしても“顔”が先に出てくる。) あまりにも直視されると一歩引くことがあるが、声を聞いているうちに相手の内面(心理状態)が窺えるとまでいう。
発達心理学では二人が肩を並べてひとつの対象を眺めることをジョイント・アテンション(共同注視、共同注意)と呼び、幼児が他者の意図や心的状態を読み取り始める発達上の一大ターニングポイントとみなしているそうだ。
かの北山修さんが著した『共視論 母子像の心理学』 (講談社選書メチエ) のレビューには《浮世絵に描かれた母子像は何を語るか。蛍、花火、しゃぼん玉。輝いて、そして消えていく対象を眺める母子。象徴を共有し、言語を使用するための基盤となるこの構図を日本人はなぜ好むのか?「共視」する母子を取り囲む「場」の文化とは?精神分析学をはじめ、さまざまな分野の新しい知見をもとに考察する、視線をめぐる人間論。 》とある。
早速、明日にでも本屋へ出向き読むとしよう。

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