〜波久・古都14歳の夏の出来事〜
「今日の治療はこれくらいにしましょう。」
治療に来ている老人は息子に連れられ隣国の山の麓にある三国(サンゴク)から、はるばるこの診療所を頼って蛇国(ダコク)へやってきた。
三国とは、山を信仰する土地で山の神”三空(ミクモ)”様の加護を受けて成り立っている。
波久は、おじいさんの足を擦りながら穏やかに話しかける。
蛇国へ来てから1ヶ月になるが、傷口から入った細菌は足から体を蝕み壊死が進行していた。
波久は随分と進んだ症状の進行を和らげていても、完治させることができずにいた。
「ごめんなさいね。私の力不足ね。治して差し上げれない・・・。」
申し訳なさそうに、足を擦り続けている。
さすっても良くなるわけではなのだが、血の気を失った足に少しでも暖かさを分けてあげたかった。
「いいんです。家族が連れてきたその気持ちに応えてくださった。それだけで。」
老人の足は青黒く変色し先端から崩れ落ちていた。
「だがね、もうこの痛みから解放されたいと思うのだよ。」
苦痛に時折歪めて話す顔を真っ直ぐに見つめることができない。
蛇国の診療所は他国にも治癒力の高さで名が通っていた。
代々当主が一族に伝わる治癒力をつかって診療所を営んでいる。
力を受け継ぐ波久も見習いとして、当然のように診療に努めている。
だからこそ、自分に力が足りない事がひどく胸を刺す。
「私は、家族の気持ちに十分応えて一日でも長くこの痛みにたえた。でも、もうこの年だ。先も長いわけではない。それよりも苦痛に満ちた顔で死に行きたくはないのだよ。」
老人の言うことはもっともである。
自分の治癒の力を与えても、解毒の薬草を処方しても、老人の体には限界があったのだから。
「どうか。どうか・・・私に安らぎの顔で眠らせてはくれないだろうか?神の導きで天へ召されて行きたい。」
老人は悲願の目で見ていた。
付き添いの息子は、涙で声をくぐもらせていた。
生きていて欲しいけれど、大切な人が少しづつ蝕まれてゆく姿を見ていたくはないだろう。
その気持ちは重苦しいほど理解できているつもりだ。
「私には・・・・」
波久は言葉を詰まらせてた。
緋色の瞳が揺れる。
しかし、患者の前では毅然としていなくてはいけない。
「すいません、希望をもって治療を続けてみましょう・・・。明日もいらしてください・・・。」
そう言うだけで精一杯だった。
14歳になって間が無い私には十分すぎるほど命を扱うことは恐ろしいものだったから。
しかたなく老人と息子は頭を下げて、宿へ帰っていった。
『明日またうかがうときまで、考えていて欲しい』と言い残して・・・。
「あぁぁ・・・・。」
ため息しか出てきやしない。
波久は頭を抱え込んでいた。
白く長い髪をくしゃくしゃにしても答えはみつからない。
自分に備わっている力は相手を癒すことだけ。
生を全うした者を天に還す祈りはささげても、生きた人間を安楽死なんてできっこない。
「どうしたらいいのか・・・」
私は、傷を治すだけが癒しだとおもっていたわ・・・。
生きていることが苦痛だってあるのね。
息子さんやみんなの事をおもっている気持ちがそうさせているのね。
波久は、老人の気持ちを思えば延命が全てだとも思えなかった。
しかし、自分の力ではどうしようもない。
翌日約束どおり親子は診療所へ答えを求めてやってきた。
「波久様。考えて下さったか?」
老人は願いを訴え続けていた。
「おじいさん、私は肉体の傷を治せてもその願い叶えてあげられない。御大蛇様からもらった力をもっても、あなたの願いを叶えて差し上げられない・・・。」
波久の大きな瞳から涙があふれていた。
生きていくこともできない、いっそのこと苦しまず死ぬこともかなわない老人・・・。
生殺しだとわかっているけれど、どうしようもない。
私たちの世界では、穢れで病んだ人が魔物に変わった時、楽にしてあげる方法意外では人を殺めることは許されない。
『天命は神のみぞ知り、神のみぞ与えられる・・・』
御大蛇さまが以前祈りを捧げたときにおっしゃった言葉は国の決まりなのだ。
「生命を扱えるあなた様ならとおもったのだが・・・。」
肩をおとして席を立った。
表情を暗くしたまま、波久に会釈をして後を追うように息子も出て行ってしまう。
波久は、ただ見ているだけしかできなかった。
考えても仕方が無い。
できないこともある・・・それが人なんだから。
「今は私にできる事は、薬を届けてあげることしかないわね・・・。」
気を取り直そう・・・。
波久は、老人に用意していた鎮痛薬をもって後を追いかけた。
痛みだけでも緩やかにしてあげたい一心で作った薬だった。
外へ出てゆくと、古都と老人が出くわしていた。
「おい、爺さん。死にたいって昨日は波久にゴネていたらしいじゃないか。」
この老人のことは一族で話題に上がっていた。
『死を望んでいる』ことが問題だったのだ。
古都は、その話題を聞いても表情を変えなかったが、
今日のこの態度は私を想ってのことだろう。
しかし、老人はつっかかかる物言いが気に入らないとばかりに言い返す。
「お前のような若者にはわかるまい。家族への最後の気持ちがわかるまい!!」
杖をもつ手が震えている。
怒りからか、落胆した気持ちからか、震える手は止まらない。
「爺さんなんで死にたい?」
古都は全く引く様子がない。
他人に関心を持つことが珍しい。
母親は私たちを産んですぐに亡くなったと聞かされている。
だから私や当主である父以外慣れ親しもうとはしない。
波久は、慌てて走りよる。
二人が拗れる事は避けたかった。
「おじいさん!!お薬忘れているとおもって・・・。」
慌てて、息を切らせて走りよる。
しかし、怒りに我を忘れてか、老人は見向きもしない。
「おい!じいさん波久が折角もってきたんだ。返事くらいすればいいじゃないか。」
古都はその態度が気に入らない様子だ。
「うるさい!あんたらにわからんよ。薬なんていらない。病が長くなれば家族はこれ以上の心配をするだろう。息子はまたほかの方法を考えて私に尽くそうとするだろう。けれど、それよりも安らかに死に、苦しみの記憶よりも最後は手間をかけずに逝ってくれたと思ってほしいのだ。息子に最後にしてあげれることだ。」
老人はついに泣き崩れた。
「父さん・・・・。」
息子は抱きかかえるように寄り添う。
「どうか、父さんの願いを叶えてやれないでしょうか?殺しはできません。それは奈落へ魂が落ちるといわれています。蛇は生命を司ると聞きます。ですからどうか、あなたのお力で導くことはできませんか?」
息子は涙をこらえ訴える。
願いをかなえてあげたい、その為に額を土に擦り付けて悲願しつづける。
緊迫した空気が波久の中を通り抜けた。
当然、困惑していた。
蛇神の力は生命力をおぎなうことはできても、生命力を奪う事なんて・・・。
のどの奥が乾く。
どうしても、言葉が詰まって出てこない。
(どうしよう・・・・・)
ふいに、緊張が破られた。
「俺がやるよ。」
古都の意外な言葉だった。
「何いってるのよ。世の鉄則で殺しはご法度ときまっているじゃない。どうするのよ!!」
弟がはやまったことをするのではないかと・・・。
「姉さん、早合点するなよ。俺の蛇神の力は破壊だけだとおもっていたが今なら・・・。爺さん任せてくれるか?後悔がないのなら望みを叶えてやるよ。」
いきがってた古都が、今度はさとすように語り掛ける。
古都がこんなに柔らかい表情を見せるなんて・・・。
意外としかいいようがなかった。
「あんた、やってくれるのか?血族の息子よ。」
爺さんは安堵の表情をみせる。
一カ月の中で一番の晴れやかな表情を長年の間にできた皺が丁寧に描いてくれる。
それを確認するように古都はうなずき、金色の瞳を閉じた。
深く深呼吸をして、老人の心の臓へ手をあてる。
慣れない力に集中し一点に気持ちを集める。
「いま痛みから解放してやるよ。」
古都はそう言うと一気に力を込めた。
静かな時間がやっと訪れた。
老人は見る見るうちに精気を失い命は枯れ果てた。
痛みなど感じる間もなく・・・。
あの日の花のようにこの世から消え去った。
しかし老人の顔は、彼の望んだ幸せな寝顔であった。
息子は「最後の親孝行です。」とだけ告げて大事そうに老人をかかえて歩き出していった。
後悔はないのだろうか。
背中をみていると、不意に寂しさがよぎった。
「ねえ・・・古都・・・。」
波久は、二人の背中を眺めていた。
背中の老人の重さが、きっと気持ちの重さに感じる。
「いまならわかるわ。古都がこの力を持って生まれた意味。」
涙を乾かそうと、まぶしい空を仰いで空気を取り込む。
「波久?」
弟は、不安げな声で呼ぶ。
その気遣いが伝わってくる。
「ねえ、古都はきっと壊すために力をもらったんじゃないの。生きる事が救いだとは限らないのね。あの老人は家族の負担を考えていたの。ああやって、家族を守ったのね。それを古都が助けたのよ。姉さんとは違う方法で助けたのよ。」
波久はそう言うと、笑った。
私に救えない魂を救ってあげた事が誇らしい。
「波久はそう思うのか?」
「うん・・・。」
「波久がそう思うのだからきっとそうだろうな。」
いま、弟は何を考えているのだろう?
表情がとっても落ち着いてみえる。
「なぁ。安らかな老人の顔が、その力を誇りに思えと言っているようだな。」
古都は、深呼吸をして私の頭をやさしくポンポンと叩く。
「波久!お前の力をまって患者がいるぞ!!いそげよ!」
はしゃぐように弟は走り出した。
「うん!」
波久は逞しい背中になった古都を追いかけて思った。
『ありがとう古都・・・。』
古都の背中をみながら波久は考えていた。
虐められていた頃とは違い随分と背も伸びて、幼さは残るが
凛とした表情を時折見せる。
古都の成長を喜びながらも、時間の流れに苛立つ。
『古都、姉さんの時間はもうちょっとだけ。
御大蛇様は私を望まれている。
16歳になれば、巫女として召し上げられる。
父様はだまっているけれど、生まれたその日に御大蛇様が決められたの。
特に一族の女人の中でも私が好ましいって。
ごめんね、古都。
でも、きっと古都なら大丈夫って思ったよ。
今日の古都なら。』
波久には古都の顔が今日は見違っていた。
近いけれど遠いような。
波久の残された時間は長くはない。
血はそれを赦さない。
わかっているのに。
波久が供物として召し上げられるまで・・・・
あと1年と半年。
〜それぞれの力・・・・終〜