2018/3/24

【長崎出張2日目】第55回原爆文学研究会  調査・旅行・出張

長崎大学環境科学部大会議室で行われた第55回原爆文学研究会に参加。

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会場は三菱長崎兵器製作所大橋工場の跡地、つまり作家の林京子さんが女学生で学徒動員され被爆した場所です。

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丸木夫妻も1953年に長崎原爆之図《三菱兵器工場》(長崎市原爆資料館蔵)を描いています。

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キャンパス内には旧長崎師範学校の「原爆慰霊碑」もありました。

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以下は原爆文学研究会の内容を、簡単な備忘として。

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初日の発表者は3名。
四條知恵さんは、長崎における聞こえない人々(ろう者)をめぐる原爆被害の語りの問題を取り上げました。はじめは、マイノリティの集団的な語りの「挫折」についての発表と思いながら聴いていたのですが、質疑が進むうちに、実は原爆被害を「語る」ことそのものの意味を問い直すテーマであることが浮かび上がってくる、研究会ならではの展開が刺激的でした。

永川とも子さんの発表は、被爆者のライフ・ストーリーを取材したスーザン・サザードの『ナガサキ』(2015)を、原爆投下直後の被爆者の様子を伝えるジョン・ハーシーの古典『ヒロシマ』(1946)と比較しつつ、米国において原爆を語り直すことの意味を考える内容。
被爆者のライフストーリーが、原爆投下の是非に関する論争になりがちな米国の核言説の限界を乗り越える可能性を持つ一方、脱政治化の危険も伴うといった議論や、物語の作者という「神」の視点と、米国の建国にかかわる「神」、長崎の祈りの対象としての「神」のそれぞれの「神」の捉え方を区別する必要があるといった議論など、こちらも質疑応答は白熱しました。

安ミンファさんは『倭奴(イエノム)へ 在韓被爆者 無告の二十六年』(布川徹郎、1971年)と『もうひとつのヒロシマ アリランのうた』(朴壽南、1986年)の2本の映画を取り上げ、社会に排除されていく韓国人被爆者の身体と、冷戦下/軍国主義下の風景のイメージを比較する発表。
研究会の後、『もうひとつのヒロシマ』の題字が丸木位里であったことを数人の方から指摘されましたが(映画の前に刊行されていた同名書籍の題字がすでに位里の筆だったと記憶しています)、実は『倭奴へ』も丸木夫妻が原爆の図第14部《からす》制作の参考にするため、布川監督が来て上映したと回想されているので、どちらの映画も丸木夫妻との「距離」は近いのでした。
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